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リヒトの風邪とよろめき隊!からの依頼【チョコレートリリー寮の少年たち】

​​─────なんと、あのリヒトが倒れた。
体育の授業中、リヒトとペアを組み手を繋いだ。その時に彼の手が妙にぽかぽかしていたあたりから何かおかしいと思っていた。ほっぺたが紅色で、大丈夫?となんども訊いた。あの時、走り高跳びで自己ベストを叩き出すとか、キックベースの得点王になるのだと言い張る彼を背負ってでも、保健室に連れていくべきだったのだ。結果、リヒトはボールを蹴ろうとして思い切り倒れた。保健係のクラスメイトが病欠していたので、そのかわり僕がリヒトを抱えあげ保健室へ運んだ。ベッドへ寝かせ、布団をかぶせる。
「だから、言ったじゃないか、無理するなって」
「ごめん、心配かけちゃった」
「次からはちょっとでも体調がおかしいと思ったらすぐ保健室へ行くって、今ここで僕と約束して」
「うん、指切りげんまん」
終業のチャイムがなり、一瞬の静寂の後、ばたばたと疾風怒濤の勢いで腹心の友だちが保健室になだれこんできた。
「大丈夫か、リヒト。舞台役者のように綺麗に倒れたから驚いたよ、綺麗っていう表現はおかしいか、でも見事な転び方だった」
「心配かけてごめんね」
「おみずです。喉を潤したら、少しは元気になりますよね」
「ありがとう、ロロ」
「僕、校庭の片隅で実っていたみかんをいくつか、もいできたよ」
「こら、リュリュ。ほんとうはだめなんだぞ。でも今回は、リヒトが可哀想だったし、いいだろう。特例だ」
「うん、お皿に乗せてくる」
「おねがい」
「ちょっと、熱あるかも。つらいよね、どうしよう」
蘭が小さな手のひらをリヒトのおでこにあててつぶやく。
この保健室は厳密に言うと生徒が勝手に使ってはいけない場所だけど、緊急事態だ。そんなことは言っていられない。そして、なぜ保健医がいないのか不思議に思った。ママ・スノウもしかりマグノリアや学院界隈は、違和感をかんじる事柄がいくつもある。本当にささやかなんだけど、何でだろう。無理やりばらばらの図柄の布をパッチワークみたいに縫い合わせたような、歪みというか、違和感。でもきっと、何もかも、わかる時がやってくるのかなと思った。それを知るのは、とてもこわい。だけどこの仲間となら、大丈夫な気がした。
「頭は打ってない?どこが痛い?」
「背中と肩と足が痛い。頭は打ってないよ、一応受け身を取ったから」
「腕は?」
「なんともない」
スピカが戸棚をがさがさ漁っている。僕はみかんの皮を三つ剥いて、リヒトにわたした。
「ゆっくり食べてね」
「湿布を探してるんだけど見つからないなあ」
「まずいんじゃない?勝手にいじっちゃ」
「大丈夫だよ、特定されないよう痕跡は消しておく」
「そうだ!!!!」
「な、なに?!ロロ」
「セルジュ先輩に、診ていただきましょう」
そこでひそひそと相談しあう。あまり大きな声では話せない。
「きっと特効薬を持っているよ」
「なあに?僕のはなし?」
「わあ!びっくりした!!」
セルジュ先輩が星屑を伴ってやってきた。ローブのドレープがあたたかいかぜをはらんでふわりとひろがる。
「よばれたからきたよ。なになに、僕より少しだけちびっこたち。熱?怪我?……いつも元気はつらつなリヒトが、どうしたの、なんてめずらしい」
「こんにちは、セルジュ先輩」
「転んで怪我しました」
「一発で治るお薬、もっていますか」
「うん、わかった……ちょっと待っててね……あ、わあ、大勢でお出迎えありがとう。んー、あ、やあやあ僕だよ。シャルーシッドを呼んできてくれるかい……やあ、ちょっとね、そう、ともだちが。どうしたらいいとおもう?どうしようかなー、打ち身と風邪……えーっとね、そうじゃない。ちょっとちがうかなー、あ!うん、あれがいいね、よしよし。ありがとう、また改めて連絡する」
セルジュ先輩がゆらり、さらさらとスモーキーブラウンの髪を揺らしながら、何やらひとりで呟いている。もう少し伸びたらスピカと同じように一括りにできる長さだ。
