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幸運は巡る!おかねの女神💖さきこさん〜税理士さきこさんの万華鏡的生き方のススメ〜第2話 さきこさんのトラウマ~中学時代のイジメ体験・・・


#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 #キラキラ終活#ハートのパワー

第2話 さきこさんのトラウマ~中学時代のイジメ体験・・・


・中学校時代のイジメ体験・・・そして、高校・大学時代の挫折


-封印された記憶


中学校時代の記憶は、さきこさんにとって曇ったガラスのようにぼんやりとしていた。彼女には思い出がほとんどない。ただ一つ、忘れることができない瞬間があった。それは、「あの子、外してしまおう!」という一言。意地悪な目と口、縮れた束ねた髪のその子の顔が、今でも脳裏に焼き付いていた。


その日から、さきこさんの世界は変わった。今のようにSNSがあったわけではないが、彼女は同級生たちから無言の孤立を味わうことになった。今であれば、LINEのグループから外されるという状況などはさらに苦痛であると思う。それでも中学校時代のことを思い出すのは辛かった[NW1] 。

-成長と成功


母校の中学校に足を踏み入れることさえも嫌だったさきこさんは、税理士として成功を収めた。ある日、租税教育の出前授業をするために、数十年ぶりに母校を訪れることになった。その時の心境は複雑だった。


さきこさんは税理士なった。さまざな頼まれごとがやってきた。女性登用と言う視点からも依頼があった。そのひとつ、学校運営評議員としての最初の会合に出席したとき、「中学校時代の一番楽しかったことを書いて自己紹介をしましょう」というお題とそれを書くためのホワイトボードが与えられた。彼女は戸惑った。そんな思い出はないからだ。


中学校時代、さきこさんは仲間外れにされていた。友人と呼べる人はほとんどいなかった。周りの子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見ながら、自分の居場所がないことを痛感した。どれだけ努力しても、心の奥底にある孤独感は消えることがなかった。


さきこさんはホワイトボードに何も書くことができなかった。その時、彼女は自分の過去と向き合う必要があると感じた。彼女は深呼吸をし、率直に言葉を選んだ。


「中学校時代の思い出は、楽しいことはほとんどありませんでした。しかし、その経験が私を強くし、今の私を作りました。いじめにあったことで、人の痛みや辛さを理解し、それを乗り越える力を身につけました。だから、今ここに立っている自分を誇りに思います。」


その言葉を聞いた他の評議員たちは、静かに頷いた。さきこさんの勇気と誠実さに感動し、彼女の物語は新たな一歩を踏み出すための礎となった。

その瞬間、封印していた辛い思い出がフラッシュバックした。


「楽しかったことなんてあっただろうか?」と自問するさきこさん。中学校時代の同窓生には会いたくなかった。しかし、彼女が生き続けることができたのは、両親の支えと勉強の成果、そして唯一の友人の存在のおかげだった。彼女はいつも万華鏡のように、嫌な思い出をクルクルと別の場面に変えることで生き延びてきた。


当時、さきこさんは一人で自転車で散歩に出かけることが唯一のリフレッシュ方法だった。今でも、その意地悪な同級生の顔が焼き付いているが、彼女はその記憶を無意識に封じ込めていた。



-過去との遭遇


数年前、さきこさんはプチ同窓会に参加する機会があった。しかし、同級生たちの思い出話にはついていけず、自分がその輪の中にいないことを改めて感じた。


さきこさんに話しかけてきた同級生がいた。彼女は当時、いじめの中心人物だった。

「あらっ、さきこ、久しぶり。元気にしてた?」と声をかけられた瞬間、さきこさんの心は動揺した。


「元気にしていたわ。あなたは?中学校時代のこと覚えてる?」とさきこさんは静かに尋ねた。

彼女は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔に戻った。「ええ、私も元気にしてたわよ。中学時代ってもう随分前のことになったわね。」


その瞬間、さきこさんの心に冷たい風が吹き抜けた。彼女の言葉は予想通りだったが、それでもその無関心さが胸に刺さった。

さきこさんは一瞬黙り込み、その後穏やかに微笑んだ。「そうね、そう、大昔のことだものね。」


そして、その場を離れ、静かに会場を後にした。外の空気を吸いながら、さきこさんは自分の中で決意を新たにした。過去に縛られることなく、自分自身のために生きることを。そして、同窓会の会場を背に、彼女は一歩一歩、未来に向かって進んでいった。


