見出し画像

「いるいる」

有名TV企画「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が下火になってから、

行き場を失ったたくさんの「いるいる」がSNSに伝播するようになった。

可愛い女の子がダンスするだけのSNSかと思っていたのも束の間、パンツが見えたりするのもおろか、制服で踊るだけでもBANされる「公共メディア」となったTikTokには、「細かすぎて伝わらないモノマネ」の投稿が群雄割拠している。

「一生バイトしている人」「土曜昼下がりの団地カップル」「高円寺の路上で飲んでそうな人」「ピンポイントの質問を投げてくるギャル」「レジに来たお客様が自分の好みのタイプだった時」「店員に一人で来た寂しい人と絶対に思われたくない男」「校歌歌えないのがかっこいいと思っている男子生徒」

パッと TikTokを覗いただけでもたくさんの「いるいる」が存在。

そしてそのどれもがタイトルだけで笑っちゃうようなーーある意味タイトルだけで笑いの70%は完了しているようなーー秀逸な投稿が軒を連ねている。もちろん同類のinstagramIGTVにも。

SNS中の人気のネタが選別されて、不定期で行われる「本家・細かすぎて〜」のテレビ番組に彼らが逆輸入的に出演しているのも面白い。


ハロウィンの時期になると、渋谷や六本木とは別の場所で一瞬だけ盛り上がりを見せる「地味ハロウィン」なるイベントもあるけれど、あれもほとんど「細かすぎて伝わらないモノマネ」だ。

「店長みたいなバイト」「提供の文字が目に重なった人」「井の頭公園のオーガニック女」「駅前で期間限定で営業しているスイーツ屋の店員」「早朝、寝ぼけたまま夜行バスを降りた人」「エスカレーターの手すりをきれいにする人」「リーチはたくさん出来たけど、ビンゴできない人」

ちょっと違うのは、これらは映像じゃなくて1ビジュアルで世に出る。

エンタの神様の頃にだいたひかるとかレギュラーとかまちゃまちゃが叫んでいた「あるある」と決定的に違うのはそういった「タイトルだけで笑えてしまうわかりやすさ」。

動画の最初の5秒でつかめ!という教訓めいたものが流布する現代の極めてインターネット的な部分である。もはやサムネとタイトルだけで笑えるんだから。

おそらく、一つのメディアが成熟を迎えると「いるいる」は姿を現す。

ごちゃごちゃした複雑なテレビ企画への対抗として。

instagramのおしゃれライフへの対抗として。

TikTokの陽キャダンサーたちへの対抗として。

瞬く間に広がったカウンターカルチャーとしての「細かすぎて伝わらないモノマネ」。

伝わらないとか言って、きちんと伝わってるし、そっちのほうがよりリアルだと感じるし、普段出会う「イヤな奴」もそういうちょっとしたラベリングで笑い飛ばしちゃえば、生活が少しだけラクになる。

それと「あるある」は自己の仕草に関しての自虐的な笑いを含むのに対し、「いるいる」は多様化した世を生きる他者へのカテゴライズを含む一種の解熱鎮痛剤である。

映画だって同じだ。

今泉力哉さんの映画なんて全て「いるいる」シーンの連続だ。

「飲み会に行くときに同棲中の彼女に言い訳する彼氏」「バイト先に気になる人がいて仕事そっちのけの女」「喧嘩中になかなかタクシーを捕まえられないカップル」「共通の友人が抜けて会話のネタに困る男女」「いきたくないバーベキューに来たサブカル女子」

物語に沿っているいるシチュエーションを何個か用意して長回しすれば、彼の映画然としたものはできる。と断言してみる。

彼の映画が中高生に高い評価を得ている裏に「いるいる」のオンパレードの恩恵があることを、無視はできない。

ただ、配偶者のことを「あなた」と呼んだり、切れた電話口に「もしもし!!」と叫び続けるような紋切り型のセリフ(演技)オンパレードの日本ドラマへのカウンターカルチャーとしてーーひときわ目立ってーー彼の映画は存在しているように思う。

今、「いるいる」は武器である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?