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言葉から受ける男性的な印象


メルケル首相の演説



2020年3月18日、ドイツのメルケル首相は、国民に向け
新型コロナウイルス感染症対策に関するテレビ演説を行った。

その内容が威厳あり素晴らしいと
作家・池上彰は、雑誌『CREA 2021年1月号』に綴っていた。

その文章を検索してみると、まさに心に刺さるものがあった。


「渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです。」

               ドイツ連邦共和国大使館・総領事館より
              


演説により、低迷していた支持率も上がったとか。


文面から、ドイツの気質や国民性から滲み出て、
真面目さや厳しさなども伺える。




男性的な印象

メルケル首相の声明を全文読みんでみると、
こんな印象を抱いた。

「男性的」

現代は、発言に対し性別を分けるのはタブー。
もちろんそれを理解している。


先日、メンタリストのDaiGoさんがゲスト出演していた
Podcastをたまたま聴いた。
名前しか知らないが、極端に優れぶっ飛んだ人だと感じた。
新ジャンルであるメンタリストという分野で飛躍できたことに
意味があったのだろうと必然性を感じた。


彼がその中で話していたことがある。
極秘で企業のトップが語るスピーチをライティングしているという。
日本では、超極秘で行われるようだが、
海外ではオープンにし、別のライターがいることを発表している。

ココだ。

メルケル首相の発言は、彼女から発せられる言葉なのか、
ライターを抱えているのかは知らないが、

どこか男性的な印象を受ける。

前代未聞の異常事態に対し、
冷静かつロジカルに伝えた内容だからだろうか。
もしくは私の中に、戦争・政治・経済など
男性によって作られたという過去に
引っ張られているのかもしれない。
女性が書いたと分かると印象が変わるのだろうか。
はたまた、翻訳された日本語から受けるものなのか。




男勝りの文章


私は、イタリアに来る前、
ラジオディレクターとして地方局に10年勤めた。
新人の頃からワイド生放送を持たせてもらえてから、
瞬く間に、あらゆる仕事に携わることになった。
情報・ニュース・県政・宗教・スポンサー番組など
無我夢中で勤しみ続けた。

しばらくすると、私の元に社報の1ページを書くようにと
依頼されることが度々あった。


特にテーマを絞られるでもなく、
毎度、取り掛かっている番組について書く。

意外にもこの作業が好きで、
番組とは違う発信の仕方に喜んで綴った。
また、社内という限られた場での内々感も心地よかった。


後日、これが発行されると、
社内のあちらこちらで声をかけられる。
先輩記者からは、「あっ、社報の人!」と言われたこともあり、
知らない部署の人と話すきっかけにもなった。



しかしこの文章に、一人だけ意見してきた人がいた。

それは、ベテランの男性アナウンサー。
言葉に対し非常に厳しく、後輩の指導もする立場にあったために、
私の記事が出る度に、何らかの感想を述べてきた。

一度、彼が発した言葉に引っかかったことがある。
それは、


「君が書いた文章、男みたいだね。」





私が当時書いた言葉は、
敬体の「ですます調」はなく、
常体の「だである調」で書いた。

なぜこれを選んだのかは覚えていないが、
誰かになりきって文章を書いたに違いない。

もしくは、文語になると、口語で話す言葉とは違う人格になり、
「だ・である」と使いたくなるのかもしれない。

イタリア語を学んで気づいたが、話す言語で性格が少し変わる。
日本語を使う時は、聡明さを演出したく明るめの声で話す。
イタリア語の場合は、低くめの声で飾らない内面の私に近い。
英語を話す時は、勉強不足なために借りてきた猫になる。
言語によって、違う自分がいることを認識している。
だから、文語になると常体を使うように自然と切り替えているらしい。


だである調は、断言し体言止めを使うなど強い印象を受ける。
社内で埋もれることなく、若手の発信者となるなら、
「良い子」「普通の子」ではないと訴えたかったのかもしれない。
その根底には、冴えない学歴という劣等感から来ていたのだろう。
出身校で区別する社会に反発心もあったために、
小さなアリのような私が強く出たのかもしれない。


例のアナウンサーは、間違いなく私に嫉妬していた。
想像以上の出来と話題性と人気ぶりだろう。
番組制作する中で、作品に対し抗議や忠告をする人がいる。
ごもっともなこともあるが、反響の大きさとも言える。
彼も同じ、伝わったということになる。しめしめ。



言葉もダイバーシティへ


メルケル首相の声明から感じる威厳は、
ドイツという社会では、男女問わずして持つべき姿勢であろう。
国民の意を汲んだ上で、国の代表としての発言。


これからは、文章から感じられる男らしさや女らしさを気にせず
女性も強く発信していくことが当たり前になるべき。
だから私も常体を多用していくし
メルケル首相の言葉は彼女の想いとして受け止める。


同時に、これからの政治や経済はもっと女性が活躍し
男性が作りあげてきたことを過去のものにしていきたい。


そのうち、男言葉や女言葉もなくなる日が来るだろう。
誰でもどの言葉を使っていい社会。
今や「うまい」は女性でも使う言葉になってきているし、
広告業界では当たり前に使われている常套句。

時代は移り変わり、新たな言葉が出てくるはずだ。
性別の隔たりを感じさせないニュートラルな世界が来ると
言語も自由に変化させるに違いない。


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