話を終えたセルジュ先輩がベッドへ歩み寄り、リヒトの額にそっと口づける。
「……ここならきみたち以外にはだれもいないから、お代は遠慮なく頂戴したよ。実家から薬を喚んだ。でも絶対内緒だからね。あと、ちょっと苦いかも。僻地でないと育たない特殊な柑橘類の皮をブレンドしたり、種を細かく粉砕したものを煮出したシロップを、錠剤にしたものだから。ロロ、お水くんできてあげて」
説明を聞く限り、とてつもなく苦そうなのが伝わってきた。でもこれからさき、何日も湿布を貼ったり熱冷ましをのんだりするよりましだよね、と、声をかけ、つやつやと輝く黒髪をなでる。リヒトはちょっと潤んだ瞳を僕に向け、手をぎゅっと握ってきた。
「ちょちょいの、ちょい。はい、おみずです」
「ありがとう。えっと、体おこせるかな、今少し、ベッドの背もたれ、あげてみたよ。この位で大丈夫?」
「なんとか」
「これ、三錠なんだけど飲めそうかな」
「頑張ります!」
「一気に飲み込んでね」
セルジュ先輩がローブの内ポケットからパラフィン紙に包まれた薬をリヒトに手渡した。ぎゅっと目を瞑って飲み下している。じっとみんなが見つめる中、リヒトが手足をばたばた動かした。
「……あ、わあ、えっ、どういうこと?もう全然平気、足も背中も、身体どこを動かしても全く痛くない!!倦怠感も一瞬で去った……一瞬で治るなんてありえる?なんで、びっくり!!」
「即効性があるんだよねこれ、ちょっとしたまじないがかかっているんだ。無事元気になって良かったよ。一応あと一回分あげる。熱が上がってきたり、どうしてもつらくなったら使って」
「ありがとうございます!助かりました」
「元気になってよかった……」
「セルジュ先輩、すごい」
「それほどでも。実家が薬をあつかっているからなんとなくわかるだけ。そんなこと言ったらきみだって邸宅がものすごいじゃないか」
「僕のうちの鳳達はすごいんです、たしかに」
「客をまねいてアフタヌーンティーを自宅で開けるっていうの、ふつうじゃないんだよ」
「そうだったのかあ」
「こういう、ぽわっとしてるところ、かわいい」
「ロロ、きみにはかなわないさ、おいで」
「わーい!」
腕を広げて抱きしめる。ほっぺたがふにゃふにゃだ。
「いいなあロロ、エーリク独り占めしてる」
「スピカもこうしてほしいの?」
「たまにはな」
ゆったり歩いてきて、長い腕を差しのべてくる。僕も腕を伸ばして、スピカの均整のとれた体をぎゅっと抱きしめた。
「よろめき隊!のメンバーに闇討ちされる可能性があるからこういうとこや、部屋とか誰にもみられないところでね」
「まったく、それにしても……別になにもしてないのにファンクラブができてて本当にびっくりしたよ」
「あのファンレターの数凄かった。驚いて寝込んだもんね」
「うん。もう、おれが公認にしたからどう活動してもらってもかまわないのだけど。みんなに迷惑をかけないって約束してもらったし」
「悠璃先輩やよろめき隊!のメンバーは良識があるというか、かなりひっそり活動してるよね」
「それが、きいてくれよ。手紙が来たんだ、口頭で言ってくれたらべつにいいですよって言うのに、わざわざ。落ち着いた緑色のシーリングワックスまで使ってさ……瞳のせいなのかな、おれのイメージカラーなんだって。立派な依頼状だった。明後日スタジオに呼び出されてるんだ。写真部の人達とよろめき隊!が組んで、セクシーショットを撮りたいのですがという内容だった」
「ぶはっ」
思わず僕はふき出してしまった。彼らは真剣なのかもしれないけど、セクシーショットという単語でもう我慢できなかった。
「ふ、服脱ぐの?」
「いやいや、それはさすがに断る。でも肩だけでも!!とかいわれそうだなあ。眼鏡を外したり、髪をかきあげて物憂げな表情してるところを撮りたいんだってさ。そんなに眼鏡かけてないおれってレア?」
「僕たちは一緒にお風呂に入ったりするから、そんなに珍しくない」
「だよなあ」
