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いきものがかりはなぜ独立したのか<山下穂尊篇>

2006年のデビュー以降、数々のヒット曲を世に送り出している国民的音楽ユニット「いきものがかり」。2017年1月から約2年間の"放牧"期間を経て、2018年11月の"集牧"宣言にて活動を再開。2020年4月にはデビュー当時から在籍していた事務所から独立し、メンバー自らが代表を務める新会社「MOAI」を設立した。
「いきものがかり」はなぜ独立の道を選んだのか。
その経緯とそこに秘められた想いを聞く。


-山下さんが独立という選択肢について考え始めたのはいつ頃でしたか?

放牧期間中くらいだったと思います。放牧期間中は3人が個人でいろいろな活動をしていたんですけど、それを経て、メンバー同士で話していくなかで、だんだんそっちに向かっていったと記憶してます。だから、何か決定的なきっかけがあったわけではないですね。ただ、その段階では、いろいろと選択肢があるなかのひとつとして「まあ、独立っていうものもあるよね」っていう感じだったかな。
事務所って親みたいなものだったので、お互いに大人としての意見を言い合ったことがあまりなかったんですよ。そのなかで、(独立が)選択肢のひとつになりえるなっていうことを具体的に考え始めたのは、(事務所と)話をし始めた2019年の春ぐらいだったと思います。


-事務所を独立する、しかも自分たちで会社を作るとなると、背負わなければならない責任やリスクの種類が増えるじゃないですか。そこに対して不安はありませんでしたか?

不安は……まあ、あるかどうかと訊かれたら「もちろんある」と断言できますね。特に今は、こういうご時世になってしまったので。
ただ、いきものがかりは元々3人で始めたものだから、そのときも似たような環境ではあると思うんですよね。20年経って、それに近いものをもう1回やってみようかっていう気持ちの方が大きかったかもしれないです。


-もう1回やってみようと思えたのは、放牧期間があったからこそですか?

そうですね。放牧したときにはもうデビューから10年が経っていて、その10年の間に、気づかぬうちに(いきものがかりの)環境や規模感は変わっていっていたんだと思うんですね。そういう変化を冷静に見ることができていたのが放牧期間だったと思っています。


-その変化は、渦中にいるときにはちょっと気づきにくかったですか?

うーん……。渦中にいるときは渦中にいるときで、それを目指している立場でもあったんですよ。やっぱり、いろいろな人(アーティスト)がどんどん出てくる世界にいるわけじゃないですか。だからこそ、放牧する、1回歩みを止めるっていうことは結構な選択だったし、それに対して全く抵抗感がなかったわけではなくて。
でもそれ(放牧)を選択して、1回クリーニングした状態になったことで「確かに、もう1回自分たちだけでやってみるっていうのもありかもしれないな」っていうところに辿り着いたんでしょうね。それがザクッとした個人的な印象ではあります。


-実際に4月2日から独立されましたが、独立するってどんな感じですか。既に実感はありますか?

めちゃめちゃ実感があるかって言うと、実はそうでもないですね。やっていこうと思っていたこともちょっとまだ踏み出せていないような状況なので、これからだなとは思っています。
これまでのように大きな組織にいる良さもありますけど、今だったら、ミニマムに動ける良さがあると思うんですね。せっかく自分たちで始めたなら、その良さを最大限に活かせるようなことをこれから探していくこと、やっていくことが大切なのかなっていう気がしています。

-先ほど吉岡さんが、いきものがかりを家族に喩えながら、水野さんのことをお父さん、吉岡さんのことを子ども、そして山下さんのことをお母さんと表現していて。お母さんは一歩下がったところから、お父さんや子どものことを見てくれているんだと仰っていたんですよ。

なるほど。


-そんな山下さんから見て、今のいきものがかりはどう映っているのかということを語っていただきたいです。

もう1回手探りをして正解を見つけようとしなければ、っていうところが今の僕らだと思いますね。世間がイメージするいきものがかりと、現状の僕ら――長い間お世話になった事務所を離れて自分たちでやっていくんだっていういきものがかり――は、多分同じものではないと思うんですよ。これまで積み重ねてきたものがあって、だからこそ、何となくの固定観念というか、何となくの世間的ないきものがかりのイメージがあって。もしかしたらそういうものを壊していく時期なのかもしれないとは思っていますね。


-長い目で見て、壊すことが必要だと思っている、ということですか?

