「風魔一族の陰謀」 の新規路線と問題点
(前略)
より詳しく改めて語られた制作の流れだとか、あるいは絵コンテの分担の詳細、ロケ地・モデル地の詳細、大塚康生自身が総括した反省点などなど、興味深い言及が盛り沢山な内容となっている本インタビューですが、個人的に最も収穫だったのは「ルパンと風魔の取り引き場所に機関庫を設定したのは大塚康生だった」という部分でありました。勿論それは容易に推測可能でしたから、新事実・新発見といったニュアンスではなく、「やっぱりそうか」で終わる話ではあるんだけれど、それでも、本人の口から明言されているか否かってのは大きな違いがありますかんね。
それにしてもこの「風魔」という作品の極めて顕著な特徴のひとつは、設定された舞台を実に隅々まで有効に活用し切っている点にあると言えるでしょう。その舞台ならではの魅力を最大限に引き出し、アクション描写、あるいはストーリー展開的な面での仕掛けの部分を実に贅沢なものとしております。それは機関庫の場面だけではなく、冒頭の結婚式場に始まり、山道、川、温泉宿、商店街、洞窟、城などなど…およそ全編に渡って、その舞台ならではの趣向・アイデアがふんだんに盛り込まれた面白さはちょっと尋常ではないですね。
例えば「マモー編」なんかがそうですけど、かつて「007」がそうであったように、舞台を転々と変える、一種の観光映画的な側面をエンターテイメントが担っていた部分というのがあって、それはまだ海外旅行ってのが庶民の夢だった頃の『サービス』として機能しつつ、それが故のスケール感みたいなものも其処にはありました。そういう時代ってのが確実にあった。だけど「風魔」は発想が違うんですね。それは「最早そういう時代ではなくなった」というのもあるでしょうし、あるいは「風魔」のスタッフの意識がそもそも其処には無かったからというのもあるでしょう。
新たな地平であるOVAという枠の中で、新たなルパン像を構築しようとした「風魔」という作品は、そういった部分においても『これから』の新しい方向性を示唆し、尚且つそれを見事に実現してみせた訳です。しかしその「風魔」が到達した地点に、以後の作品群は全く擦りもしておりません。全然話にならない。舞台の魅力を存分に引き出した作品なんか一個も無い。それじゃあ往年の「007」的観光映画的なそれを未だにやっているのか?と言うと、それすら全く出来ていない有り様で…およそ『舞台』の事なんかこれっぽっちも考えていない様子なのは何事なんですかね。其処がアメリカだろうがフランスだろうが日本だろうが架空の国だろうが、別に何処だって良いような作品ばかり。
考えてみれば「風魔」という作品はつくづく野心的な作品で、キャスト変更・音楽変更・作画主導の制作スタイルの導入等々、実に様々な面で新たな方向性を打ち出し、尚且つその悉くが、実際に『そうすべき』事ばかりだった、その先見性が素晴らしかったと僕なんかは思うんですが…ただしそういった諸々はタイミングとしてちょっと早過ぎた面もありましたし、あるいは、「風魔」は「風魔」で独自の弱点を抱えていたりもする(※)訳だけれど、それでも「風魔」が指し示した方向性自体は本当に『そうすべき』事柄ばかりでした。しかしその革新性が故に、当時のファン達の反発を招いてしまい、折角の新規路線が頓挫してしまったのは実に皮肉な話です。
(※)もっとも大きな問題点はやはり『強烈な作家性を持った演出家の不在』と、それに伴う『構成の弱さ』という点で…この部分さえクリアしていれば、それこそ「マモー編」や「カリ城」にも匹敵するような弩傑作になっていただろうと思います。「風魔」は後半にどうも失速してしまう印象があって…後半は後半でアイデア満載だし、作画も非常に優れているんだけれど、だけど何だか今ひとつ盛り上がり切らないのは…例えば風魔のボスの末路などがそうであるように、物語の展開的な面での類型っぽいところってのがどうしても難になっていてるように思います。そしてそれはやはり『監督不在』による弊害だと言えるでしょう。
(※)その他の面で取り沙汰されているようなあれこれは、僕からすれば些末な問題であって、例えば音楽に関する不満だとかヒロインの描写に関する不満だとかは…ファンだけではなく大塚康生自身も本インタビューの中で反省点として挙げておりますが、僕は「あれはあれでオッケー」だったと思ってます。
(※)例えば音楽について言えば、僕は「音楽性が云々」といった具合の評価を下せるような素養は全く持ち合わせてませんから、音楽としてどうだってのは言えませんし言いませんけども…『気分』としてはあれで良かったんだと思うんですよね。当時の、ライトな気分には良く合ってただろうと思うんです。そしてそれは音楽がどうこうってだけに留まらず、とにかく『ライト』ってのが「風魔」を象徴するキーワードだったような気がするんです。
(※)だから最初は「少し食い足りないな」と思っていたOVA70分という尺の短さすら、むしろそのコンパクトさが正解だったように思えて来るんですよ。そもそも「マモー編」と「カリ城」という二本の弩傑作映画の存在自体が実はイレギュラーなんであって、「ルパン」という作品はこの位の中編の方がむしろ本領を発揮し易い素材なのかも知れないと、最近はそんな風に思ってます。無理して大上段に構えるのではなくて、ちょっとコンパクトな尺で、だけどその分アイデアをギュウギュウに詰め込むスタイルが正解なのではないか?…とは思うんだけれど…それを実現出来るスタッフというのは勿論限られてしまうのでありました(苦笑)
「ルパン三世」というアニメシリーズは大きく二度、岐路の選択を誤ってしまいました。まずは『幻の押井ルパン』が実現されなかった事、そしてこの「風魔」が開拓した新規路線が途絶してしまった事がそれです。「ルパン」というシリーズは押井ルパンで一度リセットされるべきでした。もっとも…押井ルパンが仮に実現していたとしても、同様の意図を孕んでいた「カリ城」がそうであったように、結局はそのリセット自体がシリーズ継続に寄与してしまう事になっていただろうとは思うんだけれど、それでも、あの時点での大きな問題提起が有ったか無かったかの差というものが、その後に極めて深刻な影響を与えていると思います。
そしてまた「風魔」に続けてOVAをシリーズ化するという企画がありましたけども、それがもしも実現していれば、そしてそのシリーズが「風魔」の新規路線を継承していれば…今のような暗黒時代は到来してなかっただろうと思えてならないんですよね。
だから僕にとってのアニメ「ルパン三世」ってのは、「風魔一族の陰謀」で終わってしまってるんです。そして恐らくこの先も、少なくとも多分僕が生きている内には『僕が望むような』復活というのは無いだろうってのが悲しい現実なのでありました。
(※初出 / mixi / 2012年11月23日)