-高校・大学時代の挫折

中学校から高校時代、記憶がないという方が正しい。そう、成長するにつれて、孤独感はますます深刻になっていった。友達と過ごす時間が増えるはずの青春時代も、私にとってはただの通過点でしかなかった。何をしても「楽しい」と感じることができず、自分だけが取り残されているように感じた。

さきこさんは、引きこもりの大学生活を送っていた。大学入試で燃え尽きた。

弁護士になりたいと思っていた。小学校の卒業文集にはそう書いた。

松本清朝の霧の旗を読んで、冤罪事件に立ち向かう弁護士になりたかった。

国家資格があれば、自立できると思っていた。


でも、入学した地元の大学には、その当時弁護士資格を取るための講義はなかった。目的を失ったさきこさんの足は大学には向かわなかった。

さきこさんは次第に家に引きこもるようになった。朝は遅くまで寝て、夜はテレビを見て過ごす日々が続いた。家族とのコミュニケーションも減り、友人とも疎遠になった。


ある日、母親がさきこさんの部屋に入ってきて言った。「さきこ、何かやりたいことはないの?」さきこさんは黙って首を振った。母親はしばらく黙っていたが、やがて小さな声で言った。「お父さんと話してみない?」


さきこさんは父親のことを思い出した。父親は昔から厳しく、さきこさんが何かを諦めることを許さなかった。しかし、その厳しさの裏には深い愛情があったことも、さきこさんは知っていた。

その夜、さきこさんは思い切って父親に部屋をノックした。「入っていい?」と尋ねると、父親は驚いた表情で振り返り、頷いた。


「何か話したいことがあるのか?」父親の声にはいつもの厳しさがあったが、さきこさんはその中に温かさも感じ取った。

「お父さん、私、もう一度勉強したい。でもどうしたらいいか分からない。」


父親はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。「さきこ、人生にはいくつもの道がある。失敗しても、また立ち上がることが大事だ。君が本当になりたいものがあるなら、どんな困難も乗り越えられるはずだ。」

その言葉に、さきこさんは涙が止まらなかった。父親の言葉は、さきこさんに新たな希望と勇気を与えてくれたのだった。

-先輩の励まし

最近、さきこさんは、大学のテニス部の先輩と話す機会がありました。彼は、商社勤務などを経て、今はリタイアしています。


さきこさんは、その先輩から聞かれました。

「さきこ、大学時代は勉強しているって感じじゃなかったのに、いつ税理士になったんだ?税理士になるためには相当な勉強が必要だよね。何か理由があったのか?」先輩は興味津々で尋ねました。


さきこさんは少し微笑んで答えました。「実は、大学にはあまり通わず、大学4年生のときには税理士事務所でアルバイトをしていたんです。現場での経験が楽しくて、そのまま続けていたら、きっと二十代で資格を取れたと思います。でも、税理士になるための勉強は一切しなかったんです。民法のゼミでも落第生でした。」

「燃え尽き症候群ってやつか。」先輩は理解したように頷きました。「大学生活も学びも遊びも満喫せず、ただ過ごしていたんだな。」


「はい、成績は悪くなかったんですけど、中身は何もない感じでした。」さきこさんは肩をすくめました。テニスもヘタッピだったし、学びも何もしない。

今思えばもったいない学生生活を送っていました。でも、ある時、同窓生が税理士の資格を取るために勉強していると言っていました。彼女にできるなら、私にもできる!と思ったことがきっかけで勉強を始めました。思いの他、年数がかかり、10年も勉強していました。


「そうか、がんばったんだな。だから資格が取れたんだね。」と言ってくれました。さらに「今、目指している女性や子どもたちの支援もその思いで動いていたら、きっと何かに繋がるよ。よい出会いがあると思うよ。」と先輩は励ましの言葉を送ってくれました。


さきこさんはその言葉に勇気をもらい、新たな一歩を踏み出す決意を固めました。どんな道を選ぶにせよ、自分の力で道を切り開いていくことが大事だと改めて感じたのでした。



・さきこさんのヨーロッパ卒業旅行


大学4年生の3月、さきこさんは卒業旅行として22日間のヨーロッパ周遊の旅に出ることを決めました。参加したのは「地球の歩き方ツアー」、世界中のバックパッカーに人気のこのツアーは、異なる大学から集まった学生たちと一緒に旅をするというものでした。さきこさんは地方の大学から参加する唯一の学生でしたが、他には有名私立大学や有名女子大学の学生もいて、多様なメンバーが揃っていました。


