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いきものがかりのホーム・FMヨコハマ番組スタッフに訊く “3人の物語”と“物語の続き”

3人での活動に幕を下ろした7月31日。
奇しくもその舞台となったのは、いきものがかりのホームと呼ぶにふさわしいFMヨコハマのスタジオだった。
メジャーデビュー前から3人を見守り続けてきたFMヨコハマ・制作部の加藤直裕さんに、間近で見てきた“3人の物語”と、これから期待する“物語の続き”について語ってもらった。

-まずは、加藤さんのFMヨコハマでのキャリアについて教えてください。

2001年4月に中途入社し、朝の情報ワイド番組をはじめとした様々な番組を担当してきました。現在主に担当しているのは、月~木曜日の朝6~9時に放送している「ちょうどいいラジオ」や、金曜日の12~15時に放送している「F.L.A.G.」、月~木曜日の深夜26時台に放送している「KANAGAWA MUSIC LAND」です。また、山下さんのレギュラー番組「上手投げ!!!ラジオ」や、その後継として水野さんが2カ月限定でパーソナリティを務めている「寄り切り!ラジオ」も担当しています。


-「KANAGAWA MUSIC LAND」はインディーズ/アマチュアアーティストを応援する音楽番組で、前身の「YOKOHAMA MUSIC AWARD」から数えると、20年以上続いているんですよね。

はい。「YOKOHAMA MUSIC AWARD」は、横浜で頑張っているインディーズアーティストを発掘し、全国に送り出そうという姿勢で始まった番組でした。放送開始当時2000年のインディーズシーンでは、神奈川県出身のアーティストは神奈川にもライブハウスがあるにもかかわらず、東京のハコでライブをすることが非常に多くて。僕ら「YOKOHAMA MUSIC AWARD」のスタッフには、地元・神奈川のライブハウスでキャリアを積んでもらい、番組で紹介することで、メジャー契約できるようなアーティストを一組でも多く輩出しようという想いがありました。


-いきものがかりのことは、いつ頃どのように知りましたか?

2004年の夏頃、当時いきものがかりが所属していたキューブのスタッフから「厚木・海老名で頑張っているアーティストがいるんだ」と紹介を受けました。そのあと9月に、「YOKOHAMA MUSIC AWARD」で「真夏のエレジー」を放送しましたね。「真夏のエレジー」は歌謡テイストの曲じゃないですか。ちょうど残暑を感じる時期だったこともあり、「恋は終わった」という始まりのフレーズから切なさを感じたのを憶えています。当時のDJは番組内で「残暑厳しい時期に聴くには胸に染み入るズルい曲だ!」と紹介していて、それが3人の耳にすごく残っていたみたいです。


-「YOKOHAMA MUSIC AWARD」で「真夏のエレジー」を取り上げたことがきっかけで、いきものがかりとFMヨコハマの関係は深まっていったのでしょうか?

そうですね。「YOKOHAMA MUSIC AWARD」には先ほど申し上げたような狙いがあったので、「東京にライブをしにいくのではなく、むしろ東京からお客さんを呼ぼう」という気持ちでライブイベントも企画していたんですよ。いきものがかりによく出演してもらっていたのが「横浜小町」という女性ボーカルのアーティスト限定のイベント。そのイベントの会場だった新横浜のBeLL’sというライブハウス(現:新横浜LiT)は、地元の懐かしの場所として、テレビ番組や取材などで3人も何度となく訪れていたようですね。


-その頃のいきものがかりはまだメジャーデビュー前でしたが、当時のライブを観て、加藤さんはどう思いましたか?

