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カヌースラロームとの出会い

僕はラフティングというマイナースポーツをしていたが、練習の一貫でカヌースラロームという種目にも挑戦していた。ラフティングもカヌースラロームも川というフィールドでやること、ボートに乗り川を下るタイムを競うことは変わらないが、ラフティングは団体競技、カヌースラロームは個人競技で、ラフティングはスラロームを複数種目があり、各種目の順位にポイントが与えられてその総合ポイントで争われるのに対し、カヌースラロームはスラロームを行なってタイムで順位が決まる。

カヌースラロームとの出会いは2004年、初めてチェコとスロバキアに遠征した際、プラハでカヌースラローム日本代表の佐藤S平選手に出会ったことが始まりだ。それまでダウンリバーはやっていたが、スラロームは全く縁がなかった。プラハにいる間に、カヌースラロームのWカップを生で見ることができたのも僕にとっては大きな衝撃だった。こんな世界があるのかと。

日本に帰ってもプラハで意気投合した佐藤選手との交流は続き、御岳で合宿の時は彼の部屋によく泊めて貰った。そのシーズンオフに彼からボート、パドル、スプレースカートを譲り受けスラロームの練習を始めた。スラロームのボートはカーボンで出来ていて、長さが3,5mあるのに重さは10kg以下だ。正確には8kg以上ないといけない。レースでは漕いだ後、検定を受ける。ボートの長さ、幅、重さを確認される。

話が少しそれたが、カヌースラロームはこれまで我流でやっていた僕のカヤックスキルを完全に否定した。正しい位置で正しくパドリングしないとボートが反応してくれない。これはちゃんと乗れるようになりたい。
ラフティングの練習の合間にスラローム艇に乗る時間が増えた。チーム練習の中でもスラローム艇に乗る時間を作ったりして、チーム一人一人のスキルアップに役立った。

2011年に引退したチームメイトのTATSUYAからC1のボートを譲り受け練習を始めた。これが僕にとっては良い選択だった。K1では日本のトップ選手とかなり差があって、レースに出ても勝負ができない。でも当時C1は選手が少なく、今ではK1の選手がC1を漕ぐことが普通だが、当時はそんなに多くなかった。そんな中、2013年、富山の井田川で行われたジャパンカップに初出場した。井田川は流速も早く、エディが小さい難しいコースだ。心地良い緊張感の中挑んだ初出場のジャパンカップでなんと3位になってしまった。あの、羽根田選手と表彰台で並んだ!誰かあの時の写真持ってないかなぁ。

最終的にはC1でBチームだけどナショナルチームに選出され、国体にも2度出て最高順位は3位だった。ラフティング選手がオリンピック種目であるカヌースラロームに出てこの成績は後にも先にもないかもしれない。カヌー選手がラフティング選手に転向することは世界的にも割と普通の流れだが、この逆はあまり聞かない。例えるならバレーボール選手がビーチバレーに転向することはあっても逆はあまり聞かないのと同じ。そんな感じ。

カヌースラロームとの出会いは、僕にとって川の楽しさ、競技の楽しさ、川の中でボートを動かすことをより繊細に教えてくれた。これも俊平との出会いのおかげ。
2011年のクリスマスカップで彼に勝ったことは、僕にとって一生の思い出だ。
と一生彼に言い続けるのである。


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