旅はユーレイルパスを使った列車の旅でした。まず日本を出発し、アンカレジ経由で太平洋の日付変更線を行ったり来たりしながら、6回も機内食を食べるという珍しい体験をしました。アンカレジの寒さと、飛行機の窓から見える白い雪景色は、これから始まる冒険に胸を高鳴らせるものでした。


最初に着いたのはギリシャでした。アテネの空港に降り立った瞬間、さきこさんはその土地の暖かい空気と、歴史の香りに包まれるような感覚に浸りました。空港から市内へのバスは、多くの人で賑わっていました。バスの中で目にしたのは、スラブ系の民族の堀が深い目と目が印象的な人々でした。彼らの特徴的な顔立ちと、異国の文化を感じさせる会話が飛び交う中で、さきこさんは自分が本当にヨーロッパに来たのだと実感しました。


アテネでは、パルテノン神殿やアクロポリスを訪れ、古代ギリシャの歴史に触れました。特にアクロポリスの丘から見た街の景色は、息を呑むほど美しく、古代と現代が交錯する不思議な空間でした。ギリシャ料理も堪能し、特にギロピタやムサカの味は、さきこさんの心に深く刻まれました。


その後、ユーレイルパスを使って列車の旅が始まりました。次に訪れたのはイタリアのローマでした。コロッセオやバチカン市国、トレビの泉など、歴史と芸術の宝庫であるこの街では、数えきれないほどの感動がありました。特にバチカン市国のシスティーナ礼拝堂で見たミケランジェロの天井画は、さきこさんにとって一生忘れられない思い出となりました。


さらに旅は続き、パリではエッフェル塔やルーブル美術館を訪れ、ミュンヘンではビアホールでビールを楽しみ、スイスでは山岳電車で山を登り、ユングフラウヨッホの壮大さに心打たれました。ロンドンやスペインのアランフェスも心に残っています。古い町並みや芸術の素晴らしさやそれぞれの都市で新しい発見があり、異なる文化や人々との出会いがありました。


旅の途中で、ベニスの駅前で、地元の大学の同窓生に遭遇しました。お互いびっくりの出会いでした。今でも懐かしく思い出されます。


旅の終わりが近づくにつれ、さきこさんはこの経験が自分にとってどれほど大切なものかを実感しました。地方の大学から一人で参加したことへの不安は、他の学生たちとの友情や、ヨーロッパの多様な文化を肌で感じることで、すべて消え去っていました。


22日間の旅を終え、日本に帰国したさきこさんは、たくさんの思い出とともに、自分自身が一回り成長したことを感じました。この卒業旅行は、彼女の人生において一つの大きな節目となり、これからの未来に向けての新たな一歩を踏み出すための大きな力となったのです。



・姉の自死、そして独立宣言、税理士になる!


卒業後、税理士事務所に就職しました。しかし、単調な仕事に嫌気がさしていたとき、ある博物館のコンパニオンの募集の記事を見て、これだ!と思い、受験、合格、そして、退職、就職しました。

退職理由は、祖母の病気による看病です。若気の至りとは言え、わがまま身勝手でした。


この時、22才、税理士になったのは、40才

その18年に何があったのだろうか?


さきこさんは税理士事務所に就職しましたが、日々の単調な仕事に次第に嫌気がさしていました。そんな時、地元の博物館がコンパニオンを募集している記事を見かけ、「これだ!」と直感しました。さっそく受験し、見事に合格。そして、税理士事務所を退職し、博物館のコンパニオンとして新たな一歩を踏み出しました。退職の理由としては、祖母の病気による看病を挙げましたが、実際は若気の至りでのわがままな選択でした。


その後の18年間、さきこさんの人生は波乱万丈でした。


博物館での仕事は楽しく、新しい人々と出会い、歴史や文化に触れる毎日は充実していました。しかし、準職員であったため安定した収入がないことや将来への不安もあり、さきこさんは徐々に自分のキャリアについて考え直すようになりました。


