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贋作『熱帯』

2021年の末、私は少々退屈な日々を送っていました。
年が明けてからも新型コロナウイルスの流行は衰えることなく、感染者の増加とともに出勤が制限されたり、イベントが中止されたりして、「在宅勤務」の名の下に一日中自宅に居るということも多くなりました。

家で過ごす時間が長くなると、ついボーッとして窓の外を眺めたり、ふとした瞬間にあらぬことを考えたりするものです。そうこうするうちに、自分でも気付かぬまま妄想の世界に引き込まれていたりします。
そんな日々を一週間ばかり過ごしたある日、私はふと、こうして無為に時間を消費するくらいなら、まだ読んでいない小説に挑戦してみようと思い立ちました。

しかし、読んでいない小説と言っても候補は無限にあります。
どこから手をつけるべきか見当がつかなかった私は、少し「ずる」をして文明の利器の力を借りることにしました。ターゲットを海外の古典文学に絞り、関連しそうな単語をいくつか打ち込んで検索すれば、悩む暇すらなく無数の名作に行き当たるはずです。

私がこの作戦を実行に移すと、まず画面に現れたのはカミュの『ペスト』でした。
確かにまだ未挑戦の名作ですが、今は気が滅入ってしまって読む気になりません。とはいえ、タイミング的に今まさに読むべき本である気もします。
そこで私はその日2度目の「ずる」をすることにしました。小説読者としてあるまじきことですが、あらすじだけ調べて読んだ気になろうと試みたのです。

私が調べたあらすじでは、カミュの『ペスト』は以下のような引用(エピグラフ)から始まるということでした。(引用文の内容は、後から新潮社版を購入して確認したものです)

ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。
ダニエル・デフォー

ダニエル・デフォーといえば代表作『ロビンソン・クルーソー』があまりにも有名ですが、同時に『ペストの記憶』という作品も残していたらしく、カミュはその点を踏まえてデフォーの言葉をエピグラフに選んだものと思われます。
恥ずかしながら私はこの時、デフォーがこのような作品を書いていたという事実を初めて知りました。

デフォーの作品には、他にどんなものがあるのだろう?
私は急にそのことが気になり始め、仕事の合間に(厳密にいえば仕事をやや後回しにして)デフォーの著作集を調べてみました。

『シングルトン船長』:聞いたことはあるが未読
『モル・フランダース』:恥ずかしながら初耳
『ロクサーナ』:同上

これらの小説以外にも、何やら難しそうな題名の著作が多くあり、果ては『非国教徒処理の近道』という見るからに不穏な書物すら出てきます。
この書物の来歴について調べてみると、当時のデフォーは小説家というよりもむしろジャーナリストとして著名な人物であり、プロパガンダ色の強い政治文書を多く発表していたという事実に行き当たります。これは私にとって、全く意外なことでした。
こんな怪文書モドキのものを書くなんて、一体どんな人なのか?
さらに調べてみると、デフォーの人生はまさに波瀾万丈でした。
叛乱への参加、逃亡、大成功、破産、投獄、晒し台、スパイ活動、ジャーナリスト、またまた投獄、最後に小説家……等々、ほんの少し調べただけでも、強く興味を惹かれる逸話が満載なのです。

 「……これは面白い」私はそう思いました。

ダニエル・デフォーという人物について調べること自体が、ちょっとした冒険のように感じられたのです。
そして、この小冒険の過程で、私はもう一度『ロビンソン・クルーソー』を読み直してみたいと思うようになりました。
このとき、デフォーの代表作としてAIがおすすめしてくる本の書影の中に、どこか見覚えのある独特な表紙デザインの『ロビンソン・クルーソー』があり、その絵の何とも奇妙な線が私の心をとらえたのです。

ロビンソン・クルーソー光文社

「今度、書店に立ち寄ったときに買ってみよう」
数日後、私は出勤のついでにそれを三省堂で購入し、さっそく読み始めたところ、事前の予感よりも遥かに多くの発見がありました。

