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ラジオの生中継ブログ!?

毎月放送しているイタリア発高松のスタジオに向けてのラジオ電話中継。
radikoでの配信もあることだし、どうにか目に残るカタチにしたいと
模索していたところ「note」に綴ることにした。


 「テーマは観光でよろしく」

2019年3月21日(水)の中継は担当Dから、
「最大10連休のGWを前にイタリア旅行の話をして!」と。

それにしても、イタリアには見所がありすぎる。
食、音楽、美術、歴史、偉人、スポーツといったこれらのジャンルが
細長い各地域に点在するために全て語るには時間がない。
一体、何を紹介すると、香川県民の興味を惹くこととができるのか…


的を絞りきれず、手をつけずに放置したまま前日になってしまった。
という私は、ギリギリまで動かないタイプ。
時間が迫らないとヤル気がでない困った性格だ。
直前になって、少しの焦りが出てきた。
いつか取り上げてみたかった「映画とロケ地」のネタも考えたが、
今からでは到底時間が足りない。

もっと簡単に、イタリアの魅力が伝わるもの…。
さらなる自問自答が始まった。

香川のリスナーは何を求めているのか。

・初心者向けの内容だと既に旅行経験ある人には退屈
・イタリアの街の名前を挙げても、北か南か、山か海か場所が特定できない
・おいしい情報やインスタ映えはネットで調べりゃわんさか出てくる
・私自身、イタリア全土を網羅しきれていない

そんな私にできることとは…


「今を伝えること」


よく、ラジオ制作時代に、チーフがよく言っていた言葉。
生放送をするにあたり、私たちが忘れてはいけないテーマ。

そうか!私にだからできることはコレか!


「ピサの斜塔から生中継しよう!」


私の家から30分も車を走らせれば、
世界的観光地のピサの斜塔に着く!ならばここから今を伝えるんだ!

日本時間では夜になっていたが、担当Dへ連絡。
寝ていなくてよかったうえに、快く承諾をもらえた。
すぐさま下調べをし、夫に朝6:30に現地に着けるよう頼んだ。


久しぶりの早朝に胸が踊る。

朝日も出迎えてくれた。
あまりの神々しさに思わず手を合わさずにはいられなかった。


定刻にピサに到着!



ピサという街は、斜塔が大きな観光の名所となっている。
他の見所はというと、斜塔ほどの印象は強くなく、
宗教建築を観る者、美術館を巡る者、街を散策する者など
各々目的が異なっていると感じる。

私の予想では、イタリア旅行でピサに一泊した人は、
夕方に斜塔を観て、さらに朝一番の風景を写真に収めて、
次の街へと移っていくのではないかと考えた。

だから、ラジオの生中継では、斜塔を見に来た人を描写したり、
インタビューしたり、写真を撮ってあげたりと、
ピサの斜塔や周りの風景を含めて「今」を語ることが
私にできることと思い現場に挑んだ。


本番直前の朝7時前。今日は快晴だ。朝一の撮影は色が美しい。
あらゆる角度から撮影していると、あっという間に時間となった。


いざ、 本番!

ピサの斜塔があるここは、「Piazza Duomo」つまり、大聖堂広場。
ドーンと構えるこちらの大聖堂が本当のメイン。

ピサのドゥオーモ(大聖堂)は別名、サンタ・マリア・アッスンタ。
1063年に施工し1118年まで55年もの時間を費やされ建設された。
当時、ピサは、海軍として勢力を持っていた。
これまで勝利を収めてきたことから、大聖堂を作るにあたり、材料や技術などを各国から持ち寄って富の象徴を築いていった。
よって、ロマネスク様式でありながら、古典、ビザンチンなどあらゆる文化が混在であることがわかる。

しかしながら、1595年に壊滅的な火災が発生。
街のシンボルとなった大聖堂は無残にも火に包まれてしまった。

先日起こった、パリのノートルダム大聖堂の火災を見ると、
いくら立派な建造物とはいえ、木を利用した火に弱い建物だった。
当時のピサも同じような悔しさを味わったことだろう。

その後、再建や修復を繰り返し現在に至っている。
約900年前に建てられたこの大聖堂の凄まじさは、
現地を訪れたことのある者だけが体感することができる。


本日も見事な傾き!