コンパニオンになった時に、同年代の仲間たちと、開館に向けての準備、研修があり、楽しい日々でした。

素敵な制服を着て、来館者を案内したり、公開実験を担当したりしていました。


ところが、平日、来館者がゼロに近いときなど、やることがないのです。時間の経つのが本当に遅く、ある意味辛い時間でした。

そのため、展示場のデスクである資格試験の勉強を始めた。

そして、合格、退職しました。

その後、法律事務所に就職しました。23才のときでした。


そんなさきこさんに大きな試練が訪れます。
さきこさんが24才、姉が26才で自死したとき、人間はこんなに泣けるものなのかと思いました。身体の中の水分が全てなくなってしまうほど、涙を流しました。そう、しぼんでカラカラになってしまうほどです。


身体の半分をもぎ取られたような感覚でした。姉が心を病んでいることに真っ向から向き合うことができず、避けて通っていました。見たくなかったのです。今とは違い、昔なので閉鎖病棟にいる姉の姿は見る影もありませんでした。


愛が必要なときに、愛を注ぐことができずに逃げていました。


ある夜、姉は私の肩に手を置き、「あなたはしあわせになりなさい」と言いました。そんな姉の手を掴むことができませんでした。酷い私。翌朝、彼女は空へ飛び立ちました。私が見たものは、血の海と歪んだ姉の顔でした。今でもその光景は鮮明に思い浮かびます。


そんな私の心を救えたのは、「神」と「精神世界」でした。現実の友人たちに心を開けたのは、姉が亡くなってから20数年後のことでした。

 


-法律事務所から独立宣言「税理士になります!」


その後、さきこさんは法律事務所に就職しました。しかし、法律事務所での現実は厳しかった。弁護士は重要な役割を担っている一方で、事務局員は自分の判断を求められることがなく、ただボスに指示された通りに書類を作成し、資料を用意するだけの毎日でした。この単調な仕事に嫌気がさしたさきこさんは、再び転職を決意しました。


「税理士になります!」と宣言し、法律事務所を退職しました。税理士になるためには、再び学び直す必要がありましたが、さきこさんは以前の経験から学び、努力を重ねました。


この時点で30代半ばとなったさきこさんは、再び通信で学び始め、昼間は税理士事務所でアルバイトをしながら経験を積みました。家族のサポートも受けながら、地道に勉強を続け、ついに40歳で税理士試験に合格しました。


退職したとき、長男を妊娠していました。出産、子育てをしながらの勉強、長く辛い日々でした。宅急便や専門学校で教えていたり、家庭教師をしていたりしながら、自身の受験勉強もしていました。

育児、仕事、勉強の両立、二度とできないくらい勉強しました。

途中、合格できない数年があり、3科目は合格していましたが、その後の停滞期、受験をやめようと思っていました。


その時に、『継続は力なり』。「受けるのをやめたら終わるよ」との天の声がありました。それは、私に向かって話していてのではない言葉でした。

しかし、私はそれを聞いて、やっぱり受験しようと思い直しました。そして、その後続けて、二科目。合格することができました。


「国家資格は人生を転換するパワーがある」と、さきこさんは振り返る。育児や仕事の合間を縫って勉強に励み、試験に合格するという経験を通じて、彼女は自己の限界を超え、強い意志と忍耐力を身につけました。


税理士として新たなスタートを切ったさきこさんは、これまでの努力と経験が自分を支えていることを実感しながら、未来に向けて歩み続けました。彼女の物語は、多くの人々に勇気と希望を与えるものでした。


次男は喘息の持病がありました。2才のときまで一年で殆ど背丈も伸びず、体重も増えませんでした。咳き込むと食べたものを吐き出してしまう。咳の連続でエネルギーを消費する。そんなことの繰り返しでした。

合格は平成10年、長男は昭和63年生まれ、次男は平成2年生まれ。

今、思い出しても、思い出せないくらい、よくやれたなぁと思います。

これらの日々は、振り返るとまるで夢のように過ぎ去っていったのです。


この時期の経験は、さきこさんにとって大きな試練でありながらも、その後の人生において貴重な教訓となりました。どんなに困難な状況でも、諦めずに努力を続けることの大切さを実感しました。そして、その努力の結果、税理士の資格を手に入れ、自分の夢を叶えることができ、人生を転換できました。


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