髪もほどけているのを頻繁に見かける。だけどよろめき隊!の人たちも必死なようだ。
「うなじを撮りたいというマニアックな要望も書かれてた」
「あはははは!」
がまんしていたのだけど、ついに堪えきれず僕は大声で笑った。ぷるぷる肩を震わせていたら、ロロがやって来て、手をぎゅっと繋いだ。もみじのような愛らしいてのひらだ。
「ぼくたちも見学させてもらいましょう」
「笑い死ぬ」
「そんなこと言わずについてきてくれよ。おれ一人じゃなにをされるかわからなくて不安だ。要望も、エスカレートしたらとめてほしいし」
「ご、ごめん。わらいごとじゃないよね」
「みんなで見に行こう、スピカの凛々しいところ」
「たのしみだね!ぼくらのスピカが……なんだか親友が褒められてると、自分の事のように嬉しいよね」
「うん!そうだなあ、よろめき隊!の子と写真部の子たちに、なにか差し入れしようか」
「そういう相談はノエル先輩に掛け合ってみるのがいいきがするよ」
スツールに座っていたセルジュ先輩がすらりと長い脚を組みかえながら提案した。スピカが頷いてちょっと遠くを見た。グラウンドの片隅にあるにわとりごやを思い描いているのだろう。
「たまご、いりますよね。今朝いっぱいとってオールドミスにお菓子の材料にしてくださいって渡しちゃったから、もうあんまりうんでないかも」
「うーん、レシャとファルリテに、なにか貰えないかきいてみる」
僕は杖を取り出すと、ふわふわと円をいくつか描いた。
「坊ちゃん!こんにちは!」
「今休憩中です」
「二人とも、お疲れ様!鳳は?」
「鳳さんは旦那様とお洗濯中です、珍しく執務が早く終わったとかで、はしゃいでいらっしゃって。鳳さんもそれならばよいでしょうと、お二人でたのしそうに家事をこなしておいでです」
「坊ちゃん、僕らおやつにクレープを焼いたんですけど、とっても美味しくできたんですよ!先日みなさんとお出かけした時に、クレープ屋さんに行って以来、僕らクレープに夢中で……」
「旦那様たちも、ものすごく喜ぶんです。鳳さんなんてもう、生クリームとママレードジャムのを作ってほしいってねだって、夢中で食べるくらいなんです」
「あはは、そうなんだ。甘党だもんね」
「皆さんこんにちは!」
「こんにちはー!」
「あれ、リヒトくん、ベッドにいる。大丈夫ですか?そこ、保健室じゃないですか、」
ファルリテがじっとこちらを覗き込んでいる。眉を寄せて、レシャもよってくる。
「ちょっと転んだだけです、もうなんともありません」
「それなら良かった。お大事になさってくださいね」
「ねえ、レシャ、ファルリテ。邸宅にたまごある?っていうか、お菓子、何かある?」
「ちょっと冷蔵庫見てみます」
「旦那様たちにお出ししたクレープの残りを食べていたんですけど、まだいっぱいあります。張り切って焼いたのです」
「じゃあそれは109号室の冷蔵庫に送ってもらえたらうれしいな」
「はーい!おまかせください……ああ、鳳さんが作ったバターサンドがある。でもこれはきっと、旦那様の分だなあ」
「それは僕がお茶請けにしたいから作って欲しいとお願いしていたと伝えてほしい……実はさ」
僕らはかくかくしかじかと経緯を説明した。なるほど、と二人が頷く。
「撮影はいつやるんですか?」
「明後日のお昼からって、依頼が」
「それなら僕たち、なにか作りますよ」
「それなら、ちょっとつまめるものをお願い。忙しいのにごめんね」
「いえいえ、クッキーとかがいいかなあ、たくさんできるし、撮影の合間に食べられますよね」
「あ!ブールドネージュ、つくれる?食べたい!!いちごのがいいな」
「あんなに簡単なものでいいのかな」
「おいしいもん!作ってほしい!」
「わかりました、では煉瓦模様のアイスボックスクッキーと、ブールドネージュをこしらえることに致します。109号室の冷蔵庫にクレープと共におとどけしますね。皆さんの分も入れておきます。ついでにチョコレートのテリーヌを作ろうかな。これはお部屋で、みなさんで召し上がってください」
「よろしくね、君達には何かお礼を考えておく。ありがとう、本当にたすかった」
