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チョコレートリリー寮の少年たち アルバイト①

僕たちはこの秋から年末、年越しにかけて、レグルスで短期間のアルバイトを経験する。滅多にない、良い社会体験だ。そしてなんといっても、あの物語喫茶の一員となって親友たちとお店を回せるのが嬉しくて仕方がない。
「まさかこんな素敵な話になるとはね、僕の計算外だった」
レグルスへ行く道すがら、ふと呟くと、じゃれ合っていたロロとリュリュがちょっと真面目な面持ちになった。
「ほんとうに、ありがたくて、うれしいことです」
「レグルスでもクリスマスとか年始とか、きっとイベントがあるよね、フライヤー撒くの、ロロ、営業の時、王子様の扮装をしたらどうかな」
リュリュがロロと指を絡ませたり、ほどいたりしている。
「えーっ!リュリュまで、そんなことを……まあ、この髪型は、みんなが褒めて、その、くださいますし、自分でも気に入っていて、うれしいのですけれど……」
「フライヤー撒き、もしも任されたのなら……ロロはとてもキュートだし、おれたちのリーダーになってもらおうか。ロロ、気づいてる?きみさっきから色んな子に写真を撮られているよ」
「ほ、ほんとうですか?ひえ……ふぁあ……」
「盗撮だ!いけないことだ、それは」
僕がびっくりして怒り出すと、スピカが柔らかく笑んだ。肩をぽんぽん叩いてくる。
「おれが目を光らせて守るから、安心して」
「ロロをおねがい。きみは上背もあるし、僕らの中では一番力も強い」
「まあ何もしてこないと思うけどね、大丈夫だよ、エーリク。ロロ、おれの右隣へ来て」
ふと、空を見上げる。段々と、そらがうすむらさきにそまっていく。マジックアワーの天体ショウを眺めていると、陽の落ちるスピードが早くなったものだとしみじみ思った。秋の空気は物悲しさを運んでくるけれど、これからいよいよアルバイトだ。頑張らなきゃ!
バスに急いで乗り込むと、めいめい好きなことをして過ごすのが常だ。
「本当に寒くなったよね、なんなんだろう、いきなりきたかんじ、秋が」
僕は天球儀柄のトートバッグから毛糸と編み針を取り出すと、せっせと編みだした。
「なにをしているの?」
「今年の冬のマフラーさ。これは君の分」
「えっ?!ぼくのをつくってくれるの?」
リヒトがふかふかの座席をぴょんと揺らした。僕の指先を、じっと眺めている。
「みんなの分を作ろうと思って。あまり上手には出来ないかもしれないけれど。みんなにはまだ秘密にしておいてね」
「うわあ、うわぁーっ!!!!本当?!嬉しい!!大好き、エーリク!」
僕は図らずも、おもいきりソファ席に押し倒されてしまった。どきどきどころの話ではない。艶のある黒髪が、さらりと視界の端でゆれた。フォレストグリーンの暖かい瞳が僕をじっとみすえている。三回、ぱちぱちぱち、と瞬きをして、綺羅星のような煌めきを僕のほっぺたに落とした。
「わぁあ!!……わぁ、はぁ、びっくりした……なに今の、魔法……だめだよ、リヒト……」
「ごめん、ぼくったら、嬉しくてたまらなくて、星、降らせちゃった。知ってのとおり、ぼくはすごい貧乏家庭出身で、何年も何年も、同じマフラーをつかっていたんだ。もう毛玉だらけで大変なの。買おうと思っていたところだよ」
「そこ!静かにしろってば!まったく、何やってるんだ」
スピカが笑いながらこちらへむかってきて、リヒトをちゃんと座らせた。ついでに僕も抱えあげられ、座椅子に座らせてもらった。
