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出ていった時と同じ、愚か者のままで。-ゲド戦記『影との戦い』

『影との戦い』を読み返した。もう何度目だろう。

新卒で入社した会社を辞めるとき、仕事の取引関係にあって尊敬していた方(本職は児童文学の評論家だった)が、ハードカバーで6巻セットになっている「ゲド戦記」のボックスを贈ってくださった。

新宿の駅前の飲み屋で、その人は「辞めるのか。惜しいな。ちくしょう」と言って、仰向けになって寝た。繊細にして豪快な人だった。知的体力とか知的戦闘力という言葉を使うときは、いつもこの人の顔が思い浮かぶ。

もう15年以上前のことだが、今になって振り返ると、Amazonも普及していなかった頃、急に辞めていくことになった若造のために、これをどこかで(きっと紀伊国屋とかだったのだろう)調達して夜中に待っていてくれたわけだが、私は全く相手の気持ちを受け止められていなかったように思う。初めての転職で自分のことしか考えていなかった私は、重いボックスを持ち帰って、ただ「重いな」と思っていた。

それが、ゲド戦記との出会いだった。まだ、ル=グウィンのつくり出した世界の一端に、引っ掛かってぶら下がっている、というくらいの読みしかできていない。特に4作目以降は、未だに怖くて踏み込んでいけないようなところがある。

さておき、『影との戦い』は何度も読んだ。今回は、今まででいちばん、細部まで楽しんで読めたように思う。街の様子や、ゲドを取り巻く人達のことが初めて見えた。

改めて胸に迫ってくるのは、以下のような箇所。本当はシークエンスで引用したいが、きりがない。

「聞こうというなら、黙っていることだ。」 
「わたしひとりの力ではとてもだめです。どうか力を貸してください。」
「自分の名を言いなされ。」 
なかでも目くらましの術はいともかんたんに自分のものにしてしまったので、本当は生まれながらに知っていて、それを思い出しさえすればよかったのではないかと疑いたくなるほどだった。
「そなた、子どもの頃は、魔法使いに不可能なことなどないと思っておっただろうな。わしも昔はそうだった。知識が豊かにひろがっていけばいくほど、その人間のたどるべき道は狭くなり、やがては何ひとつ選べるものはなくなって、ただ、しなければならないことだけをするようになるものなのだ。」 
「やあ、来たか。」オジオンは言った。
「はい、出ていった時と同じ、愚か者のままで。」 
自分がしなければならないことは、しでかしたことを取り消すことではなく、手をつけたことをやりとげることなのだ。
「わたしの名も、あんたの名も、太陽や、泉や、まだ生まれていない子どもの真の名も、みんな星の輝きがわずかずつゆっくりと語る偉大なことばの音節なんだ。ほかに力はない。名まえもない。」
「死は?」
「ことばが発せられるためにはね、」ゲドはゆっくりと言った。
「静寂が必要だ、前にも、そして後にも」 
ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。

『影との戦い』の物語を共有して、対話を経てクリエイティブユニットのArrowsが制作してくれた、所属部門のキービジュアルがこちら。

mainVisual - コピー

※この記事のヘッダー画像は、Arrowsの制作中のラフ画を使わせていただいた。

完成して少し経った頃、所属する会社のインターンシップ・プログラムの企画と進行を担当することになり。要件と流れを決めてプレスリリースの原稿を書いてから、Webサイト制作を始めた。参加インターン生への「指示書」にあたるものだ。そこに必要なことは書いておくので合流次第とりかかってください、という設定のもの。

このインターンシップ・プログラムは、いわばオープンワールドで行うクエストなので、始まってしまってからは後方支援しかしない。物語を、初日を迎える前に引き受けておいてもらう必要がある。だから、できるだけディテールのある、圧の強い指示書サイトにするべきだと考えていた。

だから、トップ画像に使うキービジュアルだけは、担当部門(インターン生が配属されるという設定)のものを使うと決めていた。しぜん、サイト制作もArrowsにお願いすることになった。プログラムに命名した”Boat Config"も、ここから浮かんできた言葉だ。

Arrowsのポートフォリオサイト

完成した指示書サイトがこちら。

インターンシップ・プログラムの、公式の広報は後日、会社から発信される。そのときには、自分から見えていたものと合わせて紹介したい。

今回、『影との戦い』を過去最高の解像度で読めたのは、回数を重ねたからでもあるし、それなりに歳をとったからでもあるし、仕事のプロジェクトでの必要に駆られたからでもあるだろう。

Arrowsのおふたりには、個人的にゲド戦記のボックス(文庫版)を贈らせてもらった。あの時に、自分に贈ってくださったあの人への、恩返しのような気持ちがあったように思う。いつか、あの人には、直接、お礼を言わないといけない。でもその時は、頭を下げていくような気がする。

「やあ、来たか。」オジオンは言った。
「はい、出ていった時と同じ、愚か者のままで。」 



ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。つたないものですが、何かのお役に立つことができれば嬉しいです。