「はーい!じゃあ僕達はクレープを食べる仕事ののち、お夕飯とお菓子作りをしますね、楽しみにしていてください!」
「適度に適当に。ゴッドスピード、レシャ、ファルリテ。よろしく頼むよ、じゃあ、またお話しようね、ばいばい!」
杖を振るって、僕は交信をとめた。
「レシャさんとファルリテさん、すごいなー」
「セルジュ先輩にもおすそわけしますので」
「ほんと?いいの?」
「もちろんです。セルジュ先輩に腹心の友を救ってもらいました。お礼をしなくては」
「いいのに、そんなに気にしなくても。でも素直に嬉しい。ありがとう」
スピカがリヒトの背中をさすりながら、大丈夫か、と聞いている。リヒトは笑顔を見せた。すっかり、げんきをとりもどしたようだ。
「それじゃあ、いこうか。ベッドをきちんと正して、勝手に使ったこと、ばれないようにしなきゃ」
僕たちは協力してベッドやお皿を何事も無かったようにかたづけた。スピカが懐中時計を取りだし、時間を確認している。
「よし、少し早いけど夕飯の時間にさしかかるね」
「ロロ、蘭。きょうのお夕飯はなあに?」
学食のメニューのチェックを怠らないふたりの手を繋いで、きいてみる。
「なんと今日は、えびとマッシュルームのアヒージョがでます。バケットか、三日月麺麭がえらべるみたいです。あとは、鶏肉のトマト煮込み……デザートはキウイとパイナップルのゼリー寄せです」
「毎食思うけど、高級レストランのようだなあ」
「アヒージョなんて、食べたことない。どんなものなの?」
「おいしいよ、アヒージョ。あれは説明が難しいなあ。具を食べつつ、残った香草やガーリックのかおりがついた油を麺麭に吸わせて食べるといいよ、僕はバケットにする」
「そうなんだ。じゃあぼくもバケットにしよう。蘭と一緒なら間違いないとおもう。とにかくえびがおいしそう。大切に食べよう。滅多に食べられないもん、えびなんて……実家でそんなお洒落なものを親がつくろうものなら流血沙汰だ。色々切ないんだ……」
「リヒトのご実家、かなり興味ある」
「たぶんぼくの家の様子を見たら泡吹いて倒れるよ、エーリク」
「ゼリー寄せは、奪い合いが予想されます」
「僕がいるから、なにも心配することないさ」
「あっ、ちびっこたちが来た!!おーいおーい!」
「サミュエル先輩!あれ、ノエル先輩と悠璃先輩がいらっしゃらない」
「いま鷹を撃ち落としにいってる。要するにトイレ。僕らで席、確保しよう」
「はあい!」
元気よく声を上げ、席に着く。レモン水のポットを引き寄せ、洋盃にそそいだ。
「リュリュ、蘭、配ってくれる?」
「ぼくもたまには、レモン水係をさぼることにします、リヒト、どうぞ」
病み上がりのリヒトに、椅子を引いて席につくよう促している。
「ありがとう、だいすき」
「ふふ、ぼくもです」
「よーし、二人が戻ってくるまでの間に色々並べちゃおう。ふわふわふわふわー」
ココットにはいっているアヒージョがたくさん、すごい勢いで飛んでくる。
「今日はまだ混み合う前だから、僕本気出すよ。三日月麺麭とバケットも、沢山持ってきちゃえ!」
言うなり、どんっと踵を鳴らした。銀色の器に大量に麺麭がのっている。
「うわー!!」
「すごい、すごい!!」
喝采をあげて、にこにこはしゃいだ。セルジュ先輩は魔法使いとしての天性の素質があるのだなと思う。
「トマト煮込みとゼリー寄せはこんなものかなあ」
ととん、とんとんと杖でテーブルを叩くと、甘い香りを漂わせた深皿が、まばゆいひかりをまといながら、僕たちの席の真ん中辺りに出現する。
「よう、天才。助かった。ちびっこたち、こんばんは。みんな揃ってるな」
ノエル先輩と悠璃先輩がやってきてかわりばんこにセルジュ先輩の肩を抱いた。
「こんばんは!」
「お、エーリクが好きそうなゼリー寄せがあるね。たくさんたべな」
「はい!とても美味しそうです。透明で、見た目からして美しい。僕、パイナップルもキウイも大好き」
「……エーリクは本当に砂糖菓子のような子だな」
「そうでしょうか」
「うん、とても可愛い」
