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ラフティング世界選手権日本大会回想記④

2016年12月、長年所属させて貰っていたテイケイをクビになり、ラーメン屋で夜7時から朝6時までバイトをしながら2017年10月の世界選手権まで準備に専念することにした。結果的に自分が育てていた選手達を見捨てる格好になってしまい、彼らには申し訳ないことをしたと今でも後悔しているが、結果的にあの時点でテイケイを辞め、オーガナイザーとしての仕事に専念出来たことは良い選択だったと今は思う。とは言え、家族を養うのに十分な収入があったわけではなかったので、あの1年はお金的にはキツかった。

準備期間、月に2度ほど神奈川から三好に通った。基本的に夜行バスの移動で、新宿を21時に出て三好に着くのが翌朝6時頃。何度かバス停まで迎えに来てもらうこともあったが、バス停から2kmほど離れたJRの駅まで歩いていって阿波池田まで汽車で行きそのままラフティング世界選手権推進室があった市役所の分庁舎に向かった。余談だが四国のJRは電化されておらず、ディーゼル車なのでみんな汽車と言っていた。

大会期間中、選手達が滞在するaccommodationは20箇所以上になった。レース会場から1時間圏内にある宿泊施設を一件ずつ回って収容人数、部屋の間取り、食事の提供の有無、Wifi環境など調べた。レース会場から1時間の範囲内ということは高知県側も含まれ、また徳島県側も隣の町までの範囲だったので、宿泊施設を回るのにも時間がかかった。三好市は元々池田町の名で、やまびこ打線で一世を風靡した池田高校が全校的にも有名で、元々はタバコ産業で栄えた町だ。四国の各都市に行くのに池田は中継地点のようなところで、昔は旅館も多くあったという。今でも何軒も残っている古い宿には、これまたそこに似合った素敵なおばあちゃんがいたりして、お茶を出してくれて昔話をしてくれたりするので、なかなか貴重な経験をさせて貰った。市内の何軒かの旅館も選手の受け入れに手をあげてくれた。

選手達には4タイプのaccommodationから選んで貰うようなシステムにした。4タイプは基本的に宿泊料金で振り分け、キャンプ場・旅館・ホテルと選手達の予算に合わせて選べるようにした。基本的にラフティング選手は、普段別の仕事をしていたり、学生だったりするので、お金に余裕があるチームばかりではない。なので、予算的に厳しいチームでも出来るだけ快適に過ごしてもらえるよう、キャンプ場もある程度整備されたところにお願いした。
エントリー時にaccommodationのタイプを選んで貰い、どのチームがどこに滞在するかはこちらで配置した。と言うのも競技スケジュール・バスの手配も踏まえ、移動をいかにスムーズにするか頭を使う必要があった。競技スケジュールは大きくユース・ジュニアとオープン・シニアで分けていて、スプリント・H2Hは全カテゴリーを同日に行ったが、スラロームとダウンリバーは別日または別の時間にした。セーフティを含め運営スタッフの手配の関係もあり綿密な計画が必要だった。もちろん全てを一人でできるわけではなく、推進室の方々やJTBの人たちも助けてくれた。ただ最終的な決断の時には必ず立ち会ってGoサインを出した。
何しろ入札の際、運営上の責任は誰が持つのかと言うところに自分の名前を書いたのだから、細かい部分まで一通り把握しておく必要があった。

accommodationに関する選手からの苦情は1件だけあった。一番上のランクを選択したチームからで、思った以上に部屋が狭いと言う。確かに体のデカい外国人選手には狭いと感じたかもしれないが、生憎、部屋数を増やすことができず、晩飯の時にビールをサービスで出して貰った。彼らもそれ以上苦情を出してこなかった。ほとんどの選手から宿に関しては好評だった。旅館の皆さんも選手が飽きないように毎日メニューを工夫してくれて、選手達にはそれがしっかり伝わっていた。

つづく


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