インフル明け久々出勤。まだ半年の我が身は先任の部下に仕事取られ失業中、咳は残る。早く帰ろうとした道で二度、遅れて入線していた電車に先に行かれる。本当に神がいるのてあれば、人を痛めつけて楽しむ筈がない。
繁忙期にインフルかかるわ家庭内でも面前で恥かかせるわ、わざわざ厄年も年内分急いで不幸食らわせなくていいんですよ。これでまた「主犯」の名前を書くと恨まれ追加不幸をプレゼントしてくるから書きませんが。偶には逆に予想を裏切って、人を幸せにしてみませんか?
いい大人が普通に生きてりゃ注意されるような事態にはならない。だから注意されるってことはそいつが劣等種だって証明であるし、注意をする時は相手がそう受け取ることを前提に覚悟してやらねばならない。
昨晩は子供に夕食を待たせながら4時間プラス1時間追加でサンドバッグ。今朝はすぐ済まないから止めようというのに押し切られて2時間半焼かれる。1時間半遅れで出たら目の前で電車に行かれる。もう絶望しかない。行った先でも売り切れやらすれ違いで悲しくなるのだろう。
失敗の恐ろしいところは迷惑をかけた相手の評価が下がることではない。そこは謝罪や賠償、場合によっては復讐の甘受で何とかなる。真に恐ろしいのは周りの評判が下がること。これはどう頑張っても取り戻せない。謝ることもできないし、平気な顔しても解消されない。だから一回失敗したら終わりなのだ。
他人はそれほど自分のことを気にしていないというけれど、10年前の出来事でもきっちり覚えていて信頼度の序列をつけ、隙あらば意趣返ししてやろう思っている自分のような人間もいる。他人がそうじゃないなんてどう言われても信用できない。自分の湿原を恨んで復讐されると思うと気が気じゃない。