そうですね。でもこれまでも、そういうことをやってきているグループだとは思うんですよ。例えば僕らは「SAKURA」という曲でデビューしていることもあって、元々バラードのイメージが強かったと思います。

そこで、2009年に「じょいふる」という曲をやることによって、ある意味世間のイメージを裏切れたと思うんですね。
そういうことを音楽以外のところでもやっているのが今というか。個人での活動も含め、新しいものをやっていける、しかも楽しんでそれをやっていけるっていう状態になることによって、自分たち自身も、もちろん聴いてくれたり観てくれたりしている方々も、また違う世界に踏み出せるようになるんじゃないかなっていう気はしています。



-パブリックイメージが固まることを避けたいという気持ちは、どこから発生するものなのかなと。例えば水野さんの場合は、作曲家としてつまらない人生を送りたくない、だから凝り固まりたくないという性格なんだと思います。山下さんも同じように、クリエイターとしてそういう欲求があるんですかね?

あ~、どうなんですかね? 多分水野さんほどそういう気持ちは……いや、どうだろうな。そんなことないかもしれない。
多分、凝り固まりたくないっていう気持ちは誰にでもあるとは思うんですよ。だけど………僕、「作曲家ですか?」って訊かれたときに「はい、作曲家です」って答えられる自信があまりないんですよ。


-え、どうしてですか?

曲は全然作りますし、詞も書きますし、放牧中も楽曲提供をしていたんですけど……でも、そんな高尚な人間ではないですよっていう気持ちが個人的にはあって。作曲家って言うと、ちょっとすごい感じがするじゃないですか。そうじゃなくて、僕としては「いきものがかりの曲を書く人です」ぐらいの感じなんです。


-世間ではそれを作曲家と呼びます(笑)。

本当ですね。これは何なんでしょう?(笑) 僕、結構アウトドアも好きで。何が言いたいかって言うと、いきものがかりも、自分のプライベートを充実させるためにあるものの一つとしてあるものだ、っていう考え方なのかもしれないです。
僕は元々、いきものがかりというもの、音楽というものが人生の全てですっていうふうに思ったことがあんまりないんですよ。今思い出したんですけど、そういうことを高校の頃に日記に書いてたんですよね。当時は付き合っていた子がいて、地元の友達もいて、いきものがかりがあって。その3つが自分の人生の3大柱だっていうふうに書いていました。


-音楽と友情と恋愛。

そう。今思えば、17、8歳の頃から既にそういうことを言っていたんですね。もちろん、いきものがかりの活動はすごく全力でやってきました。でも、友達に支えられながら(いきものがかりとしての活動を)頑張っていたような時期もあったから、そういう考え方になっていったんでしょうね。
そんななかで、いきものがかりという存在が社会的にすごく大きくなってしまって。それはすごくありがたいことなんですけど……。


-そうなったときに戸惑ったりしませんでしたか?

戸惑いというよりかは、時代時代で比重を調整しながらやってきた感じはありますね。ただ、今は、各々のプライベートもあるし、メンバーがみんな30代後半になったので、「作りたいものを作る」「唄いたいものを唄う」っていうことを大切にしたうえで、もうちょっと自由になっていっていいかもなあとは思っていますね。いきものがかりというイメージに囚われていた部分が各々にあるのだとしたら、そこは解放していっていいのかなって思っています。


-吉岡さんの仰る通り、やっぱり山下さんが一番俯瞰的な目線でいきものがかりを捉えている感じはありますね。

どういう立場かと言えば、一歩後ろで静かに見てますっていう感じはあるかもしれないです。でもそれは単純に、争いが嫌いなだけだと思います(笑)。まあ、20年も一緒にいるので、別に僕が何かを言ったことによって争いになるっていうことでもないし、何か間違ったことがあれば、そこに対して言うことはあると思いますけど。
確かに、一歩下がって全体を見るっていうのが今の自分の役割ではありますよね。将棋で言うと、聖恵と良樹が玉と金。僕は、飛車か角みたいな。


-でも玉や金よりも、飛車や角の方が可動範囲は広いです。

ははは。大切ですよね。


-それは普段の立ち振る舞いの話だと思いますけど、ソングライティング面ではどうですか? 例えば「水野さんがこういう曲を書いてきたから自分はこうしよう」みたいなバランスの取り方をすることってあります?

