見出し画像

【ふくろう通信14】桐野夏生「悪い妻」のモデルとは

 作家の桐野夏生は昨年1月、神奈川県茅ヶ崎市で開かれた文学イベント「開高健の茅ヶ崎」のシンポジウムにパネリストの一人として登壇した。司会も含め5人の登壇者の中で唯一の女性。「私の若い頃は、開高健を読まなければ一人前の学生とは言えないというくらいの存在だった」と開高の存在感の大きさを懐かしむ一方、妻で詩人の牧羊子にもあえて言及し、「夏目漱石の鏡子さんもそうだが、文豪の妻というのは弟子たちによって『悪妻』というイメージをつけられることが多い。牧さんの話は胸が痛い」と嘆いた。

牧羊子について語る桐野夏生ⓒ開高健記念会

「俺の倫司を汚すなっていうの」

 昨年6月に出た桐野の短編集『もっと悪い妻』(文芸春秋)には、6組の男女を描いた6本のストーリーが収められている。冒頭の「悪い妻」は、妊娠を機に6歳年下のロックバンドの人気ボーカリスト倫司(りんじ)と結婚した千夏が主人公だ。

 千夏は、倫司の才能の開花を阻む存在としてバンドのリーダー安田から忌み嫌われている。ライブのMCでは「一方的出来ちゃった婚」「俺の倫司を汚すなっていうの」と言われ放題。ある日、千夏が意を決してコンサート会場に赴くと、安田がMCで「七音」と書いて「ドレミ」と読む娘の名前を揶揄しだす。笑い声が会場に響く中、目を閉じてステージに立つ倫司は凜としていた……。

開高をとりまく人間模様を映し出す

 桐野は、<「悪い妻」を書いたときは、作家・開高健の妻で詩人の牧羊子さんが”悪妻”とされていることが気になっていました>(「週刊文春WOMAN2023夏号」)と明かしている。確かに「悪い妻」の構図は、「音楽」を「文学」に入れ替えれば、開高健をとりまく人間模様をほぼそのまま映し出していることがわかる。

 千夏のモデルとなった牧は開高より7歳年上で、子供を身ごもったのを機に、まだ大学生だった開高と同棲をはじめ、出産後に結婚した。「悪い妻」の中には、妊娠を知った千夏が母親と一緒に倫司のところに来て、赤ちゃんが出来たと言ってお腹をさするくだりがあるが、これは牧が開高に結婚を迫った実際の場面とほぼ同じだ。

 倫司は言うまでもなく開高がモデル。<釣り上がった目と分厚い唇。それがたまらないと、女たちに人気があるのだった>という風貌も似ている。出来合いの総菜や冷凍食品を嫌いながら自分ではカップ麺しかつくったことがない、という設定も、食に貪欲だったのに自炊はほとんどしなかった開高のカリカチュアといえる。

牧羊子に辛辣だった谷沢永一

 <目尻の下がった可愛い顔>の安田は、開高の古くからの文学仲間で文芸評論家の谷沢永一(1929~2011年)で間違いない。谷沢は若いころ同人誌「えんぴつ」を主宰し、同人の開高の才能を見いだしたと自負していた。一方、やはり同人だった牧には非常に辛辣で、<私には遊びごころが欠けているので、牧の詩を正面から論じる気はなかったし、彼女が天井をむくような格好で、あたりかまわずまくしたてる発言に、なんらかの意味があるとも思わなかった>(谷沢「回想開高健」新潮社)と切り捨てている。「悪い妻」の中の安田が、千夏がかつて参加していたガールズバンドについて、「千夏が抜けて、前より音楽性が高くなった」と当てこすりを言っているのに通じる。

同人誌時代の開高健(右)と谷沢永一

 1958年に28歳で芥川賞を受賞してから、開高の行動半径はどんどん広がった。これに対し、<牧は突き進んで、それらあれこれなにもかもを、すべて自分で取り仕切ろうとした><牧は、管理者となってゆく。開高は、逃れる方法をかんがえ、逸走の名目と手段を案じる>(回想開高健」)。夫を独占したいと願う牧は、文学仲間から見れば「悪妻」以外の何者でもなかった。

「開高さんを取り合っていた」

 牧自身は開高の純文学に深く惚れ込み、何としても後世に残そうとしていた。開高の人気を高めた釣り紀行「オーパ!」シリーズの舞台となった集英社の雑誌についても、当初は「開高は舞台を選びます」と言って連載のオファーを断ろうとしたほどだ。開高が1989年に死去した後は、フィクション・ノンフィクション双方を対象とした「開高健賞」をたちあげ、現在の開高健ノンフィクション賞につなげた。牧は2000年に亡くなったが、その意思は公益財団法人開高健記念会に引き継がれている。

 牧とのつきあいが長かった記念会の森敬子理事は「谷沢さんと牧さんは開高さんを両方から引っ張って取り合っているようだった。しかし牧さんが頑張ったから、開高さんの文学が残った」と評価する。開高が元気なころの牧はおしゃれに気を配っていたが、先立たれてからは身だしなみを顧みなくなったという。

若き日の牧羊子

 では、また。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?