「わからないなあ」
「じゃあ皆さん、席について」
「せーの!」
「いただきます!」
僕たちはごはんをたべながら、今日リヒトが倒れた話をした。先輩方がものすごく驚いて顔を見合せている。そうだよね、と思った。この一年生の中では、一番溌剌としたリヒトが臥せったなんて、にわかに信じ難い話だ。
「びっくり!元気の塊のようなリヒトが倒れるだなんて」
「セルジュ先輩が、きてくださって」
「そこから先の話はここでは秘密。先輩たちにはあとで話すよ」
「うん、何やら大変だったのは伝わってきた」
「校庭に実っていたみかんを、勝手にもいで、たべました」
「あはは、美味しかっただろう。おれもたまにこっそりたべてる。糖度が高くておいしいんだよな、小ぶりだけど」
悠璃先輩がいきなり床にくっつくんじゃないかというものすごいお辞儀をした。皆、ご飯を食べる手をとめて、唖然とする。
「悠璃、なに、どうしたんだ」
「スピカ君、よろめき隊!の!会報の!表紙の!お写真の撮影の!依頼を引き受けてくださって、ありがとうございます!!」
「あ、なんだ、その話ですか。全然構いませんよ、おれでよければ」
「スピカ君じゃなきゃだめなんです」
「愛されてるなあおれ」
「勿論です!!」
悠璃先輩がスピカの視線をぐっと捕まえながら熱弁し始めた。
「スピカ君はきづいていらっしゃらない。どんなに自分が魅力的か、わかって、ない!!」
「ありがとうございます、なんだか照れちゃうな」
「その自覚してないところも、また素敵なんですけど……」
「悠璃先輩、ゼリー寄せ食べますか?」
「ううううう」
「よそいますよ」
スピカがにこにこわらいながら、小皿にゼリー寄せを乗せて、悠璃先輩に差し出した。ぱちん、とゆびをならすと、ゼリーの上を細かい綺羅星が旋回し始める。
「どうぞ」
「尊い……!いただきます!」
「大サービスです……そういえば、理想のセクシーショットのはなしをきいてもよろしいですか」
「んぐぐぐ」
「召し上がってからでいいです」
「おい、セクシーショットってなんだよ」
「やめてください!!」
ノエル先輩が笑わせるので僕は危うくトーションの上にゼリーをこぼしかけた。
「えっと……こう、後ろ姿で、髪を手でたばねて、リボンをくわえてもらい……」
「わははははは!」
「ノエル、笑うなよ!」
「悠璃、きみたちのいう、セクシーショットはよくわからない」
サミュエル先輩が追い打ちをかけてくる。僕はもう、涙目でわらいをこらえた。レモン水を気つけ薬のように一口飲む。
「俺たちも見に行こうぜ。そんな面白そうなイベント、行くしかないだろ」
「レシャとファルリテが差し入れにクッキーを焼いておくってくれるんです、先輩たちにも差し上げますのでみんなで行きましょうか」
「おう、ありがとうな。お二人によろしく伝えてくれ」
「はい、面白いことになりそうだなあ」
「セクシーショットというのは……うなじとか……よろめき隊!のみんながぶっ倒れるかんじの……後れ毛とか……」
「あっはっはっはっ」
「笑うなって!!僕たちスピカ君によろめき隊!は、真剣なんだから……あ、あと伏し目がちに、ご本を読んでるお姿とか……たまらないです。まつ毛が長いので影を落とすんですよね、本に。あと背が高いのにハーフパンツ履いていらして、それがローブから透けてて、もうこれは、膝が尊い。骨ばったくるぶしも愛おしい。乾ききっていない髪をリボンでひとつに結い上げて、そのまま乾かしちゃう適当さとかも萌えポイントですし式典用ローブをみにまとわせたお姿なんてもう、あまりの神々しさにあてられ失神寸前ですよ、メンバー」
かなりマニアックなはなしになってきた。スピカが仰天して、目を見開きぱちぱちまばたきをした。
「そんなところまで見られてるんですか」
「もちろんです。語り出すと不眠不休でひと月ほどかかりますが披露させていただいてもよろしいですか?」
「まあまあ、そのあたりで。どうぞお手柔らかに……あ、ゼリー寄せもう少し食べますか?みんなも」
「身に余る……恐縮の至りです」
