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左甚五郎の系譜

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「THEレイプマン」という漫画があります。弩マイナー作品という訳ではありませんが、間違ってもメジャー作品ではない(マイナーメジャーではあってもメジャーマイナーとは呼べない)存在なので、「知らない」という人が大半でしょう。タイトルにいきなり『レイプ』などという単語を大きく掲げてあるので、何だか如何にも、下劣で無責任な男性の欲望を全開にしたような類いのそれであろうと思われてしまいそうですが、実際はそうではありません。まぁ勿論、劣情を刺激するレイプ場面が眼目の一つにはなっているんだけれど…それでも、単純な男性用ポルノとして片付けられて「それで終わり」な代物ではないんですね。

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それじゃあ果たしてどんな作品なのか?と言うと…作者みやわき心太郎の地味に巧い画力に裏打ちされた、達者な画面がまず魅力の、ハートウォーミングな、勧善懲悪作品だったりします。レイプ描写が中心となっているのにハートウォーミングで尚且つ勧善懲悪であるってのも奇妙な話ではありますが…みやわき心太郎はその出自が、爽やかな青春ものを得意とする作家でしたから、「レイプマン」などという異形の作品の場合であっても、基本精神ってのはあくまでも其処にあるんですね。だからまぁ…時代劇の「必殺」シリーズなんかを想定して貰えれば大体の感じが掴み易いんじゃないか?とは思いますが…「レイプマン」を未読の人にしてみれば、ちょっと何を言ってるのか判らないかも知れないですね(苦笑) ただまぁ何にせよ…今日では殆ど振り返られる事も無く、たまに省みられたかと思ったら、B級作品を哂うスタンスでもって採り上げられるのが大半だってのが非常に勿体無い、隠れた秀作なのであります。

その「レイプマン」を描いたみやわき心太郎は一昨年2010年に心筋梗塞の為に亡くなってしまったんですが…その際に、「風雲児たち」や「ホモホモ7」などの作者みなもと太郎が追悼の文章を書いております。

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これは漏れ聞きですが、お葬式進行の司会か誰かが、「代表作…『ザ・レイプマン』」と言いよどんだとか、それを聞いた列席者の目が一瞬宙に…とか。事実だとすれば、これは口惜しいデスね。編集者やファン、マニアとの間で「レイプマン」が話題になる度、私は常に「『レイプマン』はエロ漫画ではありません。いやエロでもいいのですが、あれは日本独特の伝統下にある、『左甚五郎』等と同じ『名人伝』の流れを汲むものです」と言い続けて来ました。

初期外国TVドラマ「ベン・ケーシー」「ドクター・キルディア」等の主人公は、誠実でもあり、ヒューマニストだったりしてますが、別段『神業のオペ技術』を持ってるわけじゃない。これが日本の「ブラック・ジャック」と決定的に違うところです。007が拳銃を撃ち合っても、命中もするけどいくらでも外して恥じない。針の穴を通し1キロ先の額に命中させる「ゴルゴ13」もまた江戸時代からの伝統を継ぐ『左甚五郎』のバリエーション日本人なんですね、ヤッパリ。

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「破 -ブレイク-」だっけ、でスリの神業を描いた「日本チャリンコ銘々伝」2本は、みやわき心太郎貸本時代末期の代表作の一つでしょう。「ザ・レイプマン」は明らかに、「日本チャリンコ銘々伝」を発展継承した、氏の『青年劇画誌』時代の最高傑作であり、「ゴルゴ」「ブラック・ジャック」と肩を並べる『日本伝統名人伝』の秀作と位置付けるべき作品と考えております。『凡庸なスーパーマン、アメリカナイズ正義漢』よりも『ダークで屈折してても、神業持って我が道を行くダーティヒーロー』に軍配を上げる。これが(マンガを含む)日本文化の特長と言っていいかも知れません。そして…みやわき心太郎もまた、デッサン力にせよ点描画にせよ、『マンガの神業』をコツコツ追求し続けた『名人』の一人であった、と今私は考えております…。

(※みやわき心太郎追悼の文章からの抜粋)
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みなもと太郎は漫画史にその名を刻むような存在の実作者でありつつ、同時に優れた漫画評論家でもありますので、やっぱりこの短い文章の中でも実に鋭い指摘が為されており、まずもって優れたみやわき心太郎評でありつつ、それを足掛かりに分析してみせた、日本の『物語』に顕著な傾向の指摘にはつくづく唸らされます。

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実在するか否かについては疑問視されているにせよ、ともかくは講談・浪曲・落語などの世界で繰り返し描かれて来たスーパースター・左甚五郎。その左甚五郎から連綿と受け継がれている『日本人好きのするダーティーヒーロー』の系譜として、此処では特に「ブラック・ジャック」と「ゴルゴ13」とが挙げられておりますが、勿論「ルパン三世」なんかも此処へ含まれて然るべきでしょう。欧米の平均的なヒーロー像が『品行方正』という部分に軸足を置いているのに対して、日本のそれの場合、『ダーティーではあるけれど、超人的な技術を有し、我が道を行くプロフェッショナル』をもヒーローの類型の一つとして許容し、歓迎する土壌があるという点が極めて特徴的であろうという指摘は非常に面白い訳ですが、そうやって括られたダーティーヒーロー像はそのまま、ルパン・次元・五右ェ門達なんかの場合にも当て嵌まりますよね。

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と言いつつ…
そういった「ルパン三世」や「ゴルゴ13」などといったダーティーヒーローを描いた漫画作品というのは、日本にのみ発生した特殊な類型だという訳ではありません。それらの漫画作品が日本に誕生したのとほぼ時を同じくして、海の向こうのヨーロッパにも例えば、コルト・マルテーゼ(Corto Maltese)なるダーティーヒーローが誕生しております。60年代末という時代に同時多発的に漫画の対象年齢が上昇し、そういった潮流の中においてダーティーヒーローが登場したという点は興味深いです。

コルト・マルテーゼなるダーティーヒーローは、イタリア人漫画家のヒューゴ・プラット(Hugo Pratt)が創造したキャラクターで、海賊(悪人)にしてトレジャーハンター、その実は心優しい伊達男という存在です。そんなコルト・マルテーゼをWikipediaでは『黄金の心を持ったならず者("rogue with a heart of gold")』と定義しております。ピカレスクロマン(悪漢もの)というのは将にこの点が肝腎。

勿論これはルパン三世の場合も同様です。左甚五郎の系譜に連なるルパン三世というキャラクターは、ダークで屈折した人格でありつつ、『神業を持って我が道を行く』ダーティーヒーローであり、尚且つその生き方は『黄金の心を持った』ならず者のそれであるのです。あくまでもダーティー『ヒーロー』なんであって、その行動は常に彼なりの正義によって規定されている訳です。決して『直球』の正義漢ではないんだけれど、かと言って『正義』に反する存在ではないんだという点を見失ってしまっては駄目なんですよね。

この辺の話は既にもう何度かしている話ではあるんだけれど…
改めてまた触れてみました。

(※初出 / mixi / 2012年6月24日)