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インスタライブを最前列で

ギターライブを一番前で聴いた。
しかも布団の中で。

何だか、矛盾しているように聴こえるが、
これが現代ライブのワンシーンだ。

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とは言え、彼女はプロではない。幼馴染の一人だ。
小学一年の時に同じクラスになってから、供にミスチルのファンになり、吹奏楽部で青春を謳歌した。休日にお家に遊びに行くこともよくあり、クラスで特に仲の良い、大切な存在となっていった。
父親は大工とあって、立派な日本家屋に住んでいた。彼女の家に行くと、後にも先にも、あの時にしか目にしたことのないものに出会った。居間から奥へ進むと巨大な和室がある。静かに襖を開けて見せてくれたのは、一畳分ほどの巨大な半紙に、堂々とした字を綴った作品だった。その時の迫力に圧倒されたことを覚えている。字だけでなく、絵やデザイン、服や小物のセンスなど、美的感覚はぬきるんでいた。


社会人になると、地元から離れて大阪や名古屋で勤めた後、縁あって岐阜の男性と知り合い結婚に至った。知り合いのいない未知なる土地で、初参が双子。病院で安静にしなくてはならず、辛い日々を送っていた。ちょうどその頃、メールではなく手紙のやり取りをしていた。どうにか元気付けたいと、岐阜まで駆けつけた。
あれから10年以上たち、今では三人の娘に恵まれて、賑やかな日々を送っている。


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子育ての傍ら、パートに出ているようだ。
そんな忙しい日々の中でも、彼女は趣味を忘れることはない。

再びやる気を出しているのが、アコースティックギター。
学生の頃から、ずっと個人で楽しむ範囲で演奏をしてきたようだ。かつてはお兄さんのギターだったが、結婚後は旦那さんのギターに触れるようになったとか。


そんな彼女のインスタギターライブに参加。


単なる趣味として弾いているだけで、上達途中だからプログラムなんてない。ただ目の前にある楽譜のタイトルとコードを見ながら、弾きたいか・弾けるかを判断しながら歌っている。

これがいい。


映像は、ただスマホをその辺に置いただけで、歌う姿は映さない。弾いている様子を見せなくても全ては伝わる。ページを捲る音、手元を確認しながら奏でていること、途中で子どもたちがお菓子を食べたいと入ってくること、向こうの方でケンカしていることなど。まさにラジオ的感覚だ。

そして見ている方も、向こうから見えないこともあり、ベッドで横になりながら聞いていた。でも、コメントではどんどんリアクションをし続けた。これが私なりの最前列の観客だ。タイムラグを計算しながら、拍手の絵文字を送ったり、歌詞を綴ったり、感想を述べたり、リクエストしたり。かなり優秀なリスナーだったのではと、職業病がちょっと出てしまった。

他の観客はというと、数人が出たり入ったり。彼女の友だちはハートを送っていた。そこに私も便乗してハートを送り、その友だちにまでリアクションを取った。もう気分はフロアD。

歌う曲は、お兄さんや両親の影響もあって、少し私たちより上の世代から現代のものまで幅広かった。中でも、弾いている本人も私もゾッとした曲があった。

ミスチルの「タガタメ」

実は彼女、このインスタライブをやった理由が、濃厚接触の可能性があるため、隔離を行っていた。ふと時間ができたために、ギターを弾き出したというわけだ。
そんなこともあって、このミスチルの歌詞が妙に胸に刺さった。だがこの曲は2004年の作品。恐ろしい伝染病が来ることを誰も予想しなかった頃。それが17年経ち、ハマるという恐ろしさを感じた。どんな歌かはこの動画を見てほしい。
このYoutubeは公式のもので、凄まじい迫力がある。屋外ライブで雨に見舞われた。だが、それが演出の一部と化し、嘆きや訴えがよりいっそう強調されるものになった。わずか7分の歌だが、最後に涙が込み上げてくる。


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彼女のライブは、およそ2時間続いた。こちらは、早く目が覚めてしまっていたので、ちょうどいい支度時間になった。

その後、またいつもの暮らしに戻る中で、最前線でライブを聴いていたことが、自分の中でなんだか、喜びや充実になっていることに気づいた。少しの高揚感がある。
おそらく、離れて暮らしている彼女と、一緒に過ごせたこと。お互いに時間を使い合えたこと、数人の人前とはいえ、語り合えたことなど、sns上で顔を見せなくても気持ちを通わることができた。

誰かのために時間を割き、誰かのために役に立ち、誰かのために思いを馳せる。ミスチルの影響かもしれないが、感傷的になっている。また彼女との良い思い出ができた。

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