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ミルヒシュトラーセ家のアフタヌーンティー

今日は、仲間たちを家に連れておいでよと、お父様と約束をしていた日曜日。久々に邸宅のみんなに会いに帰る。せっかくだしという事で、僕らは式典用のローブを着込み、バスに乗りこんだ。
チョコレートリリー寮から実家までは、学院から一時間ほどバスに乗り、邸宅最寄りのバスストップから鳳が車を運転し送迎してくれる手筈になっている。
「ああ……ちゃんとご挨拶できるかな」
「本当に……頑張らなきゃ」
「名乗れるように今のうちに練習しないといけないかもしれない」
そう言葉を零したリヒトとロロとリュリュの手を取って、蘭がぶらぶらゆらしてあそんでいる。
「大丈夫。間違いなく楽しいことが待ってるよ」
「うん!本当にそんなに畏まらなくていい」
ロロとリュリュが、今日はなんだかおとなしい。口数が少なく、緊張の面持ちだ。
「本当に大したことないから!使用人と名乗ってる人はいるけど……大切な家族だよ」
「大したことあるよ!!」
「どうしよう。ノエル先輩、サミュエル先輩」
天使たちがますますおろおろとしはじめた。
「エーリクのお家だよ!信用しよう」
蘭は緊張より楽しみの方が多そうでたすかった。
「そうだよ!エーリクが生まれ育った家だろう、交信するお姿を拝見する限り、お父様をはじめとしてみなさんとても優しい方だったから、なんにも心配することないさ」
そう言って、ノエル先輩はみんなの緊張を解いてくださった。
「土いじり、僕すごくたのしみにしているんだ。勿論アフタヌーンティーもだけど、草花を丁寧にビニールハウスへ移動させるの、すっごく楽しそう」
サミュエル先輩が割烹着を持参してきた。ひらり、と広げてみせる。
「可愛いだろう、このブルーの割烹着」
「僕も汚れてもいい服を持ってきた。洗濯間に合ってよかった。魔法はこういう時に使うものです」
「どきどきする!!!!」
そんな会話を交わしあっていたら、すぐにバス停についた。まっさきにバスから降り立つ。車を停めて待っていてくれた鳳に駆け寄り、全力で抱きついた。広い背中にしがみつく。
「鳳……!会いたかった……」
静かに背中を、とんとん、とんとんとやさしく抱かれる。僕はますます鳳にしがみついた。膝の下にさっと腕を差し入れられみんなの前でお姫様抱っこをされてしまった。恥ずかしくて、やめてよという言葉とは裏腹に、涙が一粒だけ、ぽろんと、零れた。
「エーリク坊ちゃん、お帰りなさいませ。ご学友の皆様も、ようこそおいでくださいました。ミルヒシュトラーセ家の執事の鳳でございます。僭越ながら、私が御屋敷まで運転させていただきます。まずはエーリク坊ちゃんを乗せてしまいますね」
さっと涙をぬぐって、ソファに腰かけさせてくれた。
「旦那様には秘密にしておきます」
「ちょっと待って。な、何この細長い車」
「鳳さん、初めまして!ものすごい車ですね」
「私のものではなく、御屋敷のものなのですが……お飲み物や軽食もご用意いたしましたので、どうぞお召し上がりになってください」
「失礼します……わああ、ソファが円形席になってる」
「テーブルクロス、これシルクだよね……」
「鳳、ドーナツとアップルパイを拵えてくれたんだよね、どこ?」
「失礼しました、助手席に置いたままでした」
「鳳のお菓子、ノエル先輩にまけないくらい美味しいよ」
箱を受け取って、みんなの前へ銀食器を並べる。
「す、すごくないか……?軽く衝撃を受けた」
「僕も……まさかこんなに立派な車でむかえにきてくださるだなんて思ってもみなくて想像を超えてる」
ノエル先輩とサミュエル先輩が小声で囁きあっている。
チョコレートリリー寮の三人の天使は、背筋を真っ直ぐ伸ばし、手を膝に置いている。リヒトはテンションが上がってしまったようで、すごいすごいとはしゃぐのを、スピカがとめている。蘭は落ち着かない様子できょろきょろ車内を見渡している。僕と目が合い、ふわっとわらいあった。
「みんな、食べよう」
「じゃあぼく、お言葉に甘えていただこうかな!」
リヒトが快活にひとつ、ドーナツを手に取った。
鳳が、手を汚されませんように、と渡してくれたパラフィン紙をみんなに配る。
リヒトの様子を見ていたみんなが、ドーナツに手を伸ばす。僕は一生懸命、せっせとアップルパイを取り分け、皆の前にシルバーを揃えた。
「いただきます!鳳さん!」
