教育が大事な理由が分かった気がする

 つい最近まで学校の勉強はほとんど要らないんじゃないかなと思ってて、国はもっと効率的に義務教育の制度を変えるべきだ!と勝手に思っていたがそれは間違いだった。

 僕がそう思っていたのは”何故か”読書ができていたし気になったことは率先調べる癖があったからだ。今はそんなことめんどくさくなってきたし役に立っているのか分からないからほとんどしていない。

 以上のことは僕以外の人だってほとんどの人がそうだと思う。そう言う人たちのためにも強制的に学問や物事の原理を教えてくれる教育制度はあった方がいい。もし受けてくれないのであればマスコミが伝えることを処理できないし、人の言っていることや文章を理解する力がないために経済が崩壊してしまう危機になる。また金を持っている人たちは教育や学習の効果を知っているためその人たちだけが知恵を独占してしまうため格差がどんどん広がる。平均年収という額だけで見れば今と変わらないがその理由としては天と地の差が激しくなるためだ。

 人間の割合の要素をざっくり学習と感情に分けたなら理想なのは5:5なのかもしれないがこれは無形で視覚することができない。しかも僕はこの割合は生まれ持った大きさで決まっていてパイを大きくすることはできないと思う(小さくはなると思う)。100で生まれてくる人もいれば150で生まれてくる人もいると思う。それか皆100で生まれてくるが割合が3:7や8:2など各要素の上限が決まっているのかもしれない。それは分からない。

 話がそれたな。僕が(年齢22歳)現時点で考える教育が必要なのは理由以下の3点をなるべく減らすためだと思う。

1.現状が理解できない

2.経済的な面で人間同士の協力ができない

3.私生活でも会話や文章でのコミュニケーションがうまくいかない

 僕の周りは幸運な人が多いため教育を受けている人が大半だ。それは僕もしっかりと教育を受けることができてその環境にいたからなんだけどね。しかしそれでも話が通じないこと、僕自身が相手の言葉を理解できないことが稀にある。その時に何が役に立つかというと今まで習ってきたことを使うことなんじゃないかな。

 例えば1+1=2という式は誰が見てもこれ以上の答えはない。誰でも知っている処理の方法だ。みんながみんな同じ処理の方法を持っていれば世界は混乱することはない。本来これができるならば資本主義なんか発展しない。しかしみんながみんな同じ手法を使わない、使えないから経済に格差が生じるのである。それは教育をどれだけ受けても敵わない部分がある。しかしその世界の中で教育を半端に受けてしまえばしっかり受けたものにすら敵わない状況になってしまう。

 企業が大卒と高卒で給料に差をつけるのはなんとなく分かった。以前までは同じ仕事内容なんだから給料に差をつける必要なんかないじゃん、と思っていたがそこには教育を受けてないことによる差があるのかもしれない。会社に応募する時にもTOEIC 〜点以上や資格の有無、海外経験の有無など学部以外の記入欄がある。これは最近になってから大学を卒業する人が多くなってきたから他の”教育”に関する差をつけるためなのかと考えています。

 なお、それだけやっても資本主義で上を行く人は必ず少数はいるはず。それはどういう人なのか全く想像もできないし今後理解することもできないと思う。

 教育は大事。特に今では人と人との関係を円滑にするために必要なのだ。どれだけ話が通じなくなってもみんなが学んだことまで遡れば同じ解を出すことができる。それすら忘れてしまったら孤独になってしまう。教育とはそういうものなのかもしれない。

 道徳や哲学が重視されてないのはそれほど日本が危険がない国だからだ。

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