「ありがとう、スピカ」
「ううん、寮内ではいいけど、あまり外ではやらないように」
「寮ではいいのか……」
「スピカも前そんなことを言ってたよね、ファンクラブの件で」
僕がへらりと笑って再び作業に戻ると、ふいっと踵を返し、次はロロとリュリュをなだめに向かう。
「こら!しずかに!」
「わああ!!スピカがきた!」
「静かに、しましょう、リュリュ」
スピカは最近、ノエル先輩になにやら「頼み事」をされたようで、僕らの面倒を沢山見てくれるようになった。でもそれに甘えちゃいけないよね……そうおもいながら、広い背中を眺めた。
しばらく黙って毛糸を手繰る。
「エーリクは器用だね、根気もあるし。ぼくなら途中で投げ出してしまうと思う」
「大したことないよ、同じ作業の繰り返しだし。マフラーなんて編み物の初歩の初歩だよ」
「そうなの?どちらにしても、ぼくにはできないよ。これ、ももいろと茜色が混ざっている、不思議な毛糸だね。太くなったり、また細くなったり、ランダムに交じっているんだ……ぼくのほうきに付けてあるタリスマンみたいで、とっても綺麗。おかえしに、ぼくもエーリクになにかプレゼントするよ。何がいい?」
「それなら、これからさきも、ずっとずっと、親友でいて」
リヒトがつぼみがほころぶようにふわっとわらった。とろけるようなみどりの瞳を細めて、肩を抱いてくる。その腕をそっと、ぎゅっと握った。
「あたりまえじゃないか、なにをいまさら」
「えへへ、ありがとう、リヒト」
「もうそんなことをしているうちに着くね、レグルス。降りる支度をしようか、毛糸鞄にしまえる?」
「うん、ありがとう、大丈夫。慣れてるから」
編み針にストッパーをしっかりと付け、毛糸玉と共に絡まないよう気をつけながら、トートバックにしまう。
「到着だ、みんな、順番にならんで降りて。パスを見せるのを忘れないようにするんだよ」
「はーい!」
一段ステップをあがった席についていたロロとリュリュが金糸雀のような声で笑いさざめきながら降車する。僕はリヒトと手を繋ぎ、バスをおりた、スピカも続いて砂利道に降り立ち、運転手に大きく手をふっている。レグルスは、バスストップの目の前だ。
「さあ、今日は誰が扉を開ける?」
「僕、やりたいな、ほかに立候補者がいなければやらせてくれるかい?」
「お、リュリュ、随分度胸がついたなあ!開けて!」
「やった!じゃあ、はいるよ!!」
がらんがらんと、いつもながらすごい轟音でベルが鳴る。
「ようこそ。物語喫茶レグルスへ。そろそろかなとおもってまっていたよ!いらっしゃい、チョコレートリリー寮の少年たち!今日から年末年始まで、ぼくら、同僚ということになるね。よろしくお願いします!」
真宵店長が深深と頭を下げている。僕らもたっぷり十五秒ほど、お辞儀をした。
「黒蜜ー!!チョコレートリリー寮の少年たち、やってきたよ!」
「はいはーい!みんな、よく来たね!今日は、ぼくがおみせでの振る舞いについてコーチすることになっているから、どうぞ宜しくね」
黒蜜店長も、黒い帽子を脱いで深々とお辞儀をした。僕たちも元気に、よろしくお願いします!とそれに倣った。
店の端に、青いチェックの大きなリボンタイが結ばれ、白いシャツとハーフパンツを着せられたトルソーが、行儀よく佇んでいる。
「これ、もしかして」
「うん、きみたちの制服。可愛い制服で働いた方が、気分も上がるでしょ?」
僕らは悲鳴をあげてトルソーに近寄る。もう、大騒ぎだ。うれしい!!!!
