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人生とは、因数分解である。

人生とは、因数分解だと思ったりします。

たくさんの人がいるこの社会、よく「人という字は支え合ってできている」といいますが、実際にはそんなことはなくて、人という字は一人の人が足を広げて立っている(または歩いている)姿の象形文字だそうです。

だとすると、「人」という字は一人。でも人は一人では生きていけないわけで、日本語ではそれぞれの「人」を総称して「人間」と書きます。

これも趣深い言葉で「人達(ひとたち)」と表現せずに、「人の間」と書きます。この「人の間」というのには、2つの意味があると思っていて、
・前を向けば人、後ろを向けば人、右を向けば、左を向けばというように、二人の関係ではなく少なくとも三人以上の関係を形成していること
・人が複数人いるだけでは「人間」ではなくて、「人と人の間に生じる空気」=「関係性」で人は生きていくんだということ

どちらもぼくの勝手な解釈なわけですが、行間を読む文化、ハイコンテクスト文化である日本人らしい表現だなあと思うわけです。

さて、話をタイトルに戻しますと、因数分解というのか複数の要素の共通項を一括りにして()でまとめるという計算です。

つまり、共通項を抜き出したそれぞれの要素には、他の要素とは違う「個性」が現れてきます。

例えば、学校で考えてみると、「○○高校」という共通項でくくられ、「○年生」でくくられ「○組」でくくられると、その()の中には30ないし40人くらいの人がいるわけです。

これをまた、男女であったり部活であったり、仲良しグループでくくられ、最終的にどこかで他の人と違う要素が残るわけで、私たち人間が勝負していくのはその残った要素だったりするわけです。

それは「運動神経が良い」という要素かもしれないし、「勉強ができる」かもしれない。そんなスペックなんかでなく、「優しい」「明るい」「盛り上げ役」といったパーソナリティかもしれない。

いずれにせよ、私たちは因数分解で残った部分が自分なわけです。

「個性」というのは非常に難しいもので、特別なものがなければ、数学的には1しか残らないわけです。ただ、因数分解を進めても0にはならないわけで、その1である部分をどう育てていくかだと思うのです。

そんな人との共通項と共通じゃない「個性」それらが組み合わさって生きているのがぼくらなわけで、決して一人で生きているわけでもなければ、他の人と全く同じ人もいない。いわば人と人の間の空気感を上手く見つけて生きていかなきゃいけないんだろうなあと思ったりしています。

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