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靖子色の世界へ

昨日は前記事が殆どの人の目に触れてもらえない事に拗ねて投稿しませんでした。ごめんなさい。今日は大森靖子ちゃんっていう、不思議と現実を繋げる橋みたいな存在について語ります。いつも彼女の音楽を聞くと、現実を飛び越えて一足先に未来に駆け込んでくれるような閃きを感じるんです。彼女の言葉、歌、視点が私の中に新鮮な風を吹き込んでくれて、心地よくてついつい眠れぬ夜も彼女の音楽とともに過ごしてしまいます。彼女の歌詞一つ取っても、まるで詩のような美しさがあります。ごく普通の日常の一コマを描きながらも、その背後に潜む哲学的な視点が散りばめられていて、それがとっても引き立てられるんです。普段の生活の中で感じる繊細な疑問や思考を、まるで大きな哲学問題のように扱ってくれる。そういう姿勢がとても好きで、感じることのできる世界が広がっていく感覚があります。そして彼女のライブは、まさに一種の宗教体験みたいで、暗闇の中で彼女の歌声と音楽が響き、思考が溶け合う瞬間があって、その時ひとりひとりが主役になって、ある種の共鳴体験が起こる。自分自身が主役になれる場所でもあって、そこで新たな自分を発見することができるんです。彼女が歌う歌、放つ言葉、共有する瞬間は、いつでも私の中に新しい可能性を引き出してくれる。だからこそ、彼女のことは言葉以上に大切だし、それを言葉で表現することが難しいくらい深い愛情が私にはあります。

子供じゃないもん17

そういえば最近、「子供じゃないもん17」がTikTokを基盤として急激に流行り始めてますよね。でもその曲を使ってるのは闇一つもなさそうなキラキラJKばかりで、彼女たちは多分「子供じゃないもん17」の本質を理解していないんだと思います。あの曲は表面的にはキラキラしているけど、その背後には深い想いが込められているから、ただサビだけ抜き出して楽しんでいるように見えると、なんだか複雑な気持ちになります。でも靖子ちゃんがTwitterで呟いてくれた「みんなそのまんまでいい 歪んだまんま愛されてほしい そのためにわたしの曲があるんだし 歪んだまんま愛されるために必要なかわいさとか優しさとか生き方とかそういうの ちょっとずつ学びながら、そのまんまでいるために追いかけっこで成長しよ」て言葉を思い出して少しだけ強くなれます。そう思うと、曲がどんな形で流行っても、それはそれで靖子ちゃんの言葉が広まる手段と考えられるかもしれないです。多分靖子ちゃんは、自分の曲が一部の人たちにしか理解されなくれも、それでも声を上げ続けるタイプの人だから、彼女の思想がたとえ一部の人を通じて広まるとしても、それはそれで良いのかなとも思います。実際、それが「子供じゃないもん17」の真の意味を理解するきっかけになる人が一人でもいるのなら、それはとても素晴らしいことだと思うんです。だから矛盾した感情を抱きつつも、自分は靖子ちゃんの言葉で頑張り続けていきます。彼女の曲を聴くたび、いつも新しい気持ちになれるから、私と同じティーンエイジャーが彼女の曲を楽しんでいる姿を見ても、少しは納得できるようになるかもしれないです。今日も明日も、靖子ちゃんの音楽を胸に、一歩一歩進んでいこうと思います。





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