「立ち襟でフリルがあしらわれてるよ」
「わー、かわいいなあ、リボンタイが大きくて、ちょっと長さが左右非対称なんですね、おしゃれです」
「みて!みんな!カフスボタンまで!星の刻印が施されているよ!」
「胸には流星のピンバッジが……」
「可愛すぎる」
「今日はこれの採寸もさせてもらうね。とりあえずエーリクがこのくらいのサイズだよなあと試作したの。デザインはクレセントが手懸けた。縫ったのはぼく」
「まさにみんなで回すお店って感じですてきだとおもわない?制服を着せようって言い出したのはクレセントなんだよ」
真宵店長が穏やかなトーンの声で教えてくださった。
「ほんとにね。ぼくもそう思った。という訳で、代表してエーリクに着てもらおうかな」
「いいの?」
早速黒蜜店長がローブをぬがせに来た。僕はあわてて抵抗する。
「ちょ、ちょっと、恥ずかしい。自分でできます」
「寮生活しててもはずかしいものははずかしいんだね。裏で着せてきてー!!」
「はーい!じゃああっちに行こうね」
「わかりました、制服、そっと脱がさなくちゃ」
「ああ、ぼくがやるよ。君は先に奥へ行ってて」
「はーい……」
───そして五分後、もじもじしながらみんなのもとへもどると、可愛い可愛いと揉みくちゃにされた。僕はぐるぐる回されてふらふらしながらスツールに腰かけた。
「いやー、かわいいなあ、さすがだね、クレセントも、黒蜜も。そしてとにかくモデルが抜群にいい。最高だね」
黒蜜店長が僕の袖や襟付近、背後のタックを入念にチェックしながら、なにやら呟き、ノートにかきつけている。
「……タイをとめるのに、ピンを使った方がいいかも。立ち襟だからだんだん崩れてきちゃうんだよね。それか縫い目が見えないように襟元を縫い付けてしまうか……考えておく。あとは問題ない。ハーフパンツの丈も、言うことなし。あとは、間に合わなかった帽子とジレだなあ。みんな、どんなの被りたいとか、着たいとか希望ある?」
「黒蜜店長みたいな、シンプルだけどかっこいいやつがいいな。ジレはクレセント店長のお仕事姿にとても憧れがあります」
みな一斉に首を縦に振る。
「ぼくも、そうおもいます!」
「じゃあ、この青のチェックの生地、いっぱいあるから、シンプルなベレー帽とジレを作ろうかな……あ、スピカは髪をたばねて帽子にしまってね」
「わかりました!」
「あとは……問題ないか。じゃあ早速だし、みんな奥へ来て。採寸しちゃいたい。明日に間に合わせるように、頑張って縫うからちょっと協力してね」
黒蜜店長が、お針子仕事をこなすのは本当に驚きだった。クレセント店長は万能って感じがするけれど、黒蜜店長はあの小さな体に、一体幾つの物語をひそませているんだろう。
僕はレモン水を飲みながら、奥の方から聞こえる声に耳を傾けた。やめてください!とか、だめです!とか、ぎゃあぎゃあと騒ぐ声に混ざって、じっとして!とか、とにかく大変なさわぎだ。
やがてメジャーとノオトを手に、黒蜜店長がもどってきた。
「採寸終了。二着ずつ作って明日渡すから、汚れたら部屋で無理に落とそうとせずにここへ持ってきてね。ぼくがやるから。あとはMサイズとSサイズ、もう一着ずつ縫おうかな。足りなくなったら困るから」
「嬉しい。真宵店長、僕こんなに素敵な制服を着てアルバイトができるんだ。そう思うだけで胸が高鳴るよ」
「そんなによろこんでもらえてうれしいな。ぼくは黒蜜とクレセントの、『チョコレートリリー寮の少年たちをよりいっそう可愛くするプロジェクトphase1』に、ほんの少し協力しただけなんだけどさ、それにしてもエーリク、よく似合ってる!そのはちみつ色の髪、セレストブルーの瞳、ミルクキャンディーみたいな肌!まるでお人形のようだよ」
「phase1って一体何……?照れるからやめて」
「ぼくも、明日が楽しみです!でも黒蜜店長、むりしないでほしいな!」
上半身裸のリヒトがシャツに袖を通しながら帰ってくる。
続いてロロも、ボタンをひとつかけ違えながら戻ってきた。
「あー、ロロ、おいで。ボタンがおかしい」
僕はなるべく肌の露出をおさえるようにしながらロロのボタンを留め直した。
「ふぇぇ……子どもみたい。はずかしくなってきました、ありがとう……」
「大丈夫だよ、僕もたまにやる事があるよ。寝坊した時なんかは特に」