「おれたち、仲間、友達じゃないですか。ラフに接してください」
きらきらひかる綺麗な銀色の器に、スピカがどんどんゼリーをよそってみんなに配る。
「ゼリー寄せ、本当に美味しい」
夢中になって匙を操っていたら、ノエル先輩が僕の頭をくしゃくしゃなでた。
「トマト煮込みも食べなよ」
「あ、すこしだけいただきます」
忌まわしいママスプーンで、玉ねぎを中心によそった。少しでいいのに、このママスプーンは沢山すくえてしまう。
「エーリクは玉ねぎが、好きなのですか?」
僕の隣で一生懸命バケットを食べていたロロが不意に聞いてきた。ついでにロロの器にもトマト煮込みをとろとろ加えた。
「うん!大好物。ピーマンもにんじんも嬉しいな、よそっちゃえ」
「あっ、わあ、エーリク。ありがとう、うれしい」
ふにゃっとロロがほほえんだ。本当にロロは人間界に修行のために舞い降りてきた天使なのかもしれない。
「粉チーズ、かける?」
「はい!いっぱいかけましょう」
「うん、こぼさないようにね、そっとだよ」
「最近エーリクまで天使じみてきたと思わないか」
「確かに」
「なぜですか、普通ですよ」
きょとんとしてしまった。どこら辺が天使じみているのか教えてもらいたい。
「天使長の風格すらある」
「褒めすぎです、サミュエル先輩」
「あはは、まあとにかく、エーリクは自分の愛らしさに、もう少し自覚を持った方がいいね」
「全く分かりません……でも褒めていただけているのはすごく伝わってきています。ありがとうございます」
トマト煮込みを口に含んでみる。甘くて美味しい。たくさんの野菜の旨味がどっとやってきて、僕は思わず唸った。
「これは……おいしいな……ちょっとゼリー寄せは横に置いておこう」
「天使長の猛攻がはじまるぞ!」
ノエル先輩が三回大きく手を打った。忌まわしくなくなったママスプーンを操り、トマト煮込みを平たいお皿にどさっといれた。
「エーリクがそんなに食べるなんて。邸宅の皆さんにこの雄姿、見せたいくらいだよね」
「トイカメラでとってもいい?エーリク」
スピカが首に提げていた小さなトイカメラを持ち上げる。
「う、うん、いいけど、なんだか珍獣みたいな扱いだね……」
「可愛いからそのまま普通に食べてて」
「はあい」
僕は一生懸命目の前に並べられたご飯を食べた。スピカが立ち上がり、いいよいいよ!とか、その感じ!などといいながら、シャッターをきった。
悠璃先輩がスピカの一挙一動をながめて、ためいきをついている。
「本当に凛々しいお姿です……こんなに近くで、スピカ君のお姿を見つめることができて、幸せだ……」
「現像してミルヒシュトラーセ家に届けよう」
「なんだか僕、眠くなってきちゃった」
ぼーっとしながらそう言うと、天使たちが騒ぎ出す。
「たくさんたべると、ねむくなりますよね、ぼく、いつもそうなんです。それで、エーリクにおんぶしてもらうのです」
「僕は何とか歩けるけど、転んでモノクルを壊したら困るなあと思ってる」
「それは大変だよ。怪我しちゃう。危ないから、スピカにおんぶしてもらいなよ」
「いいのかなあ」
「遠慮するなよ、おんぶくらいなんて事ないさ」
「頼もしいお姿、嗚呼……」
「サミュエル、例のところから持ち帰り用の容器を持ってきてくれないか、珍しくエーリクの食が進んでるから、持ち帰らせよう」
「わかった、持ってくる」
「先輩方、ありがとうございます。このトマト煮込み、異常なくらい美味しい。驚きました」
「どこにあるか教えてくれたら魔法で持ってくるのに」
「秘密の場所からこっそり持ちださないといけないから、魔法はだめなんだ。まあサミュエルが上手くやるよ、見ていてごらん」
「ステルスかけることもできるけどね、こういうのはちゃんと取ってきてやることに意味があるのだとも、思う。僕は時々そういうことを忘れてしまう……なるほどね」
天才にも学ぶことがまだまだあるといった様子だ。
「エーリク、アヒージョ苦手?あんまり食べなかった。僕、ココット三つ目だよ、」
蘭が静かに聞いてきた。首を横に振る。