毎日少しずつ読み進めるうち、私は、デフォーの文章には二種類の相反する要素が入り混じっていることに気付きました。
一つは、定量的かつ分析的で、まるで報告書のような、感情を押し殺した語り。
もう一つは、あふれ出す感情や本能、欲望をそのまま文字に写し取ったような、極めて衝動的で饒舌な言葉です。

両者の差は余りにも歴然としています。その両方が複雑に、というよりもむしろ乱雑に交じりあう様は、漠然と、筆者自身の深い葛藤を反映しているように感じられました。
一度そのように考えてしまうと、デフォーという「怪人物」がこの作品にどんな思いを込めたのか? ということが気になって仕方ありません。

そこには何か秘密のメッセージ、暗号めいたものが隠されているのではないか、いや、隠されているはずである……

そんな文学的陰謀論にとり憑かれた私は、その後の一週間を『ロビンソン・クルーソー』とにらめっこして過ごし、あれこれと様々な仮説珍説を練り上げてみました。
そして私が最終的に辿り着いた先は、『ロビンソン・クルーソー』と『熱帯』の奇妙な相似性でした。

 これだ!

私は何か確信めいたものを感じ、その着想を誰かと共有したいという衝動が抑えられなくなりました。
数分間の逡巡の後、私はかつて『熱帯』について語り合ったことのある編集者(ここではAさんとしておきましょう)に宛てて、長いメールを書きました。
すると翌日の朝(というより真夜中でしたが)には早くも返信があり、そこにはこう綴られていました。

 大変興味深いお話です。直接お話しさせていただけますか?

Aさんが指定した待ち合わせの場所は、神保町の靖国通り沿いにある、少し古びたビヤホールでした。『熱帯』の読者であれば誰もがピンとくるお店です。

私が入店するとすぐに、両手に大きな荷物を抱えたAさんが現れました。
席について短い挨拶を終えた後、彼女はふうと息をついてから、こう言いました。

 「バベルの図書室ってご存じですか?」


突然の展開に私が困惑していると、Aさんは順をおって、次のように説明してくれました。

・森見登美彦版『熱帯』にも無数の異本が存在していること
・かつて『熱帯』の世界では、冒険の果てに読者が辿りつく場所は「バベルの図書室」と呼ばれていたこと
・そして『ロビンソン・クルーソー』は、日常の世界から「バベルの図書室」へと至る鍵となる書物だと位置づけられていたこと
・その後「バベルの図書室」のイメージは沈んでしまい、その跡に浮かび上がってきたものが「観測所」であること
・「観測所」と「バベルの図書室」の外観は、どちらも同じような姿をしていること
・「バベルの図書室」には冒険者の手記が納められ、その手記もまた『熱帯』と呼ばれること

Aさんの説によれば、「観測所」は「バベルの図書室」と同じ方向、そのさらに奥にある得体の知れない何かであり、『ロビンソン・クルーソー』は「バベルの図書室」への道標となるものだから、結局のところ、それらは全て同一線上にあるはずだということでした。
それ故に、私が『熱帯』と『ロビンソン・クルーソー』との間に共通する何かを感じたのは、ある意味で自然だというのです。

それを聞いて私は考えました。仮に『ロビンソン・クルーソー』の先に「バベルの図書室」があり、そのまた先に「観測所」があるとすれば、その延長線上には、確かに『熱帯』があるはずです。
しかし、そうだとすれば『千一夜物語』はどうなるのでしょう?
『熱帯』を成立させていた鍵の一つであるはずの、シャハラザードと語り部たちの物語は?満月の魔女は?