スピカが、おれまた背が伸びた!とスキップしてフロアをぐるぐるまわっている。
リュリュの手を取りながら、黒蜜店長がフロアに現れる。嬉しくてたまらなくてたくさん、たくさんお礼を言った。
「ロロとリュリュはそんなにサイズ変わらないんだね。リヒトはハープパンツのギャザーを少しだけ余裕持たせて縫う感じかなあ。スピカはかなり背が高くて足が長いから、クレセントに新しくパターンを起こしてもらわないと」
「ありがとうございます、どうぞ、よろしくお願いします。クレセント店長にも感謝していたとお伝えください……」
黒蜜店長は右腕にはめてあったスマートウォッチをちらりとながめた。
「あっ、クレセント、今来るよ。良かったら直接言ってやって。励みになると思う」
例のすごいベルの音を立てて、クレセント店長が姿を現した。皆いっせいにドアに駆け寄る。
「おお、みんな集まってる!やぁやぁ、お疲れ様!」
「クレセント店長!」
僕は立ち上がってお辞儀をし、その場でくるりとターンした。
「こんにちは。僕、早速制服に袖を通させていただいています。こんなに素敵な制服をデザインしてくださって、ありがとうございます!」
「わあ、びっくりするくらい似合ってる。他の子達のサイズは……シュガー、測ってくれたんだよね。ありがとう」
「うん!いくつかパターンの修正と、一からジレと帽子のをおねがいしたいんだ。ぼくばんばんミシンで縫うし、今夜はテキーラ飲みつつ頑張ろう」
「ありがとう、ございます、よろしくお願いします。あ、あとすごく蛇足なんですが、ぼく、二センチ身長が、伸びていました」
「それはよかったね!成長期がきたのかな?さあ、育ち盛りのきみたち、小腹が減っただろう。サンドイッチを作ってきたからみんなで食べようか」
「わー!!うれしい!クレセントのサンドイッチ、ぼく大好きだよ!!」
「拵えたやつも大好きだと言って労ってくれ」
「もちろん、だいすき!!」
躊躇いなく言い放ち、腰の辺りにぎゅっと抱きついている黒蜜店長を眺めながら、コアラみたいで可愛いなと思った。
「サンドイッチ、ありがとう、クレセント。じゃあ皆、カウンターについて。蓮根と葱が手にはいったから、和風のカポナータを作ってみた。大豆やきのこをたくさんいれたよ。あ、それから、メニューを見て。飲みたいもの、賄いと経験のためになんでも出すよ」
「休憩したら、びしばし特訓だからね!あ、真宵、ゴッドファーザーを」
「また強いのを飲むなあ!俺はいつも通り一杯目はアマレットジンジャーを頼むよ」
「アマレットが好きなら、ゴッドファーザーだってするするいけるよ、クレセントも呑めばいいのになあ」
クレセント店長がにやにやしながら黒蜜店長のほっぺたをつまんでいる。
「みんな、安心して。シュガーの接客の特訓って、いかにしてサボタージュするか、かぎりなく怠ける方法を教えるってことだから、ね、そうだろう」
黒蜜店長は足をぶらぶらさせながら笑った。
「そうだよ!だって真面目に接客なんてしようものなら、体調崩すし精神的にも良くないよ」
「そのとおり」
「勘違いしている人が多いけど、お客さんと店員はあくまで対等な関係なの。サービスに見合う対価がもらえないなんて、ばかばかしい。頑張らずに楽しくやらなきゃ」
僕らは安堵のため息を漏らした。黒蜜店長がそういうスタンスでいてくださって救われた気分だった。
でも、と、ひとつ前置きをして続けた。
「元気よく挨拶してお店にお客さんを迎え入れたり、おすすめを聞かれた時の咄嗟の返事や、何を求めて来店されたのかを会話の中から察する力とか、あとは何がいつ出来上がるか、そういう技術や知識、一日の流れを把握することは必要」
「要は慣れと、楽しむことなんだよね」
「うん。ぼくもむずかしいことなんてぜんぜんわからないけど、それでもやってこれてるから教えることはできるよ」
「シュガー、立派になったね」
「ありがとう。クレセントや真宵から沢山学んでいるよ」
以前聞いた話だけど、黒蜜店長とクレセント店長は、自分のお店を開くにあたり、レグルスで一週間ほど、研修を受けたという。やっぱりいい関係だなあと微笑んで、ドリンクのオーダーをさせてもらう事にした。
「真宵店長、サラトガ・クーラー、作ってもらえる?」
「わぁ、おいしいよね!ぼくもモクテルの中では一番好きかもしれない」
メニュー表をながめていたリヒトが目を光らせ、挙手する。