「お口に合うかどうかわかりませんが、どうぞお召し上がりください」
「うわー!!!!おいしい!!!!このオールドファッション、さくさくなのにしっとりしてる。どういうこと?!ココナッツのいいかおり!」
「わあ、クリイムがはいってる!」
「ロロ様、そのクリイムいりのはあたりです」
「くじみたい!たのしいです!あと、その、ロロ様だなんて、仰らないでください、鳳さん」
「エーリク坊ちゃんの大切なご学友です、そんな訳にはまいりません」
「鳳はもう少し砕けていいのになあ」
「これでも、ミルヒシュトラーセ家の執事ですから」
「全くもう、気を遣いすぎて倒れたりなんかしたら嫌だよ」
「ご心配いただけるのはとてもありがたいことです。エーリク坊ちゃんは幼少の砌から、よく私を気遣ってくださいましたね。ミルヒシュトラーセ家にお仕えしている甲斐があるというものです。あの御屋敷には、心優しいお方しかおりませんので」
「あっはは、鳳!褒めすぎ!!でも、たまにはお父様を叱ったりもするんでしょう?」
「適度に叱って、褒めて……伸ばして差し上げております。旦那様は甘えん坊で、すぐ駄々を捏ねます。些か坊ちゃん気質が抜けきらないようです」
そうして、僕は懐かしいミルヒシュトラーセ家に帰ってきた。正門へ全員が降り立つと、鳳は車を駐車しに裏道へと行ってしまった。僕はとびらについている大きなベルをがらんがらんと鳴らした。
「お父様!!ただいま戻りました!!」
「わーっ!!!!!!エーリク!!おかえり!!ご学友の皆様も!!!!こんにちは!!!!わあわあ!!!!遠路はるばる御足労いただいて……ありがとうございます!!ようこそ、ミルヒシュトラーセ家へ!!!!」
二階のベランダから身を乗り出して、お父様が大声で叫びながら大きく手を振っている。誰よりもテンションが高い。
「今行くから待ってて!!」
お父様が外階段を一段飛ばしに駆け下りてくる。転びはしないかとはらはらしたけど、お父様はとても運動神経がよい。手すりに止まっていた白鳩たちが急いで逃げていく。
それより先に一階にいたレシャとファルリテが飛び出してきた。思い切り抱きしめる。
「お久しぶりです!お元気そうで、何よりです、坊ちゃん!!」
「坊ちゃん!!」
「わあああああ!!お会いしとうございました!!」
「坊ちゃんー!!!!」
レシャとファルリテに揉みくちゃにされてそのあとからやってきたお父様に抱き抱えられた。ぎゅっと捕まる。またここでもみんなにお姫様抱っこされる姿を披露してしまうはめになった。でも落っこちるのも怖かったので、必死にしがみつく。皆見ないで……と願いながら。
「皆様、ようこそ!!いつもエーリクと仲良くしてくださっているそうで、ありがとうございます」
「こ、こちらこそ!」
「すごい!エーリクは、やっぱり王子様だ。おうちがお城みたい!」
「いえいえ、単に歴史があるだけで……まずはウェルカムドリンクを支度しますので、どうぞお上がりください」
「わーい!!」
「君がリヒトくん?」
「はい、そうです!ぼく今日を本当に楽しみにしていて……」
「杖で交信した時に、きみがいっとう嬉しそうだったから、覚えていたよ!とにかく寒いから、早く入っておいで」
「わかりました!」
「ねえ、ロロ、ぼくのおてて、とてもつめたい」
「じゃあ手を繋いでいきましょう。わあ!!見てください、あのシャンデリア、とってもきれい」
「レシャ、ファルリテ、いつものものを。今日は、エルダーフラワーのシロップを炭酸で割ってくれる?私にはサングリアを。レシャとファルリテの分も作ってある」
「旦那様、いつのまに」
「君たちより先に起きて作ったの。たまには一緒にお酒飲もうよ。あと、後ほど鳳にお茶を出してあげて。色んな支度で疲れただろう、お疲れ様!」
「やった!!嬉しいです!!」
「うん!皆様はソファに座っておくつろぎください」
「お父様!!そろそろ下ろしてください」
「真正面がいい?」
「はい……お父様のお顔、立ち居振る舞い、よく眺めます」
「もう!エーリクまで鳳みたいなことを言い出したよ……」
「さあ、いくよ!!集中ー!!」
「集中ー!!」
レシャとファルリテの魔法を見るのも久々だ。机上がぱっと眩しく煌めいた。淡いトパアズいろの曹達水に、カラフルなクラッシュゼリーが沢山浮かんだグラスと、果物がたっぷり入った、華やかなサングリアがみるみるうちにあらわれた。
「お召し上がりください!」
「ありがとう、二人とも」
「ありがとうございます!!」
