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「風魔一族の陰謀」の問題点

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「風魔一族の陰謀」という作品は演出・構成面に難があるという話をこれまで再三に渡って繰り返して来ましたが…具体的には何処がどう問題だったのか、もうちょっと詳しく私見を纏めておこうと思います。

まず最初に断っておかなければならないのは、前半部には全く何の文句も無いという事です。此処で言う前半部というのは、温泉街のカーチェイスの後、山道を逃げるルパン達に不二子が合流し、煙幕(けむりまく)によって銭形が退場させられてしまう件りまでを指します。此処までは文句無く面白かった。開巻から此処までの充実度はおよそ尋常ではないです。

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問題なのは…いよいよ物語の核心部分に突入し、そして物語が閉じられるまでの後半部。洞窟内の場面。この後半部で作品のテンションが失速してしまったような印象がどうしてもあるんですよね。洞窟内の様々な仕掛けやトラップ、風魔ボスのコインやルパンの100円ライターなどの小道具、銭形の猪突猛進っぷり、黄金の十二神将を絡めた謎解き、忍者ならではの風魔一族のトリッキーな動き、密かに進んでいる洞窟崩壊のサスペンス、ボスの非情っぷり、幻覚ガス、ガスに惑わされて五右衛門が紫に斬りかかってしまう苦い展開(※)、黄金に驚喜する不二子、五右衛門とボスの対決、ガスを使って窮地を脱するルパン、天守閣での五右衛門と紫の覚悟、大崩落、脱出時の銭形の活躍などなど…個々のアイデアはとても面白いんだけれど、後半部全体を考えると、どうしても印象が弱くなってしまうのは何故なのか。

(※)普通だったら愛の力なり何なりで気が付いて未遂に終わるだろうところを、そういった甘い展開には敢えて逃げないシビアさが素晴らしいところ。欲を言えば、この展開を受けて、後の場面でもう一捻り、今度こそは愛の大勝利…みたいな展開が用意されていれば更に燃えたかも…?? それがまぁ恐らくは『天守閣での五右衛門と紫の覚悟』へと着地したんだろうと思うんだけれど、先の苦い展開を受けるのであれば、それが反転するような構図、例えば風魔によるフェイクを、五右衛門が今度こそは見破って、その結果として紫が救われる…といったような具合が良かったかも。

それじゃあ後半部が弱いのは何故なのかって事を考えると、大きく三つの問題があるだろうと思うんです。まずは展開がオーソドックス過ぎるという事。「風魔」という作品はオーソドックスな枠組みの中で、豊富にアイデアを注ぎ込み、念入りに作り込む事によってエネルギッシュな快作となっている訳だけれど…全編それで押し切るというのは流石に無理だったようで、やはり其処では何かしらの映画的な工夫が必要だったんだろうと思います。例えば洞窟もろともに黄金城が崩壊してしまうクライマックスだとか、錯乱しながらそれに巻き込まれて死んでしまうボスの顛末だとか…特にこういった部分が余りにもオーソドックス過ぎて(※)、「ちょっと戴けないなぁ」って結論に至ってしまう訳です。類型的な部分が物足りなさに繋がってしまうんですね。

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(※)余りにも類型的過ぎる描写と言えば他にも、例えば五右衛門と紫の回想場面なんかにしても相当にベタベタのコテコテで「どうしたもんか」と思っちゃう面もあるんだけれど、しかしあれは、短い尺という制約の中で、経緯説明を出来るだけ短く済ませる為に敢えて類型を選んだんだろうと思える訳で、こればっかりは適切な判断と言うしかないのかも知れないと思うところです。あの件りを「独特の魅力溢れる場面にしよう」とすれば、それなりに時間を食う事になってしまいますかんね。

とは言いつつ…ほぼ同時期の作品として「天空の城ラピュタ」がやっぱり滅茶苦茶にオーソドックスな道具立てで、まんまと大冒険活劇映画として成立してる訳なんだけれど…あの作品の場合、スチームパンクな世界観だとか、独特のビジュアルを加味する事などによって、類型の弱点を上手く突破出来ているんでしょう。だから「風魔」の場合も、道具立てなり展開なりの何処かしらの面で、何かしら独自の、目新しい要素を盛り込んでさえいれば、全体の印象がかなり変わったのではないでしょうか。

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そして問題の二つ目はダンジョン探険型の展開だという部分です。「ルパン」のそれまでのシリーズでもダンジョンの攻略が中心に据えられた作品がいくつかありましたが、それらの印象がやっぱり余り芳しくないのは、そもそもダンジョン探険型の物語構造ってのが今イチ盛り上がりに欠ける代物だからだってのがあると思うんですよ。「カリブ海の大冒険」にしろ「地獄へルパンを道づれ」にしろ「さらば黄金伝説」にしろ、あるいは他のどのダンジョン探険回にも共通して言えるだろうと思うのは、肝腎のダンジョン探険の件りが「あんまり面白くない」という身も蓋もない現実であって、だから実際、それらの回に仮に面白さを感じるんであれば、それはダンジョン部分とは別の要素に面白さを感じているケースが殆どだろうと思うんです。

