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ある温泉での出来事

ガシャーン!ふざけんなテメェ!
怒号が聞こえて、しばらくするとザワザワと何人もロビーへ走っていく様子がわかった。

その少し前にドンドンとドアを叩く酔っ払いおっさんがいて、それは間違いなく宴会からひっそりと抜け出した僕たちに「オレの酒が飲めないのか?」と迫ってきた危機があったのだ。もちろんドアを開けるわけがない。シカトして僕たち新人は小さな飲み会をしていた。暫くしてシゴトに疲れて果ててた僕たち下っぱはそれぞれ布団に潜り込んだ。しかし事件は起きていたのだ。旅館を巻き込む大事件として。

これだから会社の旅行は嫌いだ。おおかた酒に飲まれて騒ぎが起きたのは、入社一年目の新人でもわかった。バブル華やかな頃。温泉街は社員旅行で溢れていた。この町の人たちからしたら、ひょっとするとありふれた光景なのかもしれない。昭和と平成の境目に社会人として生まれた僕たちには、どれだけ素晴らしいシゴトをしていても昭和が色濃く香るおじさん達には、若干の幻滅と避けて通りたいウザさがあったのだ。

ちょっとだけ時代背景を説明しておくと。90年代初頭は、バブル崩壊したけど急降下で景気が悪くなったのではない。確かに新卒採用は冷え切り波に乗り損ねた学生にとっては過酷な社会人人生の始まりな頃だった。幸いにも僕たちは時代の波に乗って入社初年度のボーナスは11.5ヶ月だったことを覚えている。間違いなく僕たちは日本の絶好調の頂点にいたのだ。そこから経費削減やら配置転換が始まったのだけど、生活苦で自殺するヒトや漫画喫茶から滑り落ちて地下道に寝泊まりするヒトは少なかった。

翌朝、旅館の大食堂に行くと何人か先輩たちから「おまえら大丈夫だったか?」と聞かれた。そこで大浴場覗き事件の詳細が判明したのだった。C先輩の解説によるとコトの顛末はこうだ。

中堅の先輩Aが酔っ払って宴会場でケンカを始めた

同期が部屋に連れ帰った

その途中でドアを叩きまくった(コレが僕たちの部屋のヤツ)

部屋に帰って寝たから同期は宴会場へ戻った

先輩Aは再び起きて誰もいないので大浴場へ

興味本位に女性風呂を覗いた(記憶にないらしい)

中にいたのがヤ●ザの彼女だった(事件拡大)

女性は彼氏(ヤ●ザ)に報告

彼氏、旅館フロントへ殴り込み

管理部長(総務部長みたいなもの)が呼び出される

炎上・ややこしい大事件へ発展

オトナの対処でその場を収める
(ヤバくて具体的に書けない)

温厚な管理部長は、オドオドして全く役に立たなかったらしい。ロビーのテーブルでは灰皿が飛び怒号が続いた。そこで関西から転勤してきてた古株で強面の先輩Bが、宴会場から呼び出されて処理にあたったそうだ。さすがザ・関西で荒波に揉まれたBさん頼りになる。そのBさんの部下がC先輩で、一部始終を見ていたらしい。

その日は各自解散だったので、僕たちはサッサと荷物をまとめて東京へ帰った。初の社員旅行は最低な雰囲気で終わった。

あの頃の僕たちは大手広告会社に勤めていて、その後にわかったのだけど、深夜の事件は朝5時には人事部長から→秘書室長→社長まで細かく報告が上がっていたそうだ。そこから新聞局長→地元新聞社への対処(記事対策)だけでなく、地元警察署長への対策や、さまざま根回しが翌朝にはされていたらしい。それまで現場しか知らなかった僕たちは、社会の現実を知るとともに、組織力の凄さを初めて知った。

現場にいるとさまざまな小さな事件が起きる。でも世の中を揺るがす事件に関わることはない。組織とは組織を守るためなら持てるパワーをとことん発揮するんだなと思った。それはマトモな大人が自分たちを守ってくれているという安心感を感じた最初の出来事だった。多様性が言われる時代に、若い世代にこのハナシはどう感じて伝わるのだろうか。

ところで、問題のA先輩はコレが初めてじゃなかったらしい。暫くして地方支社に飛ばされて、その後自主退職した。先輩Aは自業自得だけど、なんというか人事処理の仕方もスマートだなと思った。今の時代にこんな面倒を起こすヒトは少ないと思うけど、逆の立場になった今日この頃から思うと天災より人災への備えほど大事なものはない。

しかし思うのは、いつの世の中も弱いものが泣くということだ。親がこんな事件をニュースで聞いたらそんな会社に子供を就職させたのかと嘆かれるだろう。だから組織防衛力というのは、弱きものへ心配や迷惑をかけないために備えとして大事。決して忖度させるためや権力を守るためにあるのではない。残念なリアルとして、面倒を起こすヒトはいつの時代でもいるからだ。

帰りの電車でビールを飲みながら、僕たちは仕事の愚痴や悩みを話し合って、僕たちだけで温泉でも行こうかと話し合った。しかし同期の温泉旅行は実現することはなかった。それぞれ社会の荒波に揉まれて、それどこじゃなかったし、それぞれの道を歩んでいったから。

あんな大事件さえも小さな出来事に感じるほど、僕たちは現場の荒波に飲まれていった。厳しい言い方をすれば、ヒトは自分中心で生きている。そんな現実に気づくのも随分時間が経ってからだった。

そしてシゴトと遊びの狭間にある、こんな感じのなんとも言えないよもやま話しを語り合う時間も空間も時代の流れとともにすっかり見なくなってしまった。

骨を拾うほど気骨のある先輩もいない現代の若い方たちへ、シゴトと遊びの狭間にある喜怒哀楽な風景を描いていきたいと思います。何かの役に立てたら嬉しいな。

ではまた

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