ありますね。というか、高校生の頃からそれをずっとやってきているんだと思います。良樹が良いバラードを書いてきたらそれに触発されて「俺も良いバラード書こう」って思うこともありましたし、逆に、「じゃあ、それとは真逆のアップテンポで変な曲を書こう」って思うこともありましたし。でもこれは多分、狙ってやってきたことではないですね。意図してそうしているというよりかは、そうなるような環境にいたっていう方が近いかもしれないです。


-何が聞きたいかというと、山下さんが『WE DO』というアルバムにおけるいきものがかりの変化をどう捉えているのか、その上でどう在ろうとしたか、っていう話を聞きたくて。

はい。


-いきものがかりはこれまで、自分たち自身の物語を曲に出すことを意図的に避けてきたグループだったと思うんですよ。だけど『WE DO』では――特に水野さんが書いた「アイデンティティ」、「WE DO」という曲では、その禁から解放されたような感じがあって。一方山下さんは、そういう書き方に寄らなかったなあと私は思ったんですね。

あ~、なるほど。
まず、「アイデンティティ」に関しては、Yakult「ミルミル」のCMに書き下ろした曲で、クライアントさんがターゲット層が20~30代の女性だと仰っていたんですね。それがまさに我々の世代で、聖恵は特にそうで。そことすごくフィットしたっていうのがあります。


で、「WE DO」に関しては、放牧後一発目の曲で、しかも新年から始まるSoftbankのCMの曲だから、確かに僕らは「自分たちが主役だ」とは言ってこなかったグループだけど、多少踏み込んでもいいんじゃないか、殻を脱いでみてもいいんじゃないかっていう状況があったんです。〈わたしたちが主役なんです〉っていうのも、だからこそ出てきた言葉だったと思います。


そう考えると、ご指摘されたように、水野さんはそういうことを意図的にやってきている人なんですね。で、僕の曲の作り方としては、むしろ逆を行っているんだと思います。


-というと?

リーダーが考えていたようなことをめちゃめちゃ意識して作り込んだ曲はあまりないですし、自分がいきものに対して作る曲は、そんなに変化していないような気がしますね。唯一「太陽」に関しては、ファンクラブのみなさんに届けるという明確な意図があったので、そこにだいぶ寄せましたけど。


僕は、曲を通じていろいろな人が主人公のストーリーを書いていて。自分にとってはそれがすごく楽しかったし、今もそこに曲を書く意義を見出しているんですよ。
リーダーがそれ(自分たち自身の物語)を曲に出せるようになってきたっていうのは、もちろんいいことだとは思います。でも僕は、リーダーほどそういうことを意識してはいないと思いますね。
だから今回のアルバム(『WE DO』)も、「WE DO」や「アイデンティティ」みたいな意図がある曲もあれば、もうちょっとナチュラルに「いい曲を作ろう」っていう空気で改良されていった曲もあるわけで。


-全体として見たときに偏りがない感じはありますよね。長年の付き合いがそうさせているのかは分からないですけど、水野さんと山下さんは、すり合わせのようなことをしなくても、お互い違う作風で曲を書いていますよね。それによって生まれる絶妙なバランスがいきものがかりにはあるというか。

そうですね。さらにそこに一人のシンガーがいるっていうことが重要だと思います。実は僕にも、思いっきり自分のことを書いた曲があるんですよ。高校生の頃、そのとき付き合っていた子に向けて書いた曲があって、それは普通に今でもライブで唄っている曲なんですけど。
その曲で書いていることは思いっきりプライベートなことではあるんですけど、結局、聖恵が唄うことによって、いきものがかりの曲としてまとめ上げてもらえるんですよね。それがいきものがかりのよく分からない部分ではあると思います。


-同じようなことを水野さんも仰っていました。

ははは。そうなんですね。


-因みに山下さんは、解散したい、脱退したいと思ったことはこれまでにありましたか?

うーん……。そうする必要はないかなって思っていましたね。確かにやめたいと思うほどつらいこともありましたけど、それは別に、解散する理由にはならないのかな、みたいな。そのくらいナチュラルでいいと僕は思っていますね。これが例えば「東京に出てきて一旗揚げよう」みたいな感じで集まったバンド・グループだったら、また違うのかもしれないですけど、いきものはそうではないから。神奈川の海老名・厚木という、横浜でも川崎でもないところで育った普通の男の子と女の子なので。
それに、もう人生の半分以上を一緒に過ごしてしまっているので、ある意味では、家族よりも家族っぽいんですよね。でも他人っちゃあ他人だし、不思議なグループだなあとは思います。

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取材日  : 20204月
取材/文 : 蜂須賀ちなみ (@_8suka)
企画   : MOAI inc.​​