自分を他人と比べず、過去の自分と比較しよう、について
標記について。
何か失敗したり、劣等感に苛まされたとき。帰り道に検索すると、本当によく出てきたこの言葉。
何の役にも立たないと思いません?
なぜって?
人間は歳を取って、必ず「昨日できたことが、できなくなる」日が来るのだから。この言葉を頼りに自分を奮い起たせていると、将来きっと絶望しちゃう。自滅の論理ってやつです。
「できるようになったこともあるはず」という反論が当然予想されますが、それはまだ可塑性のある若い相手限定で言えるんですよね。子供と若者との比較くらいで。
運動能力も、記憶力も、知識も容姿もあまた諸々、全盛期の自分に全部負ける日が、昨日の自分より退化する日がどこかで必ず生じる。
新しい価値観とやらにシフトしようが、基準を変えようが、「自分に」納得できる言い訳ができなくなる日が。
そして大切なことは、それは、介護老人になってからとは限らない(たとえばスポーツ選手なんて、すごく早いかもしれない)こと。
だから、劣等感に苛まされる人にかけるべき言葉は、こんな無責任な嘘じゃなくて、もっと違う言葉じゃないか、と思っている。
こんなすぐ思い付きそうなことを、場末の書き込みやコメントでさえほぼ見ないのが、ずっと不思議でしょうがなかった。
『この世の時間と資源は有限で、永遠の成長はありえない』
この命題を、繰り返し繰り返し、書くことになるだろう。