「えっと、レシャさんとファルリテさんも魔法を……」
「僕らもマグノリア出身!」
「先輩、なんですね。なんだか嬉しい」
「私もマグノリア。残念ながら魔法は苦手だけど」
お父様がにこにこ、優しい笑みをたたえている。僕はお父様の向かいの席に深々と腰かけた。
「作業自体はこれだけの人数がいるなら、三十分もすれば終わってしまうと思うんだ。寒い中、ありがとうございます」
「いえいえ、お力添えできるの、とても嬉しいです」
「お父様、今日は僕たち、式典用のローブできたんですよ!」
「本当だね。懐かしいな、この豪華な刺繍」
僕たちはウェルカムドリンクをゆっくりと飲んだ。このクラッシュゼリーサワーは、客人が来た時に直ぐに出せるように、お父様が毎日キッチンに立ってこしらえているもので、常に冷蔵庫に常備してある。それがレシャとファルリテの魔法の力により適度に希釈される。シロップは、エルダーフラワーかリンゴンベリーのどちらかだ。今日は、エルダーフラワー。小さいから僕はこのドリンクを飲んで育った。
「それじゃ、自己紹介してもらおうかな」
「美味しい……」
「しあわせ」
「きみたちがロロくんとリュリュくんかな」
「あっ、そうです、初めまして!」
「よろしくお願い致します」
「かわいい!ほっぺた触らせて」
「やっぱりお父様も、触りたくなりますよね、わかります」
「おれはスピカです。にわとりごやの掃除と鶏からたまごを奪い取るのが得意です」
「リヒトと申します。いつもエーリクとつるんでいます。何をするのも、一緒です!」
「僕は蘭です。最近仲間に入れて頂きました。ちょっと緊張しています、でも、お招きいただき光栄です。よろしくお願いします!」
「そして君たちふたりが三年生か」
「はい!ノエルと申します。普段、だいたいデイルームで、エーリクたちとお茶を飲んでいます。とても仲良くしていただいております、よろしくお願い致します」
「僕はサミュエルです、ちょっと緊張してる上に自己紹介が下手で……本当に申し訳ありません。エーリクくんとは、とても親しくさせていただいているんです。一緒に給食を食べたり、お茶会をひらいたり、楽しく過ごしていて……」
お父様が立ち上がり、深々と頭を下げた。
「みなさん、エーリクがお世話になっております。私の見立てではエーリクは魔法使い向きではないし、ちょっと世間知らずなところがありますが、なかよくしてやってくださいね。そしてサポートをお願いしたいと思います。改めまして、息子をよろしくお願い致します。レシャ、ファルリテも、挨拶を。歳も近いし、仲良くなれるんじゃないかな」
「ミルヒシュトラーセ家の使用人、レシャです。よろしく!裏庭のこと、お願いします」
「おなじく、ファルリテです。魔法くらいしか取り柄がないけど、どうぞなかよくしてやってね。裏庭の件は、本当に本当にごめんなさい」
「あとは鳳……と思ったけど、多分勝手口から邸内に入って、アフタヌーンティーに並べるお菓子のチェックをしにいってるな。まあそんなわけで、みんな私とも仲良くしてね。当主だからって気を使うことないよ。友達に接するように話しかけてくれ……よし、飲み終わった子から、着替えておいで」
「僕らは鳳さんと合流してきます」
「またあとで!」
レシャとファルリテがお辞儀をして、ぱちんと指を鳴らした。その瞬間、二人の姿がふわりと消えた。ちらちらと光が飛び交い、やがて床へ落ちる。
「おー、やっぱりあの二人はすごいなあ。私には出来ない芸当だ。ああ、鳳、お疲れ様。エプロン持ってきてくれたんだ。ありがとう。いまレシャとファルリテがキッチンに行ったようだよ」
真っ黒なエプロンを受け取りながら二人を褒め称える。たしかに、あんなふうに時空を使役するのは、簡単な事じゃない。ぼーっとみとれていたら、お父様が僕の手をとった。
「大丈夫?行こう、エーリク。それとも、またお姫様抱っこしてあげようか」
「嫌です!!」
僕たちは脱衣所で土いじりをするための服に着替えた。裏庭へ出ると、群生しているあおいろの花が首をもたげている。ヴィオラも色とりどりで華やかだけど、どの子もしょんぼりとおとなしげに花を咲かせていた。
根っこを傷めないように、そっと植物たちをプランターへ植え替えて、暖かいビニールハウスの中にしまっていく。力持ちなノエル先輩を中心として、僕たちはせっせと働いた。
「大地と花が笑ってる。よろこんでいるよ、やさしくあつかってくれてありがとうって」
