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【壱岐新報2024.3.22】出馬候補予定者の声を聴く

来月14日投開票の市長選に向けた出馬候補予定者4人に、さまざまな話を聞いた。

 各予定者の政策はチラシや発表会などの場で見聞きする機会があるが、性格や考え方、出馬に至った理由などは聞く機会が少ない。今回は各予定者にインタビューを行い、人となりや人物像に迫ってみた。

 政策に関するコメントは、同月7日の告示以降に掲載予定。

 (取材日程順に掲載)


4人の出馬理由や人物像に迫る


「現場主義を貫く」出口いちろうさん


 「私はとことん、現場主義なんです。これからの壱岐のため、私が先頭に立ってがんばりたい」と意気込みを見せる。

 市福岡事務所の立ち上げに携わり、市ふるさと商社を盛り上げた。「市ふるさと商社では、壱岐の一次産業の方々と接する機会が多かった。現場の声を聞き、生産者と一緒になって販売をする。人間的にも勉強になった」という。

 観光課課長のころは自ら人面石くんに変身し、PRにかけずり回った。「おそらく人面石くんに変身した数は、私が一番多かったと思う」。福岡事務所の時に着用していた、一支国の文字がプリントされたジャンパーを今も大切にし、PRの機会があるたびに着用している。

 市長になりたいと思ったきっかけは、「市総務課勤務を通して市長職の大変さは身に染みて知っている。正直、こんな大変な仕事は嫌だなというのがあった。しかし、各担当部署の政策をどうするのかと考えた時に、一つの部署に留まるのではなく、大きな視野と大きな手腕でやらなければという思いが募った」と話す。

 座右の銘は、旧日本海軍、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、褒めてみせ」。行動を背中で見せて「市職員やみんなもぜひ現場主義になってもらいたい」と思いを語る。

 市長になった場合は「私が先頭に立ち、市職員と一緒になって悩んで考えて泣いて笑っていたい。がんばる時は一緒に汗をかこうというのは、今後も続けていきたい」。


「しがらみをなくす」森俊介さん


 約6年前に本市に移住し、イキビズセンター長や市議を経験、自ら事業を営む。「自分を必要としてくれる声をいただいた」と話すが、出馬の決意をするまでに悩みに悩んだという。

 前回の市長選では「このままだと無投票選挙になってしまう。森君ならばしがらみもなく、仕事の能力も信頼できる」などの声を受け出馬したが、当選には一歩及ばず。選挙後、応援してくれていた人が取引先から仕事を断られたなどの話を聞いた。「自分はどれだけ陰口や悪口を言われてもいい。しかし、応援してくれた人まで…」と再び地域のしがらみの強さを知らされた。この思いから「しがらみをなくす」を政策の一つに掲げた。

 事業の経験から実務的な政策は「できるだけ安い予算の中で最大の効果を得ることは、自分にしかできない」とし、「そのために職員に良い仕事をしてもらえるようにすることが、最大かつ一つの挑戦」とチームで仕事を進めていくことを重視する。

 長所は「媚びない性格。上の人や立場がある人からこうしろとか、ああだこうだと言われても、自分の意思をはっきり言えるタイプ」という。政策には性格が垣間見える。「イルカパーク施設の見直し」「いきっこ留学制度の里親と孫戻しは廃止し、親子留学のみ」など、各所にも反映されている。

 「4年、10年経った時に振り返ってみて、良かったと思ってもらえるような市長でありたい」と話し、2度目の市長選に挑む。


「壱岐のために人生を」坂本和久さん


 8歳の時にテレビで見た田中角栄元首相に影響され政治を志ざす。島内外から壱岐を発展させようと、中部壱州会設立や一支国幼児相撲大会開催へ向け尽力するなどさまざまな形で応援してきた。

 2016年の市長選に出馬、前回は不出馬だった。「8年前の市長選後、事業としてバイオマス燃料などに活用されるソルガムの栽培を手掛けてきた。環境大臣や福岡市からも問い合わせがあり、東北地方からは復興大臣を通じて私のところに来られている。韓国とも環境を通じてパイプができた」と、これまでの経緯を語った。

 その後、個人で行う事業に限界があることを知る。2度目の市長選出馬となる今回は「この事業は全国的な流れもあり、一気にやりあげたい。しかもやるからには壱岐発で行いたい。4年前は実証実験の最中だったが、今回は成果も上がった。出馬できるタイミングだった」という。

 掲げた「愛郷無限」は、18歳の時から意識してきた言葉。松永安左エ門翁の名言「我が人生は闘争なり」は座右の銘。「まさにそういった人生を歩んできていると自分ながらに思う」と振り返る。「目的へ突き進むこと。壱岐の中で3回落選して4回も出馬する人は、まずいない」。この挑戦に賛同した地元公民館の推薦も得た。

 「坂本は壱岐にこだわったばかりに、いまだに議員になれず、政治家にもなれない、家族も失ったと言われる」と、苦労話を笑顔で話す。愛郷無限を体現する姿がある。


「得た経験を生かす」篠原一生さん


 20代後半に白川博一市長の秘書を務め、職務の重要性を間近で見てきた。当時、周りの人から「いずれは市長にならんね?」と言われた。「お世辞だとは思うが、若いころの私は真に受けた。自分が市長なら、このような局面でどうするか、何ができるか考えるようになった」と話し、「当時の経験が市長選に挑むきっかけ」という。

 市東京事務所所長時代は島外から壱岐を見る機会が増え「たくさんの魅力や資源があるのが壱岐。これらを生かすには、自らリーダーとしてやっていくのが大事」と出馬に至った経緯を話した。

 市職員を退職した今も、新たな施策や地方創生を学ぶため、慶應義塾大学に研究員として籍を置く。この活動が、島外企業との連携などに役立ち、現市政の政策にも成果として見える。

 「白川市政の後継者のように言われるが、政策は何一つ引き継いでいない。ただ、市職員時代に白川市長の考え方は学びになった」という。

 休日の過ごし方は、新たな料理作りや古着屋めぐり。「新たなことへのチャレンジ、また反して古いものへ魅力を感じる」とにこやかに語る。未知の世界の探求に惹かれるそうだ。

 座右の銘は「真善美」。本来の意味とは違うそうだが「自分の生き方として正しいことと、良いことと、美しいことをやっていきたいという基本的な考え方」と話す。新旧を知り、チャレンジ精神を併せ持つ人柄だ。

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