問題なのは、「いい子」という型にはめてしまう大人のあり方だった。 〜娘の「ありがとう」言わない問題、その後。
娘の7歳の誕生日、たくさんの祝福を受けたにもかかわらず娘は一度も「ありがとう」と言わなかった。でもそれが気になっていたのは、私の中の”言葉の呪縛”だった。
…という話を、以前noteに書きました。
あれから1ヶ月。娘の発言から「そうだったのか!!!」という気付きがあったので、後日談を書きます。
前の記事で、「別にありがとうって言葉で表現しなくても、彼女は彼女なりの方法で喜びを表現しているんだからいいじゃん♪」という気づきを書きました。記事を書いて、賛同してくれる人も多くて。あぁ、本当に彼女は彼女なりの表現があっていいなぁ、と思いながら、日々、娘と過ごしていました。何度か「ありがとう」って言いそうで言わない娘の姿を見て、愛おしく思いながら。
突然の、ブレイクスルー。
そして誕生日から間もなく1ヶ月、という先日、娘が館長をつとめる「うみべのとしょかん」で、ちょっとしたお遊びをしました。あ、「うみべのとしょかん」については、こちらで。
「としょかん」の一角に笹を飾り、短冊を用意。遊びに来てくださった方に、七夕の「願い事」を書いてもらえるように準備しました。
この日、何人かの子どもたちが願い事を書いてくれて、としょかんは華やかに。館長である娘の願いは、「じっかにかえる」でした(笑)。そうだよね、コロナで遠くのじいじばあばに会えてないもんね。
そのすぐとなりにぶら下げてあったのは、娘のご近所のお友だち、まおちゃんのものでした。私が読もうとすると、娘、「ダメだよ。まおちゃん、読んじゃダメって言ってたから!」と。どうやら娘も読んでいないらしい。
「そっかそっか、わかったよー」と娘に従い、夕飯のとき、「まおちゃん、なんで見ちゃダメなんだろうね〜。恥ずかしいのかな」なんて話をしました。
するとパパ、「あ、俺読んじゃった。すごい素敵なこと書いてあったよ!」と。「え?読んだの!そうなんだ。“素敵だね〜”とか褒められるのが恥ずかしいのかな?」と言った私に、娘のひとこと。
「それだよ〜!こなつが“ありがとう”って言いたくないのもそれなんだよ〜!!」
「えっ!?」
一瞬かたまる私たち。
「ん?どういうこと?褒められるってわかってるから言わないってこと?」
「うん…」
はにかむ娘。ちょっとニヤニヤ。
「そっかーーー!!こなつ、褒められるの苦手だもんね〜」
夫も私も、かなりブレイクスルーした瞬間。
小さな頃から、「上手だね」には「上手じゃない!」、「すごいね」には「全然すごくない〜」と返答していた娘。「なんでー?褒められたら素直に喜べばいいのに〜」と言う私に、「だっていやなんだもん」と言ってたっけ。照れ屋で褒められベタ。娘のそんな一面を、愛おしく思っていた。
娘のふたつの言動、
「ありがとう、と言わない」
「褒められるのが嫌」
が結びついた。なるほど〜、たしかに「ありがとう」って言う子を褒める大人は多いもんね。いろいろなことがすすすーっと見えてきて、面白い夜だった。
「そんなすごくないし」…“褒められるのが嫌”の核心へ
翌日。あまりにも面白かったので、娘とふたりで車移動するとき、またその話題を振ってみた。「褒められるのが嫌」の核心をついてみたくて。
私「こなつの“褒められるのが嫌”ってどんな感じ?」
娘「えー、うーん…」
私「たとえばさぁ、"その髪型おしゃれだね”とか言われたら、こなつ喜ぶじゃん?」
娘「うん、それはいい。うれしい」
私「じゃあ、テストでいい点取って褒められるのは?」
娘「それもいい…かな」
私「そっか、じゃあ、なんだろう。”ありがとう”って言ったときの褒められ方は違うの?」
娘「うーん、”すご〜〜い!!”とか」
私「あ〜、大げさな感じ? 確かに、”ありがとう”って言う子に対して、大げさに褒めるところあるよね。ママも、さなちゃん(ご近所の2才児)が“ありがとう”って言ったとき、めっちゃ褒めたかも…」
娘「なんか、恥ずかしくなる」
私「あぁ、そっかそっか。そんな感じで言われちゃうのが嫌なんだぁ。そんな大したことじゃないのに、って感じ?」
娘「うん。別にそんなすごくないし」
私「あーーー、わかってきた。さらっと流してくれればいいのに、やたら褒められるのが嫌な感じだ。なんでだろうね、ちっちゃい子が“ちゃんとしてる”みたいなのって、大人は好きだよね〜。こなつ、“友だちの前ではありがとうって言ってる”って言ってたもんね。大人の前ではいい難くなるのはそういうことかぁ」
娘「うん。友だちには言ってるよ。ママの前では言ってないけど」
ズシリ…。なんだか、大人のあり方をズバリ言い当てられてしまったような感覚。身につまされるわぁ。
問題なのは、「いい子」を型にはめてる大人のあり方なのでは?
つまり娘は、べつに「ありがとう」が言えないわけじゃない。全然言えるし、言うべき場面も、充分すぎるほど分かっている。でも、「ありがとう」って言葉にすると、
「まぁ〜こなっちゃんスゴイわね!!」
みたいな、すごい反応が返ってくる。きっともっと小さい頃、そういう場面があって、それで恥ずかしくなっちゃったんだろうな。
なんか、これってつまり、大人がいわゆる「いい子」を型にはめて捉えてるってことなんじゃないかなぁ、と。「挨拶ができる」とか、「礼儀正しい」とか、「ハキハキして明るい」とか、そんな子たちが「いい子代表」みたいな感じで、そういう子に出会うと、過剰に褒めてしまう。娘は本能的に、そんな「いい子」の型にはまることに抵抗しているのかもしれない。
本来は誰もが持って生まれた自分をそのままに表現して、自分の育ちたいように育っていく。だから感謝の気持ちの表現なんて、なんでもいいはず。でも、大人はちゃんと「ありがとう」が言えちゃう子どもが大好き。だから過剰に褒めるし、言えない子には言うように教える。そうすると、子どもはそれが「いい子」で、それ以外は「いい子じゃない」と捉えてしまう。要領のいい子ほど「言えばいいんでしょ」になっちゃって、感情のない「ありがとう」が行き交う。本当の感謝の気持ちは、いったいどこに?…なんて空虚な展開も見えてしまうなぁ。怖い怖い…。
娘はそんな風に子どもを型にはめていくおかしな大人のあり方を感じ取り、「なんかおかしい、嫌だ!」というメッセージを送ってくれていたのだと思う。それが彼女の「“ありがとう”を言わない」本当の理由だと、私は解釈した。考えすぎ? いやいや、子どもはいつも、こうやって大人にメッセージをくれる。ありがたいなぁ。真摯に受け止めよう。
娘の「“ありがとう”言わない問題」は、問題なのは子どもじゃなくて、大人のあり方でした、という結論にて、一旦完結。でもこれは私なりの結論なので、異論反論、もