ポップにできるならそうしていたよ
土曜夜
張り詰めた神経が限界を迎えそうだったので急遽お酒を飲みに行く。
そんなに飲んでいないのに酔う。前転しまーす。
日曜あさ
安定に起きれない。
日曜ひる
昼から日課であるお見舞いにいく。
部屋がにんにく臭い。
餃子の匂いがどう頑張っても取れなかったの。
(気がするだけ?)
がんばったのよほんとに。
明らかに様子がおかしい父。呼吸が乱れている。
父親が父親でないみたいな。
そら、日に日に弱まっていくのを目の前で眺めていた(なにもできないが、)けど今日は特別、調子が悪そうに思えた。
手持ち無沙汰になった弟は応援団ごっこをしている。
なんか今日はちょっと帰りたくないな、のわたし。
帰ってもやるはずのない宿題を理由に帰ろうとする弟。
母親は2人の意志を汲み取って迷ってしまったよう。
そら、弟にしてみれば見てられないよな。
結局この日のお見舞い1回戦はここで病院を去ることにした。
病気ってこんなもんだ、というバイアスじゃないけどそんな気持ち。
まーたくーるよーん。
数日前から返事が出来ないのは知っているが、いつもの調子で呼びかける。
看護師さんのもう帰られますかー?の声。
あー、じゃあ帰ります!(なんか作業あるのかな?)
UNIQLOとSeriaいって帰宅。
日曜夕方
病院から電話。
焦らなくていいですからね!念を押されて言われる。
病院からのお呼び出しで焦りすぎて事故る人おおいんだろうなー。
とはいえ、総合病院の遠い駐車場ビルから走っちゃう。
ちゃんと面会許可証も記入してエレベ直行。
VIPルーム個室にはなんかみたこともない先生らしき人と看護師さんが並んでる。
あーこれはやばいってことだな。
ここらへんでわたしの話をする。
わたし、はあたまのなかいつもぐっちゃぐちゃで○○の自分、△△の自分みたいなのが何人も居るみたいな。(インサイドヘッドイメージしたら伝わるかな?)
このときの左上から見てる自分は
なんだこの時間は?なんかそれっぽく演技した方がいいのか?みたいな。
いまにして思えばただ、信じられなかっただけなんだろうね。
いつそのときが来てもおかしくないよんと言われて1年ちょい猶予があったのに。
呼び掛けもひと段落して家族3人ちょうど同じタイミングで後ろに立っている初対面の先生の方を向く。
まあそういうことらしい。
時刻はわたしたちが来て呼び掛けをして謎にひと息ついたその時間に。
焦らないでいい、はそういうことだったのね。
そこからのVIP個室(逃げないで書くね、病室)はけらけら笑っていた。
誰もが笑える環境ではないと知っていつつも
笑いに溢れた空間にしようとしたのだろう。
どこの統計でもないだろうけど、耳は事後しばらくの間 聞こえているはず、らしいし。
……まあこれも防衛本能みたいなものだと思う。
震えながら笑っているの可笑しいね。
一時退出させられる。
わたしは父の会社と葬儀屋への連絡を担当。
えー。
この辺にたくさんある葬儀屋チェーンなのにどこも埋まっててちょっと遠くで安置。アンチ。
部屋に戻る。
お化粧タイム。エンゼルケアだっけ?
父も苦しそうな表情からやっと落ち着いた顔になった。
プロの腕ってすごい。
普段かかわることのない職業に興味津々なわたし。
そうこうしているうちに葬儀屋さんがやってくる。
約10日ずっと居たベッドともお別れ。
看護師さんが移動用のストレッチャーに移行させる。
看護師さんみんなやってきて10人がかり?で持ち上げる。
言うても60キロあるのに男性陣は加勢しないのね。、、
またみたこともない先生らしき人がやってきた!
いや、手伝わんのかい!!
そんなこんなで(どんなこんなで?)病棟の裏のエレベーターから地下へ。
扉が閉まるまで何人もの看護師さんが深いお辞儀をしてくれて、ここでやっとすこし冷静になる。
地階。
真っ白な部屋。
ここのところ耳も目も感覚が過敏になっているわたしには眩しいまである。
なんか夢のなかの世界みたいな、そんな気がしていた。
合掌。
違和感ありありだ。 手を合わせるという行為を父に向けてしているのが慣れなくてそわそわしちゃう。
このとき看護師さんも泣いてくれてたらしい。うれしい。
諸々の説明を受けて病院を去る。
ところだが、急遽書類のトラブルがあってまた入院病棟に戻る。え、このお柩エレベーターで!?
