見出し画像

ヴィルジニー・デパント『ウィズ・ザ・ライツ・アウト』

ヴィルジニー・デパント『ウィズ・ザ・ライツ・アウト』は「現代版・バルザック『人間喜劇』と称される文芸三部作」である。『人間喜劇』は世界史の文化史問題でも問われる古典的作品で、フランス文学をすこしでも齧ったことのある人なら聞いたことはあるだろう、というレベルの作品。
それの「現代版」というのだから大きく出たなと思い読み始めたが、たしかにこれはおもしろい。のちに世界史の問題になるかはわからないが、著者はゴンクール賞などの大きな文学賞の審査員もつとめる作家で、現代フランス文学界ではじゅうぶんに有名なひとであるらしい。
あらすじは、家賃滞納で住居を追い出された元レコード店主、ヴェルノン・シュビュテックスがかつての友人知人の家を渡り歩くというもの。90年代には音楽に血道をあげたかつての仲間もいまでは家庭や病気を持っていて、居候を歓迎できない。またヴェルノンのほうにもプライドが邪魔をして窮状を打ち明けることができない。みなが同じ熱に浮かれ同じものを見ていると信じ込めた時代のあとの、すれ違いままならない人間関係を群像劇の手法で描く。たしかに群像劇とはおしなべてままならない人間関係を描くものだが、この作品は登場人物それぞれの説明の細やかさや、「こういう人いる!」と思える作りのうまさ、そして注意深く設定されたあえて説明しない部分の配分が絶妙で、結果として立ち上がってくる人間関係が豊かなのだ。ぐいぐい読めてしまう。

さて、この作品のなにが特別なのかと問われれば、ひとを多面から描ききっている点とわたしは答えるだろう。当然のことだが、ある人物AがBととても仲が良くてお互いに最高だと思い合っていたとしても、Cからすればそいつらは同様のクソ野郎かもしれない。しかし我々は自分の目でしかものを見られないので、自分が見たもの感じたことに引きずられてしまう。しかしこの作品はAから見た最高の人物Bを、Cから見た顔も見たくない最悪の人間Bとして描ききることができる。しかもこれらの描写が均一な密度でなされるので、どちらの印象に傾くこともない。読者はただ、「そんなに単純で完璧な人間なんかいねえよな」という当たり前のことを常に思い出さされる。これを徹底してやっているところに、この作品の優れた点があると思う。

わかりやすいところで言うと主人公ヴェルノンだ。こいつはあらすじのとおり、自分のレコード店を潰してしまいアパートを追い出された無職文無しの五十路だ。自分の印象をコントロールすることに長け、とくに女にはモテるのだが、目が合った女を次の瞬間には頭の中で裸にしてしまうような男だ。唯一、自分をずっと(金銭的に)助けてくれていた男友達が心を病み、壊れていくのをわかっていながら何もせずに死なせてしまったような男。その死にひどく動揺した女友達からの切実なメッセージにも返事をしなかった男。
でもこいつには当たり前だがいいところもある。酔った友達を腰を痛めながら支えて歩けるし、事情を抱えた家庭の母親へ花を持って行くことができる。なによりも音楽に精通していて、彼のおかげで世界が開けた客や育ったアーティストがいる。とりわけ、音楽を通した彼と他者の交流はとても美しく描かれる。もう死んでしまった友人とライブに行った思い出を語るときの文句がいい。

ヴェルノンはベルトランにつきあって行っただけだったのに、会場で思いがけない感情が込み上げてきてよろめき、友人の肩に寄りかかって涙した。その話をしたことはなかったが、ジョー・ストラマーが死んだ日、ヴェルノンはすべて言葉にし、ベルトランは、知ってたよ、わかってた、でもお前の気分を壊したくなかったから、と答えた。くそ、ストラマー。あれよりいいことが、その後あっただろうか。

他にも、「ロシア女は売春婦でなければポルノをやる」だの「マグレブ系の女に選択肢ができたってことを考えるとさらに気が滅入る」だののたまう男がいる。彼は脚本家だが仕事は鳴かず飛ばずで、売れている業界人はみんな「プロデューサーのところで尻を広げているくせに」と思っている。妻の神経質さに辟易していて、仕事で出会った女優に惚れているが声をかける勇気はなく、両思いに違いないと思い込んでいる。そうした男だ。
けれどこいつは娘のことを愛していて、「毎日、娘の学校の門の前に迎えに行っている。娘がリセの最終学年になってもまだそこにいるだろう」と言う。飼い犬の死を悼み、安楽死させに来た獣医が呼び鈴を鳴らした時、「そいつのほうを殺すべきだった」と言うことができる。そしてこの男は友人のヴェルノンを最後のところで見捨てられない。

こうして多面的に構成された登場人物にすこしずつ接近して、「そういう事情があったのね…」などと思っているうちにあっという間に読み終わってしまう。そして気づけば出来上がっていた豊かな人間関係の網目にため息をつく。それぞれの人物に割かれる文章量は少なく軽快なのに、いつの間にか厚みを持った世界に引き込まれているという読書体験。いかがだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?