私が自問自答している間に、Aさんは椅子に置いてあった大きな荷物の中から何かを探し始めました。暫くして彼女が取り出したのは、A4サイズの、縦書きでタイプされた二枚ほどの原稿でした。
彼女はそっと、私にそれを差し出しました。

聞けば、これは森見登美彦版『熱帯』の異本の一つ、決定稿には残らなかった「失われた一挿話」だというのです。
つまり2018年の夏、『熱帯』が生まれる過程で森見登美彦氏の脳裏に一瞬だけ現れ、すぐに沈んでしまった幻のイメージ。

私は暫くの間、我を忘れて原稿に目を走らせました。
その概要はこうです。

失踪した千夜さんを追う学団の男。彼は『熱帯』の謎とともに京都の街を巡り、やがて秘密の図書室へと辿り着く。
図書室の書棚から一冊の本を引き抜くと、その空隙は南の島に続いている。本の隙間から白石さんの声が聞こえ、学団の男を呼ぶ。男は白石さんに手を引かれ、その狭い隙間から魔術的な方法で砂浜へと這い出す。
二人は森へと分け入り、高台に立つ「観測所」を発見する。
コンクリートで出来たその建物は、跪いた格好で息絶えた巨人を思わせる。
観測所の扉を抜けると、ロビーには沢山の椅子がちらばっており、奥の壁はすべて書棚になっていた。
その書棚は何千もの『熱帯』で埋め尽くされている。男は、一冊の『熱帯』が椅子の上に残されていることに気づく。
それは千夜さんの手書きの手記であり、既に見知った『熱帯』とは違っていて、いわば贋作の『熱帯』であった。
二人は興味を惹かれ、観測所のソファに腰かけると、千夜さんの『熱帯』を読み始める……

原稿を読み終えて顔を上げ、ひとまず頭を整理しようと私は珈琲のカップを手に取りました。彼女は黙ってこちらを見ています。

「なぜ私にこれを?」
愚問とは知りつつ、私は尋ねます。

「帰還不能地点」
彼女は微笑んで一言そういうと、虚空に目を向け、動きをとめました。
深い沈黙の中、そのかたちのよい頭の中で、『熱帯』の頁をめくる音が聞こえるように思われました。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに彼女は語りだしました。

「多分、観測所の書棚にあった『熱帯』は全部、あの世界を訪れた人々の手記なんです」
「つまり『熱帯』は無数に存在していて、これからも書き続けられていく」
「それは誰が書いてもいいし、何を書いてもいい。ただし……」
「汝にかかわりなきことを語るなかれ」

汝にかかわりなきことを語るなかれ……
この一言は、先ほどの私が感じていた疑問、つまり『熱帯』と『千一夜物語』との関係についての答えとなるものでした。
能筆なる書記が全てを金文字で書き記し、その後に王の書庫に納めたはずの千夜の物語。
そこには、なぜか「本が書庫に納められた後の物語」が紛れ込んでいる。
追跡者がその違和感から「何か」に気づいた時、「不可視の海域」への扉は開く。
私はいままで、その「何か」に気づいていなかったようです。

既に書き記された『熱帯』は「熱帯」と呼ばれる物語の一部に過ぎず、その残部はこれから記され、やはり『熱帯』と名付けられる――とすれば、『熱帯』を書き始めるという行為こそが「不可視の海域」への鍵なのではないか?
そして、すでにこのやりとり自体が「熱帯」という概念の一部であり、私は既に「熱帯」の中にいる。
そのことを自覚したとき、私はもはや抗う言葉を持ちませんでした。

「締切は厳守でお願いしますね」
最後にそう言って、Aさんは靖国通りのタクシーに消えていきました。

概ねこのような事情により、私は私自身の手記、言い換えれば私なりの『熱帯』を書くことになったのです。
そして散々苦心した結果、私はようやく先日『ロビンソン・クルーソー』と『熱帯』に関する最初の観測記録を書き送ることができました。


「WEB別冊文藝春秋」に「池内さん」の名で掲載されている小文は、こうして生まれた『熱帯』の異本、私の贋作・熱帯なのです。





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