お父様がエプロンを土まみれにしながら笑う。そっと、そうっと……元気になあれと、肥料と栄養剤をまいた。水も根腐れしない量を、お父様に教わりながら、全体にかける。
「はい、おしまい」
「えっ!!!!早すぎじゃないですか?」
蘭がびっくりしたようにあわてて放水レバーのスイッチを切った。
「さっき二人が言ってただろう、レシャとファルリテの、昨日が期限だった仕事なんだ、本当は。でも、エーリクとご学友の皆様の来訪がはちゃめちゃに嬉しかったみたいでここだけ手をつけられなかったんだって。そのかわり、お料理やお菓子を頑張って作っているようだった」
「お父様、二人を叱らないで」
「もちろんさ、そんな無粋なことをすると思う?」
「……しない」
「そういう事さ。さあ、アフタヌーンティー、始めちゃおう。みんなも、お着替えしていらっしゃい。おててをよくあらってね」
「はーい!」
邸宅に戻ると、甘い良い香りが漂っている。左手の通路の奥から、レシャとファルリテの声がきこえる。
「あ、スコーンとかぼちゃのパイ焼けたよ。ファルリテはクロテッドクリームをたくさん冷蔵庫から出してきて」
「ラジャー。スイートポテト、あと2分で焼き上がる」
「焼き色ばっちり!」
レシャとファルリテが阿吽の呼吸で動いているようだ。
着替えをして、一番にホールへ戻ってきた。僕も何かお手伝いができることがないかなと思ってうろうろしていたら、鳳がすぐ隣へやってきてしゃがんで僕の瞳を覗き込んできた。
「……エーリク坊ちゃんが何かしようと思考をめぐらせていることは、お顔を見れば分かります。でも、本当に久しぶりにお帰りになった邸宅なのですから、ごゆっくりお過ごしください」
「でも」
「私たちの喜び、そして楽しみは、このミルヒシュトラーセ家のお役に立てることでございます」
「うん、僕に出来そうなことがあったら申しつけてね」
「……大人になられましたね。きっとご学友や先輩方から、色々と教わっているのでしょうね。本当に、ご立派になられました……」
「鳳、泣かないで。僕もっとがんばるね」
「坊ちゃん、鳳さん、ちょっと道を開けてください」
「ファルリテがすごいのをつくったよ!!」
「うわあああ、鳥?!」
「ローストチキン、トルティーヤに巻いて食べたら、緊張もほぐれるんじゃないかなって。本格的なアフタヌーンティーもいいけれど、こうして大勢でいろいろ作りながら食べるのも一興かという、鳳さんのアイディア」
レシャも両手のトレイいっぱいにお菓子を載せている。二人で協力して机上を美しく整えてくれた。僕の大好きな、白薔薇が花瓶いっぱいに活けられている。
段々みんなもホールに集いだし、最後にお父様がやってきた。ローストチキンを見て口笛をひと吹きする。
「かざりっけがなくて、私はこういうジャンクなの、すきだなあ。さすが鳳」
「とんでもない事でございます」
「素直に褒められてよ、そこは……レシャとファルリテ、頑張ったね!お疲れ様。ティースタンドの甘いものを頂きつつローストチキンを食べるなんて最高じゃないか!さあ、みなさん、ミルヒシュトラーセ家のおもてなし、存分に楽しんでいってね!レシャとファルリテも座って。給仕は鳳に一任しよう。よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
「僕坊ちゃんのとなりがいい」
「えー!僕だって坊ちゃんのとなりがいいよ」
「じゃあ両サイドから挟もう」
「あはは、レシャ、ファルリテ。ひさしぶりだもんね、こうして、お茶を飲むのも」
「そうですよ、僕たち、この日をずっとずっと楽しみにしていたんです。何を作ってお迎えしようかと、小さなアドベンドカレンダーを買って、チョコレートとか、キャンディーをたべながらお待ちしていたんですよ」
「早く日曜日にならないかなって!」
「さあどうぞ、みなさま、召し上がれ」
「いただきます!!!!」
僕はティースタンドの一番下段のサンドイッチをふたつとって、もぐもぐ食べ出した。
「わあい、ハムだ!キューカンバー回避!!」
「一番下段のものから食べるのが正式なルールだけど、ミルヒシュトラーセ家のアフタヌーンティーは、そういうの、きにしないで、すきなものをすきな順序で食べるといいよ」
お父様がそう言って一番上段にあったミルクケーキを手に取った。僕はスコーンにたっぷりクロテッドクリームを塗り、頬張った。
「レシャのスコーン、やっぱり最高だ」
「僕のスイートポテトも食べてください!」
