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反則映画・補遺

本日二度目の日記です。コメント欄で色々と喋っている内に、日記で言い忘れていた事があったのを思い出したので、それについてを付け加えておこうと思います。 

「反則映画」と題して「マモー編」が如何に反則な映画であったかを先の日記ではあれこれと述べた訳ですが、それに併せて、作品の基本フォーマット自体が反則でありイレギュラーな構造だったんだという事も指摘しておかなければならないでしょう。「マモー編」のストーリーラインって所謂ところの「ルパン」のそれとは実は著しく違っているんですよね。

まず、ルパンに対峙する強敵ってのが、一万年も生き続けて人類の歴史に陰で干渉し続けてきた『神』と称する男だなんてのは、これはあまりにも飛躍度が高く、そもそもの「ルパン」のリアリティレベルなり世界観なりってのは全然そんなところには無かった筈で、こんなSF巨編じみた道具立てってのは「マモー編」以前には存在しなかった訳です。映画なんてものはとにかく何らかの形でTVサイズの作品とは一線を画する存在・スケールアップした存在であるべきで、実際「マモー編」というのはそうした意味での豪勢さが追求された作品ではあって、だから『映画』になってたんだって面もあるんですが…それでも流石に『神』を相手にするルパン三世なんてのは、これはいくら何でも破格であって、それまでの「ルパン」の単純な延長線上にはそんなものは絶対に無いんですね。

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ルパンというキャラクターをそこまで巨大な存在として引き上げたのは、だからやっぱり吉川惣司なんですよ。そもそもが稀有な程に巨大なキャラクターだったルパンですが、ある面でそれを決定的に明確に打ち出したのは吉川惣司という監督であり「マモー編」という作品だったんだと。

そしてまた、この作品が一種異様なのは、主人公ルパン三世が所謂ところのルパン的な振る舞いってのを全くしていない点にもあるんですよね。勿論それまでの作品群で蓄積された諸々の要素を継承している面は多々あるんですが、基本的な部分では悉く反則と言うかイレギュラーと言うか、それまでのフォーマットにあったあれこれを封印して禁じ手にしてる面も同時にある訳です。

まず本作でのルパンにおいては『盗み』って要素が実は大した意味を持っていないんですよね。拡大解釈をすれば、広義の意味で言えば「マモー編」でのルパンも鮮やかに『盗み』を働いてはいるんですが、所謂ところの『盗み』って事で言えば、冒頭でちょこちょこっとやってただけであって…これは「カリ城」とも共通している部分ですし、もっと言えば、ルパン三世が怪盗であるという側面が実はそれ程に意味を持っていない、本線とは関係していない傑作なんてのは、これはもういくらでも挙げる事が出来る訳で…だから『盗み』らしい『盗み』を働いてないからイコール「マモー編」はイレギュラーなんだ異色作なんだなんて事は言えないんですが…まずもってとにかく『盗み』という要素が作品の根幹部分には据えられていないんだという事は肝腎なところです。

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その上で更に「マモー編」でのルパンは拳銃を手にしていないんですよね。「カリ城」のルパンに対して「(回想シーン以外では)ワルサーを撃たなかったルパンなんてルパンじゃない(※)」といったような戯言を時々に耳にする事があって実にどうも目眩がするんですが(苦笑)、それを言えば「マモー編」でのルパンは、一度も発砲していないどころか、拳銃を手にする事すらやっていませんし、もっと言えば、射撃の名手である次元大介すら実は「マモー編」において発砲したのはたったの三回だけであって、しかも肝腎な対象を一度も撃ってはいないんですよね。ルパンを連れ去ったセスナの片輪を撃ち落としたのと、殆ど瀕死の状態のマモーを撃ったのと、マモーとの対決に向かうルパンを止める際に空き缶を撃ったという、都合三回の発砲があっただけであって、どれもこれも大したものを撃っている訳ではありません。
まぁマモーを撃つ場面では、マモーが不二子に銃口を向けていたのを察知して、その危機から不二子を救っている(!)訳ではありますが、何しろ肝腎のマモーはヨロヨロですから、それ程に決定的なサスペンスとして成立してる場面ではありません。つまり「マモー編」においては拳銃ってのは大した意味を持っていないアイテムなんだと言えちゃうんですよね。