「ぼくカシスオレンジが飲みたいです!」
「ムスタヘルッカがさっき船便で届いたばかり。作れるよ」
「子どもでも飲めるカクテルですか」
「うん、ただのカシスのシロップだから。おいしいよ、スピカもどう?」
「はい!!おれもそれで。ノンアルコールカクテルはモクテルとも言う……なるほど……面白いなあ、ここには沢山メニューがある」
「ぼく、リモンチェッロをお願いします」
「僕も!」
「それはアウトだな、どうしても気になるなら冷たいレモネエドを出すよ」
「残念、ですね!!」
「あはは、ロロ、くすぐらないで!」
ロロとリュリュは本当に仲がいい。ふたりが戯れる様子を見ていると、おもわずにこにこしてしまう。
「ロロとリュリュ、シャーリー・テンプルなんかどうだろう。美味しいよ」
「気になりますね……どうする?ロロ」
「うーん、シンデレラが絶対美味しい……ジョッキで飲みたいくらいですよね……」
「じゃあ、シンデレラをジョッキで」
「あはは、ジョッキで?!まあいいや。承りました!」
そう言って、真宵店長はショットグラスになみなみと注がれていたテキーラをひと息で飲んだ。
「ばんばん作っちゃうよ!こうやって一息入れつつ、手抜きするの、忘れないでね」
くるりと背中を向けて、一心不乱にモクテルをつくる真宵店長を眺めた。かっこいい。これが、大人の手の抜き方なのか……むずかしい、よく、わからない。
「サラトガ・クーラー、完成。どうぞ」
「ありがとう。僕が唯一知っているモクテルなんだ」
「なるほど……うんうん」
スピカがなにやらメモに書き付けている。
「あんな感じで多少あそぶくらいで丁度いいんだよ!ふらふらになるのはこまるけど、シュガーみたいに」
「ぼくを引き合いに出さないでよ」
黒蜜店長がクレセント店長を小突く。
「俺は余程のことがない限り酷く酔わないから言えるんだよ。シュガーが潰れたら、駄々っ子して大変だ。背負って帰る役目があるからな」
「もうやめて、恥ずかしいから」
「おとな、おとな!!僕らまで照れちゃいます」
「お次はロロとリュリュ。きみたちは童話の主人公のようだよ。そんなイメージで少しだけ配合を変えて作ってみた。シンデレラ、美味しいかどうかはとにかく、飲んでみてごらん」
「ありがとうございます!」
「いい香り!!うれしいね」
「はい、そのあとは子どものカシスオレンジ。待たせたね、リヒト、スピカ」
「わあ!!美味しそう!!」
「夕焼け色というのでしょうか、美しい」
真宵店長は少し体を反らせて、胸に手を当てた。
「この当たりのお店の中でも、モクテルのメニューの豊富さでレグルスに敵う店はないと自負してる。なにしろ、学院生たちがたくさんくるからね」
「おとなのカクテルも早めにお願い」
グラスを取りだしながら、真宵店長が黒蜜店長にちらりと目線を送る。
「わかってるよ、でも、こうやってモクテルを飲む機会なんて滅多にないだろう。ちょっとはお店のこと知ってから働いて欲しいし……こういうの出すんだなあって」
黒蜜店長がなるほど、と呟いた。
「そういう教育方針か……覚えておく」
スピカがさらにスピードをあげ、ひっきりなしにページをめくりながら、メモ帳にさらさらとことばを書き付けている。おとなの所作をひろいながら、後で復習するつもりなのだろう。スピカの勤勉なところを見習わなきゃと思った。後でお願いして、メモ、うつさせてもらおう……
「はい、黒蜜、ゴッドファーザー。クレセントもアマレットジンジャー、待たせてごめんね。君たちも物語を抱えて生きている。どうぞ、弟をよろしくね」
「お疲れ様、言われなくても大切にするさ。ありがとう。よし、じゃあ乾杯しようか!」
レグルスに乾杯の言の葉が飽和した。僕らはほとんど生まれて初めてのモクテルを飲み、おいしいおつまみをたべながら、こういう時間を提供できるのだという喜びに浸った。
「シンデレラ、ミックスジュースみたいな味がする」
「うん、たしかに」
「それは完全にフルーツジュースのちゃんぽんだ。酔う可能性ゼロ。でも、ジョッキで飲むものではないよ。酸っぱいよね。だけどあえて作ったよ。これはカクテルグラスで提供するのが一般的だし、それが無難かなあと言うのがぼくの見解」
「うん、たしかに……でも、こうやって、えっと……その、実体験すれば、学べることも、ありますね」