勿論、ダンジョンの場面も個々のアイデアに面白味を感じる部分はあります。だけど場面全体の印象で言うと「弱い」という結論になってしまう。それは何故かと言うと…櫛団子方式になっちゃってるからなんですよね。課題が提出されてそれをクリアする、次の課題が提出されてそれをクリアする…この繰り返し。言ってしまえば、どうしても一本調子になってしまうってのが、ダンジョン探険型の物語類型にそもそも含まれている致命的な弱点なんです。だからこれを中心に据えてしまうと、肝腎のその部分で作品のテンションが落ちてしまう訳です。だから敢えてダンジョン探険型の物語構造を採用するなら、余ッ程の工夫が必要になって来るでしょう。

ついでに言えば『洞窟内』ってのが不味かったとも思います。『地底の黄金城』というアイデアは、そのビジュアルも含めてとても魅力的ではあるんだけれど、後半部がず~っと「暗い洞窟の中で展開する」ってのが、何処となく閉塞感に繋がっているような気がして…。勿論その閉塞感自体が狙いの一つではあったんだろうけれど、前半部で一気呵成に駆け抜けて来たその疾走感がトーンダウンしてしまったのは勿体無く、それと引き換えにする位なら、もっと他の形で緊張感を演出するようなシフトチェンジをすべきだったんじゃないかと思うところです。

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三つ目の問題は競争型の構造になってしまっているという部分です。複数の陣営が、共通の目的に向かって、互いを牽制しつつ、先を急ぐという構図。この手の物語構造の、現在へと続く直系の祖先ってのは恐らく「宝島」だとか「80日間世界一周」だとかになるだろうと思うんですが、その系譜に連なる主要な作品ってのを考えると、映画で言えば「キャノンボール」だとか、アニメで言えば「チキチキマシン猛レース」だとか「マッハGoGoGo」だとかになるでしょう。此処でまず判るのは、恐らくはその殆どがカーレース物に集約されてしまうという点です。それ以外に何があったか?と振り返ってみれば…「惑星ロボ ダンガードA」がそうだったという位のもので、他に咄嗟に出て来るようなタイトルってのが一寸ありません(僕が不勉強なだけで、他の例をいくらでも挙げられるのかも知れませんが)。

限定的にカーレース物だけを残して、他のジャンルからはこの構造を持った主要作品ってのが余り見当たらないというのはやはり、そもそもこの構造自体が、余程の工夫をしなければ作品が弱くなってしまうからだと思うんですよ。作品として保(も)たせるのがなかなか難しい。『敵味方が』『共通の目的に向かう』という構図は将にレースのそれであって、だからカーレース物(※)は当然この構図に収まる訳なんだけれど、順位を競う『スポーツ』ならいざ知らず、他のジャンルにこの構図を持ち込んでもなかなか盛り上がり難いんですよね。スポーツ物だけを例外として、およそ『競争』というのはちょっと作品として仕立てるのが難しく、だから多くの作品は『競争』ではなく『対決』を描いてるんだろうと思うんですよ。

(※)レース物と言えば「ルパン」のシリーズの中にも、「ルパンは燃えているか‥‥?!」「モナコGPに賭けろ」「花も嵐も泥棒レース」などの例がありますが…「ルパン」というシリーズ自体はスポーツ物ではありませんから、レース展開の完成度が要求される訳でもなく、だからそれ以外の部分に主眼が置かれているのでありました。最もレース度の高い「泥棒レース」の回にしたところで、レース自体よりかはむしろ妨害の部分に軸足があるといった具合で、競争そのものが中心にはなっておりません。

スポーツ物だけを例外として、『競争』ってのはなかなかドラマとして盛り上がり難いんですよね。「風魔」の例で言えば、前半部は『対決』の物語なんですよ。対風魔にしろ銭形との追っかけっこにしろ、全部これ『対決』なんですよね。『攻防』と言い換えても良いでしょう。「風魔」前半部ってのはまだまだ物語性云々からは自由なパートで、だから好き放題に面白場面が連続するだけで成立していて、だからテンションが高いんだってのは勿論あるんだけれど、それと同時に、壷や紫といったマクガフィン的な対象を巡る『攻防』が描かれていて、だから活力があるんだってのが言えると思うんです。『対決』だの『攻防』だのってのは構図としてとても盛り上がり易いですから。それに較べると後半部のテンションがやや失速気味なのは、其処で描かれているのが『競争』だったからってのが大きく関係しているように思います。

といった以上三点が「風魔」の難点だったと僕は考えているんですが…それじゃあ果たして「風魔」後半部はどうあるべきだったのか?を考えると…「僕なんかには判らないです」と言うしかないので、この辺で止めておきます(苦笑)

(※初出 / mixi / 2012年12月8日)