鳳が、バタフライピーをシャンパングラスに注いでくれる。優雅な手つきだなあと、いつもの事ながら感心する。
「わあ、綺麗なブルー!エーリクのひとみみたいな色。鳳さん、これはなんですか」
「ハーブティーでございます、どうぞ、リヒト様」
「あ、ありがとうございます」
「トルティーヤも美味しい。さすがだね」
お父様がレシャとファルリテを拍手して讃えた。頷くばかりで二人とも無言なのは、スイートポテトを一生懸命頬張って食べているせいだ。
「スイートポテト、やられたなあ、俺が作るものより、ずっとずっと美味しい。よかったら、レシピを教えていただけませんか?」
降参!と言ってノエル先輩が二回大きく手を打った。
「ノエルのスイートポテトも、僕すきだけどなあ。ファルリテさんのは、ラムがきいていて香りだかい。絶品ですね」
「ありがとうございます、ノエル様、サミュエル様。レシピ、後ほどお渡しします。参考になさってください」
「ありがとうございます、デイルームでのティータイムが益々楽しくなります」
「エーリク坊ちゃん、トルティーヤを巻きましたので、お召し上がりになってください」
「鳳は過保護だなあ、エーリクに甘すぎる」
「たまにはよいではありませんか、旦那様」
鳳が静かに微笑んだ。お父様がふてくされて背もたれに大きくもたれかかっている。
「私の分も巻いて」
「ご自身でなさってください。旦那様のことは甘やかしません。ミルヒシュトラーセ家の当主たる振る舞いを心掛けますよう」
「あはは、つれないなあ」
スピカのシルバーの扱いの巧みさはここでも発揮されていて、ローストチキンを薄く切りわけ、丁寧にトルティーヤの生地に並べ、くるりと巻いて器用に口へ運んでいる。
「スピカ、かっこいい!」
「そ、そう?普通じゃないか」
「大分美しいよね」
「ああっ、レタスが落ちちゃった」
ロロの手をそっと制して、鳳がレタスを拾った。
「使用人の仕事でございます、ロロ様」
「ごめんなさい!手袋汚しちゃった」
「大丈夫ですよ、ここにスペアが」
ポケットから手品のように、ぱっと新しい白手袋を取り出し、装着した。
「わあ、すごい!!」
「洗い物は後で私がやるからそこらへんに置いていいよ」
「いけません。今日は石鹸を巧妙に隠しました。見つけられたら、旦那様の勝ちということでいかがでしょうか」
できるものならやってみてご覧なさいとでも言いたげに、鳳が艶然と笑んだ。
「だって、洗い物楽しいよ。まっさらになっていくのをみるとすかっとする。私にもなにかやらせてくれっていつもうしろをついてまわっているじゃないか」
「お父様が駄々っ子してる」
僕が堪えきれずにくすくす笑うと、レシャとファルリテが顔を見合わせて、ふきだした。
「今日もさつまいもを潰したいと厨房にいらっしゃいましたね」
「そういう名目でひとつスコーンを食べていらっしゃいました」
「まあいいじゃないか、今日は大目に見てよ」
「毎日大目に見ております」
「お父様、あまり鳳たちのじゃまをしてはいけませんよ」
「はぁい」
「なんだか、エーリクがしっかり者な理由が見えてきたかも……」
「だれかなにかいったー?」
「だれもなにもいっていません!」
「あはは!エーリクもみんなもやってきたし、サングリアが美味しいからなんでもいいや。レシャ、サングリアおかわりできるかな。あと、立ったついでにちょっとおつまみになりそうなもの持ってきてくれないか」
「はい!旦那様が喜びそうなおつまみ……何がいいかなあ」
「あ、クラッカーとマスカルポーネがあるよ、メイプルシロップをかけたらよさそう。隠し味にほんのちょっとだけ岩塩を。ピンクの岩塩をミルに充填しておいた」
「さっすがー!!ありがとうファルリテ。甘党の旦那様にぴったりだね」
「サミュエル様、バタフライピーのおかわりはいかがですか」
「ありがとうございます、いただきます!」
「ところで……」
ノエル先輩がふと、お父様へ微笑みかけた。柔和であたたかな笑顔だ。
「お名前をお教え願えますか、エーリクはずっとお父様と呼んでいるし、鳳さんたちは旦那様と呼んでいらっしゃるので、本当の名前が知りたいです」
ノエル先輩が右手を差し出す。お父様は骨ばった華奢な手のひらでノエル先輩の大きな手をぎゅっと握った。
「リュミエール。リュミエール・ミルヒシュトラーセ。お見知り置きを」
「素敵なお名前ですね、何だか格調高い響きです」
「そういえばお父様、お母様はどうされていますか……」
僕が邸宅に帰る前から心配していたことがらについて、おそるおそる聞きだす。大丈夫だよ、と言いながら二階を指さす。
「昨晩の魔女がかなり厄介だったせいで、寝室にいる。ぐっすり眠っているよ。今晩も狩りに出かけなくてはいけないらしい」
「賑やかなアフタヌーンティーなので、起こしちゃったりしてないかな……それが少し心配」
「大丈夫だと思う。お母様はものすごく強い。精神的にもだし、魔力も強大なものを持ってる。いつも、エーリクにおすそ分けしたいくらいって、からかうんだ。リヒト、心配してくれてありがとう」
「みなさん、クラッカーをお持ちしました。旦那様のおつまみなんですけど、なんだか気合い入っちゃってたくさんつくってきましたよ」
「わ!美味しそう!ありがとうね」
お父様がきらきらとひかる瞳から、いきいきとした星屑を落とした。お父様、ここにいるだれよりもずっと少年らしくみえる。
「さあ、皆さんもどうぞ」
「やったー!!僕クラッカーもマスカルポーネも大好き!早速一枚いただきますね」
蘭が指先をちらちら光らせながら、ひらりとクラッカーを食べている。
「うん!とってもおいしいです!!」
「レシャはいい仕事をするなあ、僕も負けていられない」
「良きライバル!」
「これからもお給仕、はりきってやるぞ!」
「えい、えい、おー!!ですね!!おふたりとも、とても立派で、目映いです!」
ロロが小さな握りこぶしを天へ向けた。
「うん!えい、えい、おー!」
リュリュと蘭ももロロを真似て拳を振るった。
「この三人はもうなんだか、かわいくてしかたないね」
「お父様、僕この天使たちと暮らしているんですよ、あとは、遊びに行ったり、何をするにもとにかく一緒!」
「羨ましいなあ」
「いつも、世話をやいてもらっています。朝なんか、僕たちのためにショコラを作ってくれたり、美味しい東の国のお茶を淹れてくれたりするんです」
「エーリクはやさしいです。ぼくがないていると、ぎゅってしてくれるんです。だいすきです」
「あの坊ちゃんが、誰かの面倒をみられるようになっただなんて、感慨深いね、ファルリテ」
「本当に、御立派になられて……」
「涙が溢れ出そうでございます」
「あはは、我が息子ながら成長したものだね」
「やめてよ、もう!」
勘弁してよねと笑いながら右隣のレシャのほっぺたを、むにっとつかんだ。
「いたっ!!ひどいや坊ちゃん」
「ちょうどいい所によいほっぺたがあったから」
「僕のほっぺたにも是非とも制裁を」
ファルリテが身を乗り出してきたので、軽くつまんでみる。
「えいっ」
「いたーい!!!!」
「鳳も……と言いたいところですが、やめておきましょう」
「じゃあお父様」
「わ、私は何もしてないし言ってもいないよ、褒めただけじゃないか」
「それでも、賛同した時点で問答無用なのです」
僕はにやにや笑いながらお父様の子どもみたいな頬をふにっとつねった。
「いったたたたた!!」
本当にきめ細やかで、滑らかな手触りだ。五回ほどふにふにして気が済んだので、ソファに座り直した。
「遠慮ってものを覚え給えよ、全く。みんなに迷惑かけたり、本当にしていないのかな」
「エーリクはとっても優しいですよ、あの、えっと、ぼくがほうれん草が食べられないって泣いていたら、僕が代わりに食べてあげるって、その代わりいちごみるくはきみにあげるって……言ってくれて……」
「うん、素敵なお店を沢山紹介してくれるし」
「クッキーもくれるよね」
「お、ちゃんと、ほどこしと思いやりのこころを忘れずにいるんだね、いいこいいこ。美味しいものはみんなで食べると何倍も美味しくなるよね」
「何もかもお父様に教えて頂きました。こんなに素敵な仲間ができたのは、お父様の教えに沿って行動しているからです」
「……もちろん、それもおおいにあるかもしれないけど、エーリクの為人が人を寄せつけるんじゃないかな……俺が思うに、生まれ持った優しい気質が影響している気がいたします」
「ノエルくん、息子をよろしく頼むね」
「もちろん、逃げても追いかけて捕まえます、任せてください!」
「チョコレートリリー寮の学食で勝手が分からずおろおろしていたら、すぐにエーリクが助けてくれました。優しく、ここは初めて?って聞いてくれて……」
「蘭くん、こんなぽやぽやしたエーリクだけど、仲良くしてやってね」
「僕、チョコレートリリー寮に入る前に、エーリクが、鉱物図鑑を貸してくれて……それが君のもとにあればいくらだってここ……あ、僕がお世話になっていたお店へなんですけど、遊びに来る理由になるよねって言ってくれて、体調の悪い時など、それを眺めて過ごしました。本当に嬉しかったです」
「私は先程より酷く感動しております。エーリク坊ちゃんが、大人になられた……ご立派でございます」
「あはは、やめてよもう、みんな」
不意に僕が褒められだす展開になりそうだったので柔らかく制した。
「エーリク、当主はひまで嫌だよ。私と変わって」
「いけません。旦那様にサインしていただきたい書類が山のように溜まっております。そのようなことを仰られたり、私の後ろを追いかけてばかりいないで、どうか、職務を全うなさって下さいませ」
「やる気がおきないよ」
「仕方がありませんね……では、ご褒美にレシャとファルリテに頼んで、何か作ってもらいましょう。執務室にお持ちします」
「やった!!タルティーヌかモンブランの気分だ」
「沢山作ります。そうしたら、みなさまへの手土産にもなりますよね。生地は何台分も仕込んであるのであとは焼くだけですよ」
「さすが!!」
「と、いうわけで僕たちはお菓子作りのため少々離席いたします」
「また後で!」
くるりとセーラーカラーをはためかせてふたりは厨房へと消えていった。
「うーん、サングリアがおいしい。みんな、約束をしよう。大人になったら、何度でも集って一緒にのもうよ。もちろんアフタヌーンティーだって、よかったら呼ぶさ」
お父様の提案に、僕らはわあっと沸き立った。
「素敵です!ぼく、きっと、いっぱいのみます、たぶん」
ロロが一生懸命スコーンにクロテッドクリームを塗りながら真っ先に声を上げた。
「俺にかなう、ちびっこは誰かなあ」
ノエル先輩までのりのりでそんなことをいう。
「まあ、早く大人になることだね」
「お父様、リヒトがチョコレートボンボンを食べるんですよ、強くなりそうな気がしませんか」
「へえ、おもしろいね、かかっておいで」
「負けませんよ!」
僕はため息をついて、首を横に振った。
「そして酔いつぶれたみんなを介抱する役目はやっぱり僕なのかなあ」
「僕も手伝うよ」
リュリュが空いていた僕の隣のソファに腰掛けて、手を取った。ぎゅ、と握ってくる。
「心強いよ、ありがとう」
「ぼくだって、手伝います」
「個人的には、酔っ払ったロロくんとリュリュくんが見てみたい」
「お父様!」
「だって絶対かわいいもん」
「僕は多分強くなるだろうなって師匠に言われてます。なんでだろう……」
「僕は多分そこそこだと思います」
サミュエル先輩が、スピカに髪の毛をいじられながら言う。スピカ曰く妹さんの髪質に似ているから、触ってみたいと常々思っていたらしい。先日たまごとひきかえにノエル先輩からいただいた、深い緑色のリボンで編み込みをつくっている。
「スピカくん、凄いね」
「ぼくのこの髪も元々はスピカが、巻いてくれて……きにいった、ので、うんっと……練習して、できるようになりました」
「そうだったんだ。そういう話、もっともっと聞かせてよ」
「はい、完成。いかがでしょう」
懐中から取り出したちいさな鏡を手渡している。サミュエル先輩は、軽く跳ねてソファのスプリングを軋ませた。
「わあー!!お見事!!」
「こんな感じです。ロロと同じように巻いてみました」
「並んで、みましょう」
「か、かわいい!!!!先輩に可愛いというのは失礼かもしれないのですが」
「すてき、絵画みたい」
「そこまで言う?」
「うーん、私もマグノリアにもう一度通いたくなってきた。こんなに可愛い子たちがいるだなんて。入学手続きを宜しく、鳳」
「旦那様、動機が限りなく不純でございます」
「えー、なんで!やだやだ」
「駄々っ子しない!あまり我儘をいうのなら、タルティーヌもお持ちしません」
「ごめん、鳳、困らせて」
「全く、エーリク坊ちゃんを見倣うことですね、旦那様は」
「私だってちゃんと執務をこなしているよ。全然減らないのが不思議なくらい毎日働いているのになあ」
「あ、キッチンの方から、あまくていいかおりがする」
ふいに蘭が言って、杖をひと振りした。ファルリテが姿を現す。
「喚んじゃいました。なにをおつくりになっているのですか?」
「のりにのってタルトタタンをつくってみたんです。プティフールもたっぷり。もうできあがるので、ぱっとレシャに持ってきてもらいます」
そのとき机上がきらきらと煌めいた。もうすっかりなにも乗っていなかったティースタンドや食器類がどんどん消えていく。
かわりに、ずらりとマカロンやクッキーが並ぶ。軽い音を立てて、切り分けられたタルトタタンが目の前に現れた。
「ふう、疲れました」
レシャがスキップしながらホールへ戻ってきた。お父様が二人を大切に雇う理由が、本当によくわかる瞬間だ。この邸宅の台所事情を掌握しているのは完全にレシャとファルリテだ。食事や軽食、お菓子作りの知識やスキルだけではなく、魔力の高さも目を見張るものがある。お父様や鳳が担当している仕事もあるけれど、九割方はふたりが毎日一生懸命食事やスイーツをこしらえてくれている。
「レシャ、ばっちり!素晴らしい仕事だよ」
「君がいるからこそさ、お疲れ様」
「と、いうことでどうぞ、摘んでください」
「ありがとうございます!マカデミアナッツのをいただきます」
蘭が手を合わせて、小皿にマカロンを載せた。
「おいしいと思う。食べてみてください」
「ん、うわあ、これはもう、最高。さくさくしてて、中のクリィムが滑らかで、確り、マカデミアナッツの味がどんっと主張していますね、繊細な逸品……」
「みんなめいめい、おすきに取り分けて召し上がってくださいね。旦那様、リモンチェッロをお持ちしました」
「テキーラがいい」
「駄目です」
「鳳が硬すぎるよ、エーリクからも一言言ってやってよ」
「父がわがままでごめんね」
「違う!!そうじゃなくて」
「エーリク坊ちゃんは、何にも心配なさることは御座いませんよ、今晩しっかりお説教です」
「まあいいや、リモンチェッロも好きだ。レシャ、ありがとう。うわ!ブールドネージュが奇跡みたいに美味しい」
鳳が、ゆっくりお茶を淹れて回ってくれた。華やかな花が浮かぶ、世界でいちばん美味しい、自慢のお茶。
「カップを僕の好みで揃えてくれたんだね。うれしい」
「喜んでいただけて、胸がいっぱいでございます」
「すごーく、華やかな香りがしますね」
「うん、いいにおい。しかもお砂糖入れていないのに、ほんのり甘い」
「シュガーポットは此方に。お好みでお使いくださいませ」
「こんなに美味しいロイヤルミルクティー、生まれて初めて飲みました。お砂糖入れるの、もったいない気がします」
「お褒めに預かり光栄です。おかわりは何杯でもご用意しておりますので、入れたり、入れなかったりしてお楽しみになるのもまた、よいかも知れませんね」
「アフタヌーンティーって、こんなに面白いものなんだな……」
「なんて素敵なひとときなんだろう」
楽しい時間は一瞬で過ぎ去ってしまう。ロロとリュリュと蘭がうとうとしはじめている。
「そろそろ寮に帰った方がいいかもしれないな、初めてうちに来て、緊張もしただろう。それ以上に喜んで貰えたかな、鳳に寮まで送らせよう」
「ありがとうございます、お父様、大好き」
僕はぎゅっとお父様を抱きしめた。すりすりと頬を寄せると、頭を優しくぽんぽん叩かれた。
外に出ると、もうすっかり陽は焼け落ちて、闇穹がやってきていた。僕たちはレシャとファルリテから、寮で食べてねと大量に焼き菓子をもたされ、鳳が運転する車に乗った。
「今日はお招き、本当にありがとうございました」
ノエル先輩がみんなを代表してお礼を述べ、お父様と握手をかわしてから車に乗ってくる。
「坊ちゃん!!」
「坊ちゃんー!!」
レシャとファルリテが泣きそうな顔でぼくをみている。手を差し伸べてきたので握手した。
「またそのうちかえってくるよ、風邪とかひかないように、適度に適当にを心がけて、お仕事頑張ってね」
「はい!」
「坊ちゃんたちも気をつけて」
「お父様、ミルヒシュトラーセ家をしっかり守ってくださいね」
「わかった。エーリク、頑張っててぬきするんだよ」
「あはは、それはいけないことじゃないですか」
「そんな事はない。私も散々遊んだものだよ……鳳には散々叱られたけど。まあそんな話は、今度しようか。呼び出す口実になる」
「では、マグノリアへ向かいましょう、旦那様、行ってまいります」
手をふって、ミルヒシュトラーセ家をあとにした。
僕は走りだした車の中で、ゆらりと眠気に襲われてしまった。ぐっすり眠ってしまった僕とロロとリュリュと蘭を、鳳とノエル先輩とサミュエル先輩がこっそり109号室に運び込んだりしてくれて、目覚めたら僕は両腕にすやすや眠る天使たちを抱き抱えているし、蘭は美味しいお茶を入れてくれていたりした。まあそれから後にもいろんなことがおきたんだけど、それはまた、別の話。

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