ラジオで、歴史をあれこれ語ってもなかなか伝わりにくい。
重要なポイントだけササッと紹介した。
何より、リスナーが、今一番聞きたいことは、
ピサの斜塔がどれくらい傾いているかだ。

いつから始まったことなのか、
ピサにはこの斜塔を一目見たく世界から観光客が押し寄せる。

周りには、たくさんの観光客が写真を、
写真を、写真を、、、たくさんの観光客、、、

いない!!
(上の写真をよ〜く見て!)
早朝すぎて誰もいない!!遠くに何人か見えるが、
観光客かな!?という程度。
中には、自転車に乗った女性やスーツ姿の男性など、
出勤や登校する姿があり、ターゲットになる人はいなかった。
早朝は、貸切で撮影できるチャンスとも言える!

普段とどのくらいの差があるか、
過去に撮った写真と見て比べてみよう。

手前にも、奥の大聖堂や斜塔のそばにも観光客がいる。
至る所に、斜塔を支える人がいる。
独り占めすることは普段はありえないのだ。


ということで、私の予想は大外れ!
インタビューできる人はいないので、
ただただ目の前の斜塔の傾きを伝える。



ピサの塔の歴史

さて、ピサの斜塔の存在は知っていても、
何のための塔か分かっている人はどれくらいいるものか。

大聖堂の裏側にひょっこり建ったこの塔は、
見晴台や監視台ではなく、教会には欠かすことのできない
時刻や祝いを報せる「鐘楼」なのだ。

だから、この塔が傾くということは、
鐘の吊り下げにも影響し、音が均等に
カランカランと鳴らないということが想像できる。
しかし、多くが人の手を使わない機械式なため、
実際にそういうことはない。


1173年にピサの塔の建設が始まり、
三階部分を作っているときに傾き始めたという。
作業を中断しながら検証しては工事再開を繰り返した。
そして、1372年に完成を迎えた。

高さ56メートル、
直径15メートル、
重さ14,523トン
階段数は293段


なぜ、この塔が傾いたのか。

ブラタモリ気分で考えると、
◉ ピサは、アルノ川の河口に栄えた街。
◉ 地盤の緩い地域と言われ、実際に砂地で水分を含んでいる。
私が想像するには、
何度となく洪水や氾濫を繰り返した地であることが分かる。
要するにココは、海だった。
幾度となく流されてきた土砂によって形成された土地。
「中洲」であると考える。
このように推測すると、地盤が緩い理由が納得できる。

実は、ピサの塔以外に、大聖堂も前傾しているとか。
さらに、少し離れた同じ川沿いにも斜塔があった。


総大理石で造られたピサの斜塔。
どう考えても、一点に重いものを集中させれば
沈んでいくのは誰もが想像できることなのかもしれない。

話はかなり脱線するが、
私が生まれ育った、高松市の牟礼町は五剣山という山があり、
そこから、庵治石という花崗岩の産地で知られている。
主に、暮石として用いられるため、山の麓一帯は多くの石材店が連なり、
辺りには山積みになった石が至る所にある。
これを見る度に母は、「こんなに重い物積んだら、どこかが上がる」と
こぼしていた。面白い発想だと思ったが、実はここも埋立地。
沈んだり、上がったりしているのかもしれないと改めて考えさせられた。


閑話休題

ということで、現在ピサの斜塔は4度傾いたままで維持している。
観光の目玉として、塔に登るという人たちもいる。
螺旋階段を登っていると、重力を感じることになるだろう。
さらに平衡感覚を失い頂上に着いた時には転げ落ちてしまうのでは…

そんな恐怖とは裏腹に、この写真の上部に注目してほしい。
展望部分はほぼ平らであることが分かる。

地面を見ると傾きを感じるが、上を見るとアレッ!?
どういうこと??

それぞれの階の装飾の柱をじっくり眺めていると、
塔の右側と左側とで長さが違うことに気づく!
建てている時に斜めになった塔は、
最新の技術を用いて塔の傾斜自体を変えたのだ。
また隣接する建物とワイヤーで結んだり、地盤を強化したり
あらゆる技術を投入し、これら300年は保つことが可能だとか。
このスパンの長さにたじろぐがヨーロッパはこんなもの。


下記のサイトは、
写真や図をふんだんに使い分かりやすく説明しているのでぜひ。





本日の中継終了!

ラジオでは、朝の風景や行き交う人々、塔の下にいる警備隊など
見える情景を描写した。
リスナーにどこまで「今」が伝わったか分からないが、
イタリアの観光地を写真を撮って駆け足で回るのではなく、
じっくりと学び味わうことも旅の目的にしてもらいたい。

ピサの斜塔へは、早朝をおすすめする!


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