悪いのは「他責思考」ではなく。

もう2年近く前になるが、転職活動をしていたときに「他責思考」という言葉が引っかかっていた。

自分は前の会社ではどうもうまくいかず、ネガティブな考えに囚われていた。それが原因だったのだろうか、いろんな会社を受けたがことごとく落ちた。幸いにも1社受かって今そこで働いている。

自分で言うのもなんだが、活躍している。

直接聞いたわけではないが「他責思考だから落とした」のだろうと推測している。しかし本当に他責思考が悪いものなら、そういう人はどこに行っても仕事ができないはずだ。しかしそうはなっていない。

いろいろ考えたが、自分は「他責思考」が悪いとは思っていない。本当に悪いのは被害者意識だと思っている。もう少し正確に言うと、加害者がいるという前提での被害者意識が本当に悪いことだと思っている。

なぜこういう言い方をするのかと言うと、「被害者」になることは誰にでもありえる。自分はリーマンショックの頃に内定取消されたし、自動車に追突されたこともある(よく生きてるな!)。

どちらも自分は明らかに被害者だと感じている。今から思えば「そんな(リーマンショックの)時期に転職活動するな」とは言えるが、じゃあ転職活動をすべきでなかったかと言われるとそうではあるまい。単に運が悪かったと考える方が妥当だ。事故は言うまでもない。

しかし、内定取消の件はしばらく引きずっていた。なぜなら、その内定取消された会社の某氏が加害者だと思っていたからだ。正直言うと、今も過去を引きずっていないかと言われるとノーだ。しかし「某氏に悪意があったか?」と言われるとまあそうじゃないだろうなとは言える。

実際のところ、悪意を持って他人を傷つけよう、陥れようとする人はほとんどいない。例外は確信犯くらいだろうか。

自分の2年前の転職活動の話に戻ると、他責思考はあった。結局はSIerという業態が悪く、モダンな環境で、チーム開発ができないと意味がないという結論に至っている。そしてこの2年でそれを確信している。

しかし、自分が被害者という意識は持ったことがなかった。いろいろやってダメだったが、その理由は誰が悪い人がいるのではなく、システムが悪い。だからこそSIerを見限って転職した。

「誰が悪い」という思考に縛られている限り先には進めない。

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