その「横浜小町」で僕がいきものがかりのライブを観たとき、「花は桜 君は美し」を唄っていたんですよ。あの曲を生で初めて聴いたとき、自分の心が揺り動かされたことを今でも憶えています。「日本語の響きを大切にするバンドなんだな」と思いましたし、「地球」も歌っていたのですが、なおさら「大学生でこういう詞を書けるバンドがいるんだ!」という印象が強かったです。これからの活躍がすごく気になるなあとも思いました。


-そして2005年4月には、いきものがかり初のラジオレギュラー番組「寄り切り!押し出し!!上手投げ!!!」が始まりましたね。

「YOKOHAMA MUSIC AWARD」をきっかけに、番組やライブイベントなどにも出演してもらい、関係値を積み重ねていけたことが、レギュラー番組のスタートに繋がりました。


-関係値の積み重ねがあったとはいえ、メジャーデビュー前のアーティストにレギュラー番組を持たせるのはかなり冒険的なのでは?と思いました。

生放送の番組ではなかったので、上手くいかなければ録り直すことができますし、心配は全くありませんでした。それに、僕たちとしては「YOKOHAMA MUSIC AWARD」で紹介したインディーズアーティストがやがてレギュラー番組を持ち、人気が全国的に広がっていくというストーリーを思い描いていましたし、地元で頑張っているアーティストを実際に見つけられたんだったら、彼らのことを後押ししていこうよという雰囲気が社内にありましたね。いきものがかりの成長は「YOKOHAMA MUSIC AWARD」の思い描いていたストーリーを象徴するようなものだったと思います。


-ちなみに、いきものがかり以外で、「YOKOHAMA MUSIC AWARD」が輩出したアーティストといえば?

いきものがかりと同じ時期に楽曲を紹介していたのがRADWIMPSです。
時期は違いますが、ほかにはASIAN KUNG-FU GENERATION植村花菜もいました。


-RADWIMPSは横浜出身のバンドで、いきものがかりの3人は、RADWIMPSの異才ぶりに当初から圧倒されていたこと、RADWIMPSの楽曲「へっくしゅん」をラジオで聴いて衝撃を受けたことなどを公言しています。

いきものがかりとRADWIMPSは「YOKOHAMA MUSIC AWARD」の双璧だったと思っています。また、僕らスタッフとしては「この番組で紹介したアーティストが、いつか紅白歌合戦に出演したり、横浜アリーナのステージに立ってくれたりしたらいいなあ」という夢を持っていたので、この2組は夢を叶えてくれた存在でもありましたね。


-「寄り切り!押し出し!!上手投げ!!!」が、いきものがかり初のレギュラー番組だったこともあり、メンバー3人は同番組のディレクターだった加藤さんにしゃべりの作法をゼロから教わったというふうに言っていました。

インディーズの頃の彼らのライブMCは、誰かがある程度しゃべったあと、2人目がしゃべって、それが終わったら3人目がしゃべって……という進行で、3人でのパス交換がありませんでした。なので、僕からは「3人で会話のパス回しをしよう」「誰がシュートを決めてもいいから」と伝えましたね。でも、それだけなんですよ。そこから先は彼らが自分たちで3人それぞれの立ち位置を見つけていったというか。水野さんが会話を引っ張り、吉岡さんが2人からツッコまれるようなボケをして、山下さんが話を上手く落とし込んで……この3人のバランスは、番組を通じて生まれたものだと思います。


-「寄り切り!押し出し!!上手投げ!!!」は2008年3月に終了し、次にいきものがかりがFMヨコハマでレギュラー番組を持つ機会となったのは、2015年4月に始まった水野さんの単独レギュラー番組「SATURDAY NIGHT J-POP」でした。

7年ほど期間が空きましたが、僕からすると、変わらないなあという印象でした。確かにその7年間で彼らは、シングルやアルバムを出せばヒットして、武道館のステージに立って、それこそ横浜アリーナのステージに立って……というふうに、ビッグアーティストとしての道のりを歩んでいきました。それにもかかわらず、僕と彼らの間柄は、「寄り切り!押し出し!!上手投げ!!!」をスタートしたあの頃から全く変わらなかったんです。みんなに愛される曲、ずっと口ずさんでもらえる曲を作り続けるなかで、いろいろな葛藤やプレッシャーとの戦いがあったんじゃないかと思います。それでも、水野さん、山下さん、吉岡さんと一緒におしゃべりしているときの楽しい雰囲気は、初めて会ったときと変わらなかった。それが嬉しかったです。


-今年の夏、山下さんがいきものがかりを離れました。インディーズ時代から3人を見てきた加藤さんは、どんなお気持ちでしたか?

