Thunder Snake ATSUGI 渡辺理之さんに訊く いきものがかりの変わることのない魅力
3人のいきものがかり最後の出演番組「BSいきものがかり 3人でのラスト出演SP」。
収録の舞台となったのは、サンスネの愛称で知られる厚木のライブハウス「Thunder Snake ATSUGI」。ここもまた、いきものがかりにとっての大切なホームであり、初のワンマンライブを行った思い出の場所だ。
Thunder Snake ATSUGIを運営し、いきものがかりをメジャーデビューへと導いた渡辺理之さんに、“先生”だからこそ語ることができる“教え子”の変わることのない魅力について聞いた。
-今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします! 3人には「社長が爆喋りするから、言ってほしくないことがあってもそれは許してね」と伝えておいてもらえればと(笑)。
-渡辺さんだけが知る秘蔵エピソード、期待しています(笑)。まず、Thunder Snake ATSUGIがどんなライブハウスなのか、渡辺さんがどのような想いで経営しているのかを伺えますか?
厚木はミュージシャンも非常に多いんですね。だけどThunder Snake ATSUGIがオープンする2002年までは、ミュージシャンがライブをできる場所がなかった。なので、そういう場所を作ろうというのが発端でした。俺としては、神奈川の音楽シーン・文化を守りつつ、地元密着でみなさんに音楽を楽しんでいただける場を作ることで社会貢献していきたいなあという想いがあります。あと、若い子たちには夢を与えたい。目的意識を持ちたいのに持てずに音楽をやっている子たちに対して「こういうふうにやれば音楽で生計を立てていけるんだよ」という道筋を示したいんです。
-Thunder Snake ATSUGIといえば、緞帳代わりのシャッターが名物になっていますよね。どうしてステージにシャッターをつけようと思ったんですか?
おじさんのバンドでも高校生のバンドでも、舞台に上がる以上はスターになってほしい。そんな想いからあのシャッターはつけました。昔自分でも音楽をやっていたんですけど、そのとき、バンドが自分たちで片づけをしていて、お客さんも仕方あるまいと思いながらそれを見ていて……という様子がカッコ悪いなと思ったので、それをどうにかしたかったんです。とはいえ、まだバンドを始めたての子たちは片づけをスタッフに任せることもできない。だったら、片づけをしている姿が完全に見えないように、シャッターを閉めるようにしようと思ったんです。アルミのシャッターだったらもっと安いんだけど、防火用の重い鋼鉄製シャッターにすることでゆっくり上がるようにして、ドラマティックな演出を狙っています。
-なるほど。いきものがかりとはどういうきっかけで出会ったんですか?
聖恵から「ライブがしたいんですけど」と電話がかかってきて、話を聞いてみたら、どうやらライブハウスがどういうものなのか分かっていなさそうな感じだなあと(笑)。それなら実際に来てもらった方が早いんじゃないかと思って、「一度おいで」と言ったのが始まりでした。ワンマンライブがしたいと言っていたので、実際に会場を見せて「こんなに広いんだよ」「それにいろいろな人が働かなきゃいけないから、ハコ代というものがかかって」「だけどハコ代を全部自分たちで持つのは大変だから、まずは対バンに出演するといいよ。俺が他のバンドも集めてあげるから」と伝えたんですけど、その日は「うーん……」と言いながら帰っていった覚えがあります。で、何日か経ってから、水野から「やっぱりワンマンでやりたいです」「だってミスチル(Mr.Children)だってワンマンやってるじゃないですか」と言われて。
-インディーズバンドの場合、最初のうちは集客が少ないから対バンからスタートするのが当たり前なのに、いきなりワンマンをやるなんてかなり無謀なことですよね。
全っっっ然無謀でしたね。300人ぐらい入る会場ですから、彼らの場合、1人につきお客さんを100人呼ばなきゃいけないので……100人っていったら学校の3~4クラス分ですよ? いくら友達が多くても難しいですよね。なので、「やっぱりワンマンがいい」と言われたときは正直「この子たち何を言っているんだ?」と思いました(笑)。それに当時は小室哲哉全盛期で、確かにゆずの影響で路上ライブは流行っていたものの「いったいこの3人でどんな音楽をやっているんだろう?」という気持ちもあって。
-そのあと実際にライブを観に行ったのでしょうか?