病院から安置する場所にいくまで、葬儀屋の計らいで家の駐車場に寄ってくれた。
かえりたーいとずっと言っていたのでうれしい限り。いやホントは元気な状態で帰りたかったんだけどね。
(ホントは口が回らなくなっていたので卒業したいだの終わらせたいだのそういう言い回しだった笑)
ここでプチトラブル発生。我が家の車がガソリン切れそう。エアコンガンガン&焦って燃費悪い運転笑で消耗しまくったのかな。
父親に言うと、だから半分切ったらガソリン入れとけって怒られるところだ。
まあなんやかんやあって安置しとく部屋に到着。
でたーーー。狭い控え室みたいなとこ!
プチ打ち合わせ。
わたしはかたちある父親と少しでも長く一緒にいたいなーと思い、2日後にお通夜にした。
これは結局、ドライアイス代と延泊料がガッツリかかるものであった。
おじいおばあ到着。
なんとも1晩中泊まるつもりらしい。
まだ通夜でも仮通夜でもないしたぶん葬儀屋さんもそこまで想定していないと思うけれど……
学食みたいなかっっったい椅子で1晩過ごす。
完徹。目バキ。
葬儀の本会場はお家みたいなとこなんだけど、今日急遽やってきたとこは昔ながらの“会館”みたいなとこで仄暗い。
御手洗は近くのファミマに借りた。
こわかったからではないよ。
口寂しくてお腹痛いのにずっとファミマでなんか買ってた。さすがに店員さんに顔覚えられたと思う。
この日は、いやに月が綺麗な夜だった。
月曜あさ
このへんから曜日の感覚がなくなる。地続きだもん。
おじいおばあを置いてわたしたちは一時帰宅。
お泊まりの準備をするためだ。
そして おじいおばあに主権を握られないようにするため葬儀の打ち合わせはちょっと遠くの会館へ。
今思えば、このときはこの主導権を握られない!に固執しててそこまでやる必要はなかったと思う。
ただ、疲れとストレスを最大限に抱えているわたしは絶対に打ち合わせはわたしでやる。としていたらしい。こわ。
ダイソーに寄って黒ネクタイを購入。
月曜おひる
湯灌の儀。
これは亡くなった方へ生前の疲れを全て洗い流す、いわばお風呂屋さんのようなものらしい。夜の街。冗談。
高かったけれどオプションつけてもらった。
ここではじめてお棺登場。さすがに入れるときは実感沸いた。
月曜夕方
本会場へ移動。
あらかじめ見学をしていた、家族葬向け2階建て一軒家みたいなところ。綺麗。
一安心だわね。
精進料理なんて関係ない。ほっともっとを食べてごろごろ。
おばあはいつまでたっでもお棺の前から離れない。わたしだって傍にいきたいのに!!
おじいにお骨の話をされる。
最大限に疲れ切っているわたし。
え、それお骨ちゃんを実家に総取りしていくってコト!?と拡大解釈してしまい言い合いになる。
うわー人生ではじめてちゃんと折れずに意見言えたわー。
まさか、わたしが言い返すとも思わなかっただろう。
最悪な空気のまま2日目は幕を閉じる。
この日も徹夜する予定だったけれど、この先も長いと、睡眠をとることにした。
水曜あさ(お通夜の日)
ついにきた、お通夜の日。この日はとてもバタバタしていた。
父の会社の人はもちろん、なぜかうちの会社の人がたくさん来てくれる、お花も電報も送ってくれた。嬉しい。(わたしは休職中なのでちょっと気まずい)
お通夜が始まる。フリー指名のお坊さん登場。
ここで“受け入れたくない”という自分があたまのなかにでてくる。
なにお経とか読んじゃってんの?