山下さんが卒業するという話を聞いてからの1週間は、どよーんとしたものが自分にのしかかっていたような感覚でした。僕自身、3人のいきものがかりは永遠に続くものだとどこかで信じていた部分があったんですよ。というのも、デビューして間もない頃の彼らのインタビュー記事のなかで、「いきものがかりの目標は?」という質問に、水野さんと山下さんは2人揃って「続けること」と答えていたんです。僕は「YOKOHAMA MUSIC AWARD」という番組を通じて、「いつか横浜アリーナのステージに立つようなアーティストを」「紅白に出るようなアーティストを」という目標を掲げていたので、メジャーデビューしたばかりの彼らが「続けること」を目標に掲げていたのが印象的でした。自分の考え方を変えるきっかけにもなりましたし、音楽を続けることほど難しいことはないんだということをいきものがかりが教えてくれたんです。それもあり、未来永劫3人で続けていくんだろうと思っていたのですが……。「一つの時代が終わる」というふうに思いましたね。


-山下さんの決断は、加藤さんにとっても大きな出来事だったんですね。

はい。彼らの音楽を最初に紹介したのがFMヨコハマだったので、3人のいきものがかりとしての区切りもここでつけてほしいなあと思っていたんです。それが、上手い具合に7月31日が土曜日で「上手投げ!!!ラジオ」の放送日と重なることがわかって、生放送が実現できることになりました。「3人で最後の日、どうやって終わろうか?」ということをずっと考えていたんですけど、途中から「これは終わりじゃない」「山下さんにとっても、いきものがかりとして活動を続けていく2人にとっても、新しい門出なんだ」と考えるようになって。というのも、(山下に関する)発表があった6月2日以降、山下さんの収録が何度かあったんですけど、山下さんの様子がいつもと全然変わらないんですよ。


-ラストライブについても「意外とカラッとライブを終えられた」と言っていましたからね。

番組の最終回の場合、あの人からコメントをもらって、泣かせに入って……という演出を考えがちなんですけど、山下さんと接しているうちに、お涙頂戴の演出はせず、最後まで普通にやろうという気持ちが芽生えていきました。いつも通り楽しくやって、いつも通りリスナーに喜んでもらう。そんな放送で3人の歴史を閉じる、そして新しいスタートを切るのが一番ふさわしいのかなと思い、ああいう形にしました。


-実際、7月31日の放送は、このまま来週も3人で放送を続けていくんじゃないかと思えるような温度感でした。

そうなんですよね。つまり、ホームであるFMヨコハマで、いつもの彼ららしく3人での活動を終えられたということなのかなと思います。ただ、そんななかでも、「寄り切り!押し出し!!上手投げ!!!」の頃からの変化を感じた瞬間がありました。いきものがかりは、メジャーデビュー当日の2006年3月15日に初めて生放送を経験したんですよ。生放送なので「〇時〇分までにナレーションを終えなければならない」という尺が決まっているのですが、当時は初めてだったこともあり、決められた時間よりもだいぶ早くしゃべり終えてしまいました。だけど、先日の7月31日の放送では、残り1秒まで3人でお話ししてくれて。最後の1秒まで大事にしてくれている姿には、彼らのファンに対する感謝の気持ちがすごくよく表れていたなあと感じました。

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前列・左:加藤直裕さん
前列・右:峰村知子さん(番組ディレクター)


-いきものがかりとして活動を続けていく水野さんと吉岡さん、そして新しい道を歩み始めた山下さんに、改めてメッセージをいただけますか?