(※)これがもしか、例えば「ルパンが伯爵に対して殺意を一切抱かなかった」とかってんであれば、それは「ルパンじゃない」といったような事になるだろうとは思うんですが…拳銃を撃つ場面が無いから「ルパンじゃない」なんてのは全く意味が判らんですね。ルパンが拳銃を撃たないとか不二子が救出されるヒロインの座に収まっていないとか、様々な作品の様々な部分に対しての不平不満があれこれとファンの間から出てくる事があって…勿論それらの中には鋭い見識に基づいているものもあったりはするにせよ、何でもかんでもファンの言う通り望む通りのものを並べたとしたって、そんなもんは『絶対に』作品としては成立しないですよ。それぞれの作品は、それぞれの作品に応じた取捨選択が為されている訳で、その辺を『全く踏まえていない』異議申し立てってのは何の役にも立たないですよ、そんなもん。

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更に言えば「マモー編」でのルパンってのは、ただの一度も変装をしていないんですよね。あれだけ異色作であった「カリ城」ですら実に巧みに変装という要素を取り入れて、作品の根幹部分に据えていた事を考えると、余計に異様な気がします。 

つまり「マモー編」でのルパンてのは、怪盗らしい仕事は大した意味を持たず、拳銃も撃たず、変装すらしていないんですよ。如何に「マモー編」てのが異様な作品である事か、と。次元達と仲違いをするだとか、不二子とキスをするだとか、そういった描写ってのは反則とは言いつつも、それまでの作品群の中に既に内包されていた要素ではあって、そうした意味ではそれらが直ちに異色要素として峻別される訳ではありませんし、拳銃を撃たないとか変装をしないとかってのも、それらひとつひとつを個別に見た場合には特別な意味を持たないんだけれど、それらが『一本の作品の中に』詰め込まれているってのが一種異様なんですよね。

そしてまた、拳銃も持たず変装もせずって事はつまり…此処でのルパンってのは『武器』らしい『武器』を何も持っていないんですよね。もっと言えば、最後の対決の場面では次元とも五右ェ門とも行動を別にしている(※)訳ですから、本当の意味で何の『武器』も無い、ルパン三世個人だけで勝負に臨んでいるんだという。核兵器で世界を脅迫する『神』を、殆ど徒手空拳でもって倒しちゃったのが「マモー編」という作品の正体なんだという。

(※)まぁその…オリジナルマモーとの対決の直前、第一のクライマックスにおいてルパンがマモーを倒す為の切り札の『武器』として使ったのは『五右ェ門』の斬鉄剣の欠片でしたし、その欠片を何の気無しにルパンに渡したのは『次元』だった訳で、そうした意味では相棒の協力があったんだ、だからこその勝利なんだという美しい図式も同時に存在していたりする訳ですが。

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しかもこれ、ルパン最大の武器である『頭脳』すら殆ど使ってないんだってのがあって…「マモー編」って振り返ってみると実は頭脳プレイらしい頭脳プレイがあんまり見当たらない作品だったりもするんですよね。殆どもう場当たり的に動いているだけで、ちょこちょこっと『大したオツム』を覗かせる箇所があるにせよ、肝腎な部分では殆ど行き当たりばったりにしか動いていません。

それはまぁそもそも「ルパン」という作品自体がそうした側面を持っていたんだってのはあって…極めて優れた頭脳でもって活躍する主人公であると同時に、臨機応変能力と言うか、事態に対応する能力が無闇に高い点が彼の強みなんだという側面もあって、実は「マモー編」ってのは特にそっちに軸足がある作品なんだってのは言えるだろうと思っています。だから「マモー編」でのルパンってのは実のところ「マモー編」での銭形と極めて近い存在であって、その辺を踏まえれば、本編の最後にルパンと銭形が二人三脚で走るってのは物凄く意味深と言うか、実に象徴的な場面なんだと言えるんじゃないかなぁと思ったりしています。

まぁだからホント「マモー編」ってのは、物凄く「ルパン」らしい作品であると同時に、それと同じ位に物凄く「ルパン」らしくない作品であるという実に異様な存在なんだと僕は考えております。

(※初出 / mixi / 2009年6月20日)