「ううん、とてもおいしい。遠慮なくいただいた。えびもマッシュルームも、ごろごろたくさんはいっているね。でも今晩はこのトマト煮込みに夢中だった。ご馳走様でした」
「たくさんたべて、えらい!」
ロロがふわりと浮いて、僕の膝に乗った。今日は巻いていない髪を、そっと撫でる。
「トーションしまうから、もう一回浮いて」
「あっ、ごめんなさい」
「大丈夫。よいしょ」
「やっぱり、エーリクのお膝は、おちつきます」
「僕も乗りたい」
「順番だよ」
「わあ、大変だ、エーリク君」
「いつものことですので」
ほっぺたをすりすりされながら、笑みを浮かべる。ロロが器を引き寄せて、ゼリー寄せを食べ始めた。
「おいしい?」
「おいしい!」
「親子だな」
「いつまでお膝に乗せられるかなあ、ロロ、身長伸びたとか言ってなかった?」
「それが、気のせいだったんです。早くミケシュを追い越したいところなのに、全然身長が、のびないの、おかしいですよね。こんなに、おいしいものだってたくさんたべてるのに」
「プラスチックの容器、もってきたよ。ひとつを一食みたいにして、三食分食べられたらいいかなって思って三つくすねてきた」
「やるなあ、サミュエル先輩」
「秘密だよ、セルジュ」
「ひやひやしたよ!でも何とか持ってこれてよかった」
「ありがとうございます、早速詰めます」
「ああっ、エーリク、危なっかしいです。ぼくがやるのでじっとしててください」
ロロが靴を脱いで僕の膝に立ち上がり、器用に仕事をこなしている。蓋をしてくれたものから順に、急いでひよこが描かれているトートバッグに詰めた。
「泥棒ってこんな心情な気がする。もらっていいのかなあ」
「大丈夫、そもそも絶対禁止なら、あんな所に置いておかないだろう、先日生徒会長が倒れた時は、先生が率先してお弁当作って詰めてたくらいだよ」
「じゃあ、ありがたくもらうことにします」
「おれも先日倒れた時、オムレツたっぷりの美味しいお弁当を作ってもらったし、必要な人が必要なだけ使うんだよ、大丈夫」
「ああっ、あの時は、大変、申し訳ありませんでした!スピカ君によろめき隊!の活動をぜひスピカ君に知って欲しくて、大量によろめき隊!に送られてきたファンレターや会報などを、送りつけてしまいました……熱を出されたと聞いて、ぼく、なんて馬鹿なことをしたんだろうって、傷つけてしまったと申し訳ない気持ちでいっぱいで……どうかぼくのことは嫌いになっても、よろめき隊!のみんなのことは嫌いにならないで下さい」
「あ、それも別に、気にしてないですよ!嫌いになんかなりません。驚いたけどおれのファンがこんなにいるんだってちょっと、誇らしかったです。セクシーショットも、どんなふうに撮っていただけるのか、恥ずかしいような気もするけど楽しみでもあるんですよ」
「ぶふぁっ」
僕はもう限界だった。このまま僕がここにいても、誰一人救えないと思った。傷つけてしまう。僕は必死で笑いを堪えながらロロに靴を履かせ、椅子に座るよう促した。
「ぼ、僕一足先に部屋に戻っているね。急用を思い出した。先輩方、ありがとうございます。では、離席します」
「珍しい。気をつけて」
「はい!ではお先に」
フローライトの杖を振りかざし、愛しの109号室に戻ってきた。
「ふふふふふふふふ……」
にやにやが収まらない、セクシーショット自体は悪くないしむしろ面白そうだと思う。でも多分エスカレートするであろう要求や、怖いとか脱ぐのは嫌とは言っていたものの、非日常の空気感のお陰で、のりのりで応じるであろうスピカにツボをえぐられたのだ。
スピカは色気と艶っぽさを兼ね備えた少年だと思う。たまに横顔などを見つめていると、どきっとすることがある。中性的、というのだろうか。
明後日、楽しいになるといいな。みんなが愉快であればそれでいいのだ。僕はトートバッグからトマト煮込みを取り出すと、冷凍庫にしまった。くちもとがゆるむ、
優しく尊い時間が、緩やかにすぎていく。

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