「僕はこのくらいの酸っぱさでも大丈夫だなあ」
「人それぞれ、感じ方が違うんだなって、またひとつ勉強になるでしょ、もしもクレームが来ちゃったら、すぐぼくに教えてね。君たちは何も心配することはないから、のびのびゆるゆるやっていこうね」
真宵店長はまたテキーラをショットグラスに注いでいる。あのテキーラはたしか、テキーラ・サウザ・ブルーっていう銘柄で、黒蜜店長の大好物、だったはず。ラベルの文字が、ぼんやりしていて全く判読できない。
「テキーラ、次呑むもん」
「こら!ゴッドファーザーを一気飲みするな!大丈夫なのか、シュガー」
リヒトがレモン水をついで回る。
「研修研修、これも研修のうちっ、こうやって酔っ払いだす大人をどうやってあしらうとかさ」
「嫌な研修だな」
「レモン水をどうぞ、お客様」
リヒトが腰をおり、ぺこぺことフロアを歩いて回る。
「おー!様になってるね、リヒトくん、かっこいいじゃないか。でも頭を下げすぎると横暴な客に絡まれるかもしれないな、お酒飲んで調子に乗る奴がいるからさあ」
「じゃあ、さっと居なくなることにします」
「それがいいね。リヒトくん、一抜けで合格でいいと思うよ」
「やった!!これからも頑張ります!!」
「えっと……えっと、レモン水は、いかがですか、ふぁう」
腕を一生懸命伸ばし、ロロがカウンターにレモン水を置いている。
「かわいい!!合格!!」
「え!!それ、ずるくないですか?!」
「ロロの愛くるしさの前では何もかもが無力さ!」
「トーションをどうぞ、お客様」
緊張で真っ赤な顔のリュリュが、ぷるぷると腕をふるわせながら、黒蜜店長とクレセント店長に、トーションを渡している。
「リュリュも合格!!こまやかな、心をぎゅっと掴む接客、大変よろしい」
「えー、じゃあ僕らは」
「どうしたら合格いただけるのですか」
僕とスピカはぐるぐる考え始める。
「あえて、「放っておく」という接客も取り入れていいんじゃないかな」
黒蜜店長からアイディアを頂いた。
「なるほど、じゃあ僕たちはロロとリュリュのサポートをする感じでいこうか。危なそうだなって思ったら、ピンチの時助けられるのスピカしかいない」
「あはは、そんな酷い客は来ないから、安心して。じゃあ、ここに初めて来店されたお客様に対しての口上だけ覚えようか。まずは、」
またテキーラをぐいっとあおってから、とんとんと真宵店長がフロアに降り立った。一礼してにこっと微笑む。
「ようこそ、物語喫茶レグルスへ。紡ぎ手さま、お待ちしておりました、どうぞゆっくり、物語を織り上げてくださいませ。ドリンクやフードのご注文も承っております。それから、そこの、おあしもとにころがっているがらすだま、蝶番、ぼくの制服の第二ボタン。何もかもが売り物です。ごゆるりと」
「よよよよよようこそ」
「ようこそ!物語喫茶レグルスへ!!!!」
スピカがお腹からたっぷり言葉を吐き出した。喝采が上がる。
「スピカも合格でいいんじゃない?あとはアレンジだよね、だんだん産まれてくるから」
僕だけがろくに何も出来ていない。仕方ないと思い、思い切ってリヒトに寄りかかった。
「写真、思い出に一枚いかがですか?」
そう言って片手でシャツのボタンを一つ開け、リヒトにもたれかかった。
「もっとやりなさいと言いたいところだけどだめだ!!だめ!!!!」
「需要、ないですか」
「いや、あるとかないとか、関係ない!!離れなさい」
「スピカ!!」
リヒトが一声あげると、スピカはリヒトに軽やかに手を差し伸べて、左腕を取り、腰を抱いた。まるでダンサーのような華麗さだ。
「わああ!!」
「これはどうですか」
「所作は美しいし個人的には褒めてあげたいけどアウトだね……斜め右上アングルからカメラに納めたいところ。この子達はどうしてもいちいち可愛くて仕方がないね」
「ぼくにもあんなころがあったよね?ね?クレセント」
「そんなに必死にならなくていいんだよ。昔だって今だって、すごくすごく変わらずに君は可愛い。ねえ、シュガー、テキーラもらおうか」
「なんか適当にはぐらされたきがする」
「ああっ、お客様!トーションがお膝から落ちそうです、あわわ」
「そういう時はかけ直さないで、あたらしいのをだしてさしあげてね」