はい、水野から「観に来てくださいよ」と言われたので、路上ライブを観に行きました。俺はちょっと離れたところから観ていたんですけど、始まった瞬間、3人の――特に聖恵の歌声のバイブレーションみたいなものをすごく感じて。聴きながらちょっと涙が出てしまいました。「歌詞がすごい」とか「演奏が上手い」という話ではなく、「これは魔法だな」と思いましたね。
-魔法ですか。
聖恵が唄い始めて3人が演奏し始めた瞬間、まるでストップモーションみたいに人が止まるんですよ。雑踏の中でそういう瞬間を切り取れるのは、魔法みたいだなあと思いました。魔法が使えるアーティストはやっぱり売れるし、逆に、魔法が使えないのに大人の力でメインストリームに上がっていってしまったら、そのアーティストはすぐに終わってしまいます。あの3人は当時からすでに魔法を持っていた。聖恵が唄うから水野の歌は魔法になったし、聖恵が唄うから穂尊の歌は魔法になったんだと思います。
-そこから初ワンマンに向かって動いていったのでしょうか?
そうですね。路上ライブを観て「この子たちと何か一緒にやってみたい!」という気持ちになったので、「やっぱりワンマンやろう!」と彼らに伝えて。「でも最初からワンマンは難しいって言ってたじゃないですか」と言われたけど、「いや、頑張って300人集めよう」「集まらなかったら足りない分は俺が出すから」と返しました。それで呼べる人全員集めようという話になったんですけど、当時はまだネットが発達していなかったので、3人が自分たちの知り合いの連絡先をバーッとリストにして、毎日うちのロビーで電話をかけまくっていたのを覚えています。
-そうして300枚のチケットを本当に売り切ってしまったわけですから驚きですよね。いきものがかりの3人は「渡辺さんから様々なことを教わった」と言っていますが、音源を作るように勧めたのも渡辺さんだったそうですね。
インディーズ1stアルバム『誠に僭越ながらファーストアルバムを拵えました…』はうちでレコーディングしました。2~3日ぐらいぶっ続けで、「聖恵、今の唄い回しいいじゃん!」「この詞泣けちゃうね~」みたいなことを言いながら録った覚えがありますね。実は、先程お話しした路上で聴いて涙した曲というのが、このアルバムの5曲目に入っている「ノスタルジア」で。俺としてはとにかく「ノスタルジア」を録りたいという気持ちが強かったです。
-渡辺さんから見て、当時の3人はどんな感じでしたか?
ギラギラしていました。当時コンサートを一緒に観に行ったりしていたんですよ。エヴァネッセンスのライブの帰りに聖恵が「(ボーカルの)エイミーはいいなあ」って言うから、「何がいいのよ?」って聞いたら、「だって、あれだけの人たちが全員エイミーを観に来てるんだもん」「いいなあ。私もああいうふうになりたいなあ」と言っていて。それに対して俺は「大丈夫、心配しなくていい」「エイミーよりも大きい会場でライブできるようになるよ」と返していました。それは別に適当に返事したわけではなく、本当にそうなると思っていたので。当時は俺自身もまだ若く、情熱で突っ走っていたので、常に「水野、次は武道館だー!」みたいなテンションでした。もしかしたら3人の方が冷静だったかもしれない(笑)。
-それにしても、いきものがかりとエヴァネッセンスってイメージがなかなか結びつかないです。
うちのライブハウスでは、セッション大会のようなものを開催することがあるんですよ。当時、聖恵が「エヴァネッセンスを唄いたい」と言うからコピーしてもらったことがあって。そのときは水野がラップをやっていましたよ。
-それはちょっと想像つかないですね……! そのほかに印象に残っているエピソードはありますか?
