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【帰国日記】レトロに魅了される年頃② 〜ビル・喫茶店など〜

どうして、子どもの頃や必死で働いていたあの時が

輝いて見えるのでしょうか。

過去にしがみついているのか、褒めてもらいたいのか、

はたまた、今に満足していないだけなのか…


久しぶりの帰国は、過去の名残を発見しては

気持ちを落ち着かせていました。

今となっては、積極的に探さないとあっという間に消え、

姿を変えでは記憶の彼方に行ってしまいます。

だから、今見えているものが、

次回の帰国で無くなっているかも…

と思うと、少しの焦りさえ感じます。

では、香川で見つけた思い出のレトロを紹介します。


成豊堂: ナルホド ビル

高松の老舗文房具店 成豊堂のビル。

文房具店はこの近くで営業していますが、

かつてここは、オフィスやカフェが入ったビルでした。

複雑な十字型をしている交差点なので、

建物も土地柄を利用した当時の斬新なデザインといえます。

祖父母がこの近くに住んでいたことから、

私たちのランドマークとして、「ナルホドーのビル」

という言葉は何度となく使ってきました。

県庁から北上した交差点に位置しているため、

立地としては抜群です。

ここを起点に海か、街かなんて話をします。

それがご覧のとおり、下の階は中から覆われて

使われていないのが分かります。


喫茶・軽食 しゃぼん玉


ナルホドービルの裏手にある小ぢんまりとしたお店。

入ったことはないですが、今も尚存在し続けることに、

なぜか感謝をしたいと思わせます。

本当は入った方が貢献できるんでしょうが、

一見さんはなかなか入りにくい。

次回の帰国で残っていたら、旅人を装って入ってみよう。


南珈琲店

商店街の中にある喫茶店。

何十年か前にここに近くから移転してきました。

当然と客さんも移動。シートや壁に染み込むように、

みんな一体化していると感じる常連さんばかりのお店です。


私はここでしかウィンナーコーヒーを飲みません。

日本一と言いたいほど絶品なんです。

友だちは学生の頃から働いているけれど、

特に、大きな特徴がある訳ではないんだといつも言います。

おそらく、生クリームの質や砂糖の量、泡立て具合、

コーヒーとのバランスが絶妙ななんでしょうね。

ここは喫煙ができるので、溜まり場にもなっています。

だから、残り続けると思います。


大通りの古民家と貸衣装

「大はし」は、祖母の知り合いだった貸衣装店。

卒業式、成人式、結婚式と節目節目にお世話になりました。

レンガの建物とその上のビル全体を使って営業しています。

ひっつくようにして建つ隣の古い家も時代ですね。

祖母から受け継いだように、私も次の節目には

衣装を借りないといけませんね。


資生堂化粧品販売株式会社香川支社

青空に浮かぶ懐かしいロゴ。

古いビルに耐震補強を施し今なお立ち続ける姿に

凛々しさと雄大さを感じます。

資生堂はなくなりませんが、建物はどうでしょう。

側面の窓からは個性的ですね。保ち続けてほしいです。


民芸福田

商店街からすこし外れると現れる、

ずっと変わらない民芸福田。

器、籠、箸、盆、茶器、壁掛け、人形、小物など

本物を扱うお店です。現存にホッとしました。

変わらない佇まいにこれからも、時代の流れに左右されず、

伝統芸術の美しさを伝えてほしいと願います。

また来まーすと挨拶をし出ました。



八栗(やくり)さんとよもぎ餅

私が育った牟礼町の八栗寺がある八栗山。

四国八十八ヶ所の八十五番札所です。

ケーブルカーで山上を目指すか、

この鳥居をくぐって自分の足で登るか。

お店を経営している人は、月の初めにお参りに行きます。

父も会社員時代は必ず登っていました。



子どもの頃は、年越しに登山へ友だちらと皆で行きました。

あと、中学の吹奏楽部恒例、年明け初回の練習は登山。

何度となく登った懐かしい山です。

その途中に見逃せないポイントが。

寅さんが通用する時代はいつまで続くのだろうか…

注文をしてから、餡を包んでくれます。

一口かぶりつき、手を向こうまで離しても

ビョーンと伸びる生地。

口の中でねちょっとしながら甘い餡に魅了されます。

服にはきな粉が落ち、手はベタベタしますが、

そんなことにゃ気にならないくらいの絶品!

おばちゃん、後継者は誰かいるのでしょうか。

八栗さんの名物として残り続けてほしい味です。


タマル

かつて、高松でレコードやCDを買うならば「タマル」でした。

これは再開発が進む商店街の中にありました。

左側や後方は更地になっています。

「次はここです」と言わんばかりの状態。

飲んだ後に先輩と歩いている時、ハッ‼︎と

このシャッターの存在に気付きました。

高松の人間にとって、青春の音楽を築いてくれた場所。

出せば売れる「ミリオンセラー」が続出した時代。

何週にも渡ってランクインする楽曲に、

こぞっておんなじ音楽を聴いてはカラオケで熱唱しました。

懐かしいですね。


2007年に閉店してから、その後、

空き店舗に誰も入る事なく今日を迎えています。

ということで、このシャッターに書かれた文字は、

当時のものそのまま。

電話番号が、市外局番「0878」の時代で、

続く2桁から表示されているというのが懐かしい。

これは間もなく姿を消すことが分かっています。

最後にこのシャッターに気づけて良かった。

古馬場(ふるばば)

高松の飲み屋街「古馬場」です。

かつてラジオの番組で、地名を紹介するコーナーをしていました。

落語さんとがインタビューするんですが、

おばちゃんを捕まえて、

「あなたは古馬場ですか?」と聴くんです。

すると、「誰が古いババアゃー!」と突っ込む。

もちろん、知り合いに声をかけたんですけどね。

今も記憶に残っている場面です。

本当の由来は、海辺の玉藻城がまだ存在していた時代のこと。

城内に、新たに馬場を作ったことから、

元々あった馬場に「古」を足して古馬場になったという。

そんな事実を、城下町屏風を見ながら

博物館の人が応えてくれました。



それから時代は流れて、今では飲み屋が連なる場所。

ここ以外に、隣、またその隣と賑やかな通りがあるんです。

コロナ禍に友だちはラウンジをオープンさせました。

夜は賑わっていますが、閉店したお店もあります。

少し電飾の数が少ないとも感じました。

飲みに行く文化も、夜遅くまで飲む文化も

デロンデロンに酔う文化もなくなりつつあります。

少子高齢化で、今の子どもたちがみんな集っても

まだ店の方が多いくらいかもしれません。

この賑やかさ、途絶えないで欲しい。

次回の帰国ではどこまで残っているのか。



それにしても、どうしてこんなに

寂しく感じてしまうのでしょう。

親の老いを認めるように、街のひっそり感も

受け止めなければいけない。

新しくなるものもあるはずなのに…

過去にこだわりすぎているような気もする。

秋のノスタルジーの時期だからかなぁ

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