結局、僕だけ合格点が取れず、必死で声出しの練習から始めた。黒蜜店長がひらりと胸元から万年筆を取り出して、懐紙に書いて渡してくださった声出しの文句を、必死に唱えた。あめんぼあかいなあいうえおー!!!!などと店の奥でがなり立てていると、だんだん汗が吹き出してきた。お腹から声を出すって、難しいことだ。
「なつかしいなあ、あめんぼあかいなあいうえお」
「そうだよね、シュガーはチェリースノーストーム学園では、演劇部だったもんね」
「うん、クレセントも真宵も大道具とか照明とか、すごく応援してくれたよね。あの時はありがとう」
「俺たち、歳とったなあ!」
「本当に」
「はとぽっぽほろほろはひふ、はぁ、はひふへほー」
「ハ行がえげつないんだよ、なかなか一息で言えない」
頑張れー!と黒蜜店長に激励されたけど、呼吸が整わなくなってしまった。
「そろそろ勘弁してあげたら?」
「うん!エーリク、もどっておいで!!」
ホールにいた全員に拍手で迎えられる。
「つ、疲れた」
「お疲れ様、頑張った頑張った」
「お客さまっ、レモン水はいかがですか……?」
「こちらにもありますよ、お客さま!!」
ロロとリュリュがトレイにレモン水を乗せてやってきて、ふるまってくれた。僕はまたしてもロロとリュリュに一本取られたというわけだ……
スピカは動きに華がある。特に何もしていなくても、何故か目を引く少年だ。うらやましいなあとおもった。スピカくんによろめき隊!ができるわけだ……
「ロロとリュリュには着ぐるみでも着せて行進させたいね」
「そんなのいやです!ぼくだって、ちゃんと生身のからだでお給仕、できます」
「そうです、僕のことも病み上がりだからとか、そういう遠慮はいりません!」
顔を見合せて、ねー、と微笑みあってほっぺたをくっつけている。
「その辺は様子見って所かな……」
「真宵、テキーラをシュガーに」
「遠慮せず注いで。そしてお代はこちらへ」
「はあい。じゃあ、レモンをおねがい」
「もうめちゃくちゃ美味しいな、このテキーラ」
「そういえば、覚えてるよね、みんな。先日、ブルウライトスタア商會で、未森くんがこっそり作ってくれていた生ハムとイタリアンパセリとたまごのブルスケッタ。あれ、レシピをこっそり教わったんだ。【Moon flight ticket】それなりの数とひきかえにね。未森くんにはかなわないかもしれないけど、つくってみてある。サンドイッチ食べ終えたら出す」
「俺、何だかんだでブルウライトスタア商會には確り顔をまだ出していないんだよね。クリスマスベアつくりにおわれて、ばたばたしてて」
「それなら近日中に行って挨拶しておいでよ。特に陸くんと君たちは気が合いそうだ」
「ちらっと聞いた。結構飲む子らしいじゃん。そうだね、手土産でも持ってあそびにいってみるとするかな」
「ぼくも一緒に行く」
「デートで行ってみようか、プライベートで行ったほうが、気兼ねなく飲めるでしょ?」
「うん!うれしい!!」
真宵店長がパンを斜めにスライスし、オーブンの天板に乗せている。ふわりふわりといい香りが漂ってきた。
「もう既に美味しそう」
「二、三分くらいでいいよね」
「たぶん。様子よく見て」
黒蜜店長が、とんっと椅子から軽やかに飛び降り、キッチンへ入っていった。二人で並んでオーブンを覗いている。こうしてみると本当に双子だ。少しだけ、真宵店長の方が背が高い。
「そろそろいいんじゃない?ぼく手伝うよ」
「うん、冷蔵庫に色々入ってるから出して。王道のトマトのもあるよ」
「忌まわしい」
「黒蜜、あまりすききらいいうのおとなげないよ、ちゃんと食べなきゃ」
「まあその分俺がたべるよ」
「黒蜜店長はトマトが苦手……」
「スピカ、そこは書き留めなくていいよ」
僕たちは、サンドイッチとブルスケッタをたくさん食べ、モクテルをおかわりしたりしつつ、大いに笑った。
「ところで、いつから研修が始まるのですか」
「えっ、もう始まってる。こういうふうに、暇な時どうやって過ごすのかとか既に教えてたよ」
「こんなに遊んじゃって、いいのかなあ」
「まずは楽しむこと!」
「はーい!!」
こんなに楽しい研修なら、どんなに受けてもいいなあと思った。僕たち、素敵な大人たちに囲まれている。小さく笑って、トマトとバジルのブルスケッタを齧った。

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