まだデビュー前だった彼らが「相模原市民桜まつり」でライブをしたことがあったんですよ。当日は桜並木の下に出店が並ぶんですけど、彼らが唄い始めた瞬間、風がバーッと吹いて、桜が一斉に舞い始めて。しかもそのあと「SAKURA」という曲でメジャーデビューしたものだから、俺はすごくビックリしたんですよ。3人はそのことを覚えてるかな?
-それこそ魔法のような出来事だったというか。
そうですね。それで言うと、「ワールド・ベースボール・クラシック」のCMで「SAKURA」がチェンジの度に流れていたときもビックリしましたよ!
-「SAKURA」はNTT東日本「DENPO115」のCMソングでしたが、準決勝、決勝と日本代表チームが勝ち進んでいき、視聴率が40%を超えるなか、何度もCMがオンエアされたんですよね。それで話題になったことが「ミュージックステーション」初出演にも繋がっていて。
その話を聞いたとき、彼らはすっごく引きが強いなあと思いました。「これは本当にすごいところまで行っちゃうんじゃないか?」と感じた瞬間でしたね。
-それ以降の3人の活躍を渡辺さんはどのように見ていましたか?
俺、実は心配していたんですよ。だって彼ら、いい大学を卒業しているじゃないですか。違う仕事に就く道もあったのに「絶対に上手くいくから音楽業界に入りなよ」と言ったのは俺で。もちろん最後に決断したのは3人自身ではあるけど、売れるまでの間は、内心すっごくドキドキしていました。だから音楽番組に出演したときは母校の先生のような気持ちで「わあ、テレビ出たー!」って喜んだし、最初の武道館コンサート(2010年)を観たときには号泣したし。あの武道館は一生忘れないと思います。あと、ライブのときにベースを弾いている安達(貴史)は元々Thunder Snake ATSUGIによく出ていて、付き合いが長いんですよ。4人が一緒に活動を続けて活躍している姿を見ていると……感激もひとしおですよね。
※写真・右から2番目:安達貴史さん
-ところで、いきものがかりといえば海老名・厚木ですが、渡辺さんご自身も厚木出身なんですよね。
はい。Thunder Snake ATSUGIと同じ町内に実家があります。Thunder Snake ATSUGIは一度もクレームが出たことがないんですけど、それは、周りの住民のみなさんが「ああ、渡辺さん家の息子さんがやっているところね~」という感じで温かい目で見守ってくれているからなんです。
-いい関係なんですね。いきものがかりの地元愛を感じる瞬間ってありますか?
常に感じています。例えば、10周年のときの海老名・厚木での4デイズライブ(「超いきものまつり2016 地元でSHOW!! 〜海老名でしょー!!!〜」「超いきものまつり2016 地元でSHOW!! 〜厚木でしょー!!!〜)はすごかったですよね。4日間で10万人が海老名・厚木にやってくるわけですから。そのライブは俺も観に行ったんですけど、ライブ中の再現ドラマにThunder Snake ATSUGIも出てきて。うちのスタジオがCGで再現されているのを観ながら「3人とも細かいところまでよく覚えているなあ」と思いつつ、俺の役を演じていたのが藤木直人さんだったから、「藤木さんみたいな色男じゃないんだけどなあ」「何かすみませんね~」と(笑)。
-あはははは。
彼らは、どこでコンサートをやるにしても「海老名・厚木から来ました」と常に言っているじゃないですか。スーパースターになった今でもそう言ってくれるなんて、地元愛以外の何物でもないし、厚木市はいきものがかりの銅像を建てるべきだと思います(笑)。それに、3人で最後の収録(BSフジ「BSいきものがかり 3人でのラスト出演SP」)をする場所にThunder Snake ATSUGIを選んでくれたのがすごく嬉しくて。
-デビュー前から3人を見守ってきた渡辺さんは、山下さんの決断に対してどう思いましたか?