水野さんと吉岡さんについては、これまで通り、変わらずにアーティスト活動を続けていってほしいです。そのなかで、水野さんや吉岡さんがいきものがかりとして表現しようとしている「一人でも多くの人に愛される、永遠に歌い継がれるナンバー」を届け続けてほしいなあと思いますね。山下さんについては……こんなご時世なので、慰労会を開けなかったんです。山下さんとは「いつかやろうね」という話をしているのですが、もしも許されるのであれば、キャンピングカーでの旅の行き先に、僕らスタッフも出かけていって、たき火でも囲みながら、美味しいお酒が呑みたいですね。実は僕自身、山下さんのようなライフスタイルにどこか憧れている部分があるんですよ。でも、それには勇気と財力が必要なので、簡単に真似できないなあとも思いますけど(笑)。


-はははは。山下さんの今後も気になるので、FMヨコハマでぜひ特集を組んでほしいです。

山下さんから「また番組をやりたいんだけど」と声をかけてもらえたら嬉しいなあと思っています。7月31日の放送には、あえてサブタイトルをつけなかったんですよ。例えば「寄り切り!押し出し!!上手投げ!!! ~また会う日まで~」みたいなタイトルにしてしまうと、一つピリオドが打たれてしまう気がしたので。そうしなかったということは、やっぱり「この番組はまたいつか3人でやるんだよ」という気持ちが自分のなかにあるんだと思います。

-メジャーデビュー日にしろ、3人で活動する最後の日にしろ、いきものがかりは節目を迎えるタイミングで、不思議なくらいFMヨコハマにいるんですよね。そう考えると、次の節目もFMヨコハマで迎えることになるかもしれないし、加藤さんとしても、「それがいつになるんだろう?」という楽しみがあるのではないでしょうか。

本当にその通りですね。これからもいきものがかりの物語は続いていきますし、山下さんも様々な活動を続けていくでしょうから、その先に3人でまた番組をやれる日が来るんじゃないかという期待感は非常にあります。それがどんなタイミングなのか、そしてどんな番組になるのかは、考えるだけでもワクワクしますね。


-そんな日が来ることをいちリスナーとして楽しみにしています。では、最後の質問を。加藤さんにとって、いきものがかりとは?

難しい質問ですね……僕自身ラジオの仕事をずっと続けていますけど、正直、いきものがかりに代わるアーティストにまだ出会えていないんですよ。卵のような存在だったアーティストが、殻を破って、大きく成長して、羽ばたいていって……という過程をすぐそばで見させてもらえたのは、今のところ、いきものがかりだけなので。それに、いきものがかりは、アーティストとしてこんなにも大きくなったにもかかわらず、FMヨコハマに来たときには「こんにちは」「お久しぶりです」ではなく、「おかえりなさい」と声がかかる。そういったアーティストは本当に稀有なんです。これだけ素敵な歌を僕らに届けてくれて、大きな存在になっても、変わらない距離感でいてくれる。なので、一言で言うなら「出会えたことに感謝」です。


【PROFILE】
加藤直裕
横浜エフエム放送株式会社
制作部所属

ラジオ番組の制作会社、フリーのディレクターを経て、2001年4月、横浜エフエム放送株式会社に入社。これまでに様々な番組を手掛け、現在は「ちょうどいいラジオ」「F.L.A.G.」を主に担当している。
インディーズミュージシャン対象のコンテスト番組「YOKOHAMA MUSIC AWARD」(2000年7月~2017年3月。現在は後継番組「KANAGAWA MUSIC LAND」が放送中)のプロデューサーでもあり、いきものがかりと共に仕事をするようになったきっかけは、同番組で「真夏のエレジー」を紹介したことから。いきものがかり初のラジオレギュラー番組「寄り切り!押し出し!!上手投げ!!!」(2005年4月~2008年3月)、水野良樹単独レギュラーの「SATURDAY NIGHT J-POP」(2015年4月~2016年3月)、「超 寄り切り!押し出し!!上手投げ!!!リターンズ!!!!」(2016年4月~2016年9月)、山下穂尊単独レギュラーの「上手投げ!!!ラジオ」(2016年10月~2021年7月)、その後継として水野がパーソナリティを務める「寄り切り!ラジオ」(2021年8月~9月)と、FMヨコハマにおけるいきものがかりの全レギュラー番組にディレクター・プロデューサーとして携わっている。

Fm yokohama 84.7
https://www.fmyokohama.co.jp/


取材日  : 2021年08月
取材/文 : 蜂須賀ちなみ (@_8suka)
編集   : 龍輪剛
企画   : MOAI inc.