テキストラジオはじめました。
『或る男、人生の難易度設定は高く』
第一話「2015年の終戦」
その男は山場を越えた。
全てを終えた時、精も根も、通帳の残高も尽き果てていた。
消費税が5%から8%に上がった年である。
行商の仕事をしていた男は、この事に対して悲鳴を上げていた。
お客さんのサイフは固くなり、場所代や商品の送料は上がり、悪循環が男の眉間にシワを集めていた。
怒りに近い声で商品を売り続けた。いや、怒り売りだった。
銀行に向かい、通帳に売上を入れる。
お釣りとして貯めていた小銭も、金庫の底にあった小銭も、全てをかき集めATMに叩きこんだ。
ATMの中で、何度も何度も小銭が攪拌されている音がする。
取引先への振り込みを全て終えた。
通帳の残高は一桁を印刷していた。
男は山場を越えた。
越えたはいいが、見渡した景色は草一本はえていない荒野が広がっていた。
絶望する力すら、なかった。
仕事に関わりのある方から、とある社長を紹介してもらい、事情を話し、運良くその社長の会社で働くことになった。
運が良かった。
そして、暑い夏だった。
その会社は、まず電車で1時間、そしてバスに乗って15分ほどの所にある。
荒野の男は電車代はなんとかしたが、毎日のバス代がままならないので、駅から歩いた。
駅から1時間かかった。
この時間を使って、ラジオを聞いていた。
8月。
ラジオからは、6日の広島のこと、9日の長崎のことが流れてくる。
陽射しの強さでドンドンと肌が焼けていく。
月末の給料日までまだ日があるため、痩せこけていく。
そう、まさにその男は戦争を体験しているようだった。
暑い。
ひもじい。
力が出ない。
戦争が終わって70年。
いやまだここに戦時中の男が存在しているのだった。
8月15日。
この日も戦時中の男はラジオを聞きながら、戦争、いや職場に向かう。
「…8月15日、この日戦争が終わりました、70年前の玉音放送をお聞き下さい」
「たえがたきをたえ…しのびがたきを…」
戦時中の男は何も考えることもなく、思うこともなく、足を前に前に進めていた。
https://youtu.be/XcUhACXKx7g
職場についた。この会社は家族経営であり、対応としては柔軟な方である。
だからこそ事情を話しただけで会社で働けることにもなった。
朝礼が始まる。
「私たち(社長家族)は2週間ほど、夏休みをいただきます。
もう先に、今日ですね、給料を振り込みましたので、あとよろしくお願い致します。」
『たえがたきをたえ…』
男の頭の中には『終』『戦』の2文字でいっぱいになった。
戦争が終わったのだ。
ただただ暑さを、
貧しさを、
苦悩を耐える日々が終わったのだ。
戦争は二度と起こしてはいけない。
帰りのバスの中、アイスを食べながら男はそう誓った。
https://youtu.be/Ok8nj-FpGsI
追記
その4ヶ月後、会社を辞めることになることが起きるが、またの機会で書き綴る事にする。
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