俺が自分の会社を作ったのが、ちょうど今の穂尊と同じ歳のときなんだよね。だから穂尊からその話を聞いたときは「いいんじゃねえの?」「お前がやりたいことがあるんだったらやればいいじゃん」と返しましたね。それに、彼は昔っから旅人ですから。放牧中にキャンピングカーも買っていたし、きっと、長い間旅を我慢してきたと思うんですよね。穂尊はセンスがあるし頭もいいからすぐに他のことができるだろうし、聖恵や水野だって「二度と帰ってくるな!」というテンションじゃないわけだし。3人とももう大人ですから、俺は穂尊の新しい道を応援しています。これからも自分の思う通りに頑張ってほしいし、自分の人生を徹底的に生きてほしい。
-いきものがかりを続けていくことを選んだ水野さん、吉岡さんに対して思うことはありますか?
もう随分前の話ですけど、穂尊と酒を呑んでいるときに「どういう気持ちで曲を作ってるの?」と聞いてみたら、「みんなが聴きたいかなと思う曲を書いてる」と言われたんですよ。それを聞いて、「なるほど、いい答えだなあ」と思って。これはなかなか誤解を生みやすい言葉だけど、「売れるために音楽をやっている」とか「世間に媚びている」という意味ではありません。彼らはみんなが聴きたい音楽を提供し続けることに使命を感じているし、実際にファンの人たちはみんな「いきものがかりのライブがきっかけで結婚しました」とか「出張から帰ってくるときに『帰りたくなったよ』をよく聴きます」というような話をしている。つまり、彼らは多くの人に幸せを与えているし、だからこそ応援してもらえるということじゃないですか。それってある意味、仕事というものの究極の形ですよね。3人はそれを実現してきた。そして今後2人になっていっても、それは間違いなく可能だと確信しています。だからこそ、これからも「みんなのいきものがかり」でいてもらいたい。そうして頑張っていってくださいという気持ちです。
-では最後に、渡辺さんにとっていきものがかりとは?
俺からすれば、いきものがかりは「最高!!」ですね。新型コロナウイルスによる感染症が広まってから1年以上経ちますけど、まさかこんなことになるなんて、世界中の誰も思っていなかったじゃないですか。ライブハウスを運営している我々からしてもどうしていいか分からない状況になってしまったときに、水野はクラウドファンディングに参加してくれたし、穂尊は「ラジオで呼びかけましょうよ」と声をかけてくれて。さっきも話したように、俺からすれば、お互いの気持ちがどんなに繋がっていたとしても、いきものがかりはあくまで「卒業生」です。それなのに、こんなふうに支援や応援をくれたことがすごく嬉しかったんですよね。そういう部分も含め、いきものがかりと出会えたことは俺のキャリアにおいて、そして俺の人生にとっての「最高!!」です。
【PROFILE】
渡辺理之
有限会社ゴールドシップ 取締役
神奈川県厚木市出身。学生時代にハードロックにハマるも、大学卒業後は一般企業に就職。しかし1年10カ月で退職し音楽業界へ。バンドマンとしての活動、スタジオやライブハウスでの勤務を経験後、自身の会社・有限会社ゴールドシップを設立した。2002年12月にライブハウス・Thunder Snake ATSUGIとリハーサルスタジオ・Studio Snakeをオープン。レーベル業・プロデュース業なども手掛ける。
いきものがかりは2003年6月にThunder Snake ATSUGIで初のワンマンライブを開催しており、同氏は前事務所・株式会社キューブにいきものがかりを紹介した人物でもある。
取材日 : 2021年09月
取材/文 : 蜂須賀ちなみ (@_8suka)
編集 : 龍輪剛
企画 : MOAI inc.