【帰国】街の新旧に揺れる
たった4年ぶりなのに、変化に追いついていない…
実家がある地域は、生まれた街で父方の祖父母の家があった場所。
20年前に一人暮らしの祖母の介護が必要になり、
家族みんなで近所に引っ越してきました。
当時住んでいたのが新築マンション
育った街ではないので、友だちや知り合いはおらず、
学校も公園もあらゆる施設とは縁もなく過ぎてきました。
少しずつルーティーンや行きつけが増えていくくらい。
ここに7年住んだ後、イタリアに向けて出発しました。
それからの10年、両親は3回も近所へ引っ越しを行い、
その度に帰国ましたが、新居は "まぁ知っている地域" 程度でした。
コロナを超え4年ぶりの帰国
わずかな町の記憶を思い出しながら、
街の進化と変化に更新が追いつきません。
週末に家族で行っていた角のうどん屋は
コインパーキングに様変わり。
新しいマンションには、かつて何が建っていたのか…
次々と出現し、もう思い出すことは難しいし、
誰も覚えていないんじゃないかと思うほど馴染んでいる。
通勤していたのに思い出せない…
今もずっと
そんな中、ずっと変わらない風景もあり
胸を撫で下ろします。
ビルの合間の日本家屋。
祖父母の家に似ていて懐かしさを感じる。
この景色、10年後に残っているかどうか…
祈るばかりです。
高松市中央公園の遊具は、私が子どものころからありました。
鮮やかな朱色のロープは褪せても、
変わらずにここで遊ばれている。
向こうに見える赤いオブジェは、
愛してやまない イサムノグチ の遊具。
触れられる作品が身近にある嬉しさ。
色が剥げていましたが、存在することに意味がある。
かつて野球場だったところを公園に変えました。
グラウンドは芝生になり、真ん中にはホームベースが
今も存在しています。
その向こうに高いマンションが建設されています。
芝生の周りは、砂利道で遊歩道になっています。
木々の茂みには小川が流れていたり、彫刻が点在したり、
一周するだけでも、景色や役割が変わり十分楽しめます。
この日は、朝から陸上部が練習をしていました。
もっと早いなら、ラジオ体操や太極拳も行っているかも。
石の階段は、かつて水が下まで落ちていく、
立派な噴水でした。
日照りから渇水になりやすい地域であるため
噴水や水の施設は中止を余儀なくされます。
ここもそれに影響される部分です。
今はただの石の階段。
しかし、子どものころにできなかった、
仕組みを覗けるのは、一つの望みが叶ったと言えます。
夏は「高松まつり」、クリスマス時期は「冬のまつり」
二つの催しが毎年ありましたが、2016年に冬のまつりが
30年の節目に最後を迎えました。
両まつりは、中央公園内に大型ステージが組まれ、
出店が並び、ライトアップされた空間は、
子どもの目には、夢のような空間に心躍りました。
市は今年、再生することを発表し、整備を始まるようです。
ニューヨークのセントラルパークくらい、
市民の憩いの場となるような公園になってほしいです。
静かな公園を抜ければ、高松の中心部。
車が勢いよく行き交う場所です。
これは朝の出勤時刻。
家から近所まで歩いただけなのに、
こんなにも変化しているだなんて。
古く由緒あるものも後継がいなければ、
老朽化すれば消えて新しく変わる。
古いものを全く同じように新しく変えることはほぼないので
その時代のものはどんどん姿を消しなかったことになる。
時代の移り変わりに、なんだか虚しくなります。
次回の帰国ではほとんど変化しているかもしれない…
と思うと、今記憶しておきたいと強く思います。
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