あたまのなかを開く。
右上から俯瞰的にみようとしている自分は「これはもう受け入れられないということにした方がいいのではないか?」と唆している。
(真っ当ではない方の防衛本能と取ってくだされば)
ここから、受け入れたくない自分と目の前の現実が戦いはじめたのだった。
なにこの状況いみわかんない、と座りながらふらふらふわふわ足崩してみたりお数珠で遊んだりするわたし。
来てくださった親戚に挨拶も済ませて一段落。
気が回らないうちにそんなんまでやってくれたの!って感謝されたけど、たぶんそれは違うんだよね。
人のこと考えているときは自分と向き合わなくていいから。逃げになるのかな。
そして一段落したときにいざ、自分と向き合う時間。
え、、なにこれどういうこと?いみわかんないわかんない。おばちゃんたちみんないつも大袈裟に言うから合わせてやったの。人を死んだみたいに言っていみわかんないよね。どういうこと?煙草吸わせてはやく。
このときわたしは明確に壊れた。
子どもみたいに泣いてたらしい。子どものときもそこまで泣いたことないらしいが。
目が逝ってたらしい。
なんていうかわたしの目がバキってるとき(虚無のときも含めて)、わたし自身黒目が大きいこともあって周りからしたら「怖い」らしいです。
あーこれ、どっかで聞いたことあるな。
手当たり次第に病院に電話する母。ここでやっとわたしは蓋が外れてやばかったらしい。
のちに母親に訊くと
聞き分けがよくて外で泣かないようないい子に育ったけど自分に蓋をするのが上手い子に育ったねえ
仮面を被るのがうまい、周りに居ても気付けなかったと語っていました。
まあ、言いたいことは分かる。
今日もベジタリアンなんて関係ない。
ハンバーガー食べた。
もうそろそろ受け入れるときかーと自分のあたまのなか左下のわたしは語りかける。
そんなこんなでこの日は起きていた。
全体の日程をゆっくりとったからこそ、おばあも冷静な部分がでてきたらしく、
「ほんとは𓏸𓏸(わたし)がいちばんきついのはわかってる」と語り始めた。
よく言うよ、ずっとお柩の前から離れなかったくせに。とはならない。
どこまで本心かは分からないけれど、超お姫様末っ子主人公のおばあからやっとそういう言葉を聴けて救われた。
オールナイトで流れてる洋楽ハードメタルチューンとともに眠りに落ちた。
水曜 葬式の日
お坊さんにご挨拶。お布施を出すタイミングがコントみたいになってしまった。
アイスブレイク雑談も終わり完全に待ってるお坊さんと、今でいいのか?のわたし。
葬儀屋さんとの最後の打ち合わせ。
いよいよはじまる、というその時に「受け入れる」覚悟が芽生えた。
あーこれは、
私はずっとお店屋さんって言ってたけどホントは葬儀屋で
父の病気が落ち着いてそのパーティで旅行に来ているわけではなくて、
すなわちこの大きなお花たちはみんなお祝いで送ってくれたわけでもなく、
遠いところ遥々会いに来てくれたわけでもなくて、
お香って言っていたあれは、気分転換に欲しいって言っていたヴィレバンのお香じゃなくてお仏壇に捧げるようなお線香で、
父がやっと落ち着いた表情で寝ているのは完治記念で購入した高級なベッドではないんだな。
「もうそろそろ受け入れた方が身のためだよ。」あたまのなかのわたしが言っている。
全てを理解しようとしたときに涙が零れた。
この日は式中もふらふらせずにピシッと過ごした。
お酒を口に含ませてあげる、の儀もしっかり行った。
誰も見てないと思って残ったビール、一気飲みしちゃった。
恥ずかしがって一緒に飲みに行ったことがなかったのでこの時間を設けてくれたことは嬉しかった。
とはウラハラに献杯用のお酒をグビグビ飲んじゃったらわたしも三途の川渡っちゃうことになるってえええ!
数日間泊まった温泉旅館、、改め葬儀場ともお別れの時間が迫った。
まじでいいホテルみたいで居心地よかった。シャンプーがギシギシだったのは許してないけど。
霊柩車に乗る。
白のかっこいいやつが来た。
ちょっと間したら火葬場に到着。
親達は出遅れたようでわたしとおとうとと父だけの空間。
そしてまた病院地下の霊安室みたいに異質な空気感。
でも、もうわたしは死を受け入れたから大丈夫。ここは夢の世界ではない。
死を受け入れたあとの自分は多少客観的になったのでこのへんで記述はやめておく。
病気が発覚したその日の朝まで夜勤していた父、
発覚時点で「生」は絶望的とまで言われたものの
お薬と闘いながら何度も限界を迎えそうになりながらも復活していった様子はすごくかっこよかった。
なんなら、薬も体への負担が大きすぎて耐えきれないって諦めてしまう人も多いらしいし。
この生への執着心(ってわたしは呼んでる)、死を覚悟したその目、全てが私の成長に繋がった。
もう簡単に死にてえとかいえなくなっちゃったな〜
悪いことばかりではない。家族の絆が深まった数日間でもあったし、いつまでもバブだとおもっていた弟が思いのほか、成長していたこと。かなり大きな事実と向き合うこと、いろいろな気づきがあった。
個人的には私ができる範囲で家族愛に尽くした1年と少し。
もうそろそろ自分に目を向けてみようかな〜などとおもったり。
とりあえずお金貯めて一人暮らししちゃうか。
まあまだまだいろいろあるけれどここら辺で一旦書き終わる。5297文字。
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