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とある治療室について
私には絶大なる恩師がいます。
感謝しても仕切れない恩師です。
私が目標に向かってどこまでできるのか、見届けて欲しい人です。
もし、私が母になることができたら、それも見届けて欲しい人です(笑)
その恩師とは、とある治療室の先生です。
なんでも治せて、パフォーマンスもぐんと上げることのできる、すごい先生です。
「池神はマラソンやったら強くなるかもね!」という言葉をもらったことがあるのですが、それは今の私の心の支えにもなっています。
遡ること10年前…
城西大学女子駅伝部2年生の私は、怪我と貧血のデススパイラルにハマってしまい、夏合宿は北海道で練習をするメンバーに入れず、寮で練習するメンバーになりました。
「私、置いていかれちゃったんです🥲」
とある治療室にて女子大生の私は大泣き。
女子駅伝部の監督からは、このままではマネージャーになってもらうと告げられた後の夏合宿だったので、北海道合宿に行けない→強化する意味のない選手、と言われたような気持ちになりました。(勝手にです(笑))
悔し泣きをする私に先生は、
「北海道合宿行けないからなに?」
「俺言ったよね、やるべきことちゃんとやれって」
「ちゃんとやったの?」
「寮なら逆に自由に練習できんじゃん」
↓
「泣いてる場合じゃない…!」
私の全てが変わった革命的な瞬間です。
その夏は先生に教えてもらった普段はできない練習メニューをモリモリとこなしました。
その年の秋にはみるみる走れるようになり、冬には全日本大学女子選抜駅伝競走大会のメンバーに選ばれ、目標としていた「全日本大学女子駅伝」に出場することができました。
高校は強豪と呼ばれるような高校ではなく、一般の高校だった身からすると、びっくりな目標達成でした。
…まだ続きがあります。
城西大学女子駅伝部を卒業後、富山県の実業団に所属するも、怪我を繰り返して全く走れず、東京に帰って来ました。
帰って来た時は20分jogすらできないほど、走りは崩れていました。
もう走らなくたっていいんじゃない?
でもどこか燃え尽きてないような
なにか引っかかりは残りつつも、
走ることが好きとは言えない状態でした。
1年半ぶりに治療室へ行きました。
こんな状態でどんな顔すればいいのやら…
いつも通りの明るい先生。
クヨクヨしてたのがバカみたい!と思えてきちゃうんです。
…なんだかまた走りたくなってしまいました。
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そんなこんなで現在。
スカイランニングという競技に夢中になった今でも、変わらず支えていただいております。
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競技をしていると、
気をつけていてもどうしても起こってしまう怪我。
これじゃ間に合わない…
先生のおかげで諦めかけたレースに何度出れたことでしょう。
競技力の肝となる練習メニューの相談にもたくさんのっていただきました。
その時々の状況に適した組み合わせ、必要な負荷…
迷いに迷ったメニューもスッキリ解決。
目標までのイメージがすんなりできるようになります。
競技者として夢中で走れるのは
先生に出会えたからだと思っています。
ご縁に感謝。
宗教じみてると言われても結構です。
この壮大な感謝の気持ちを
走りや登り、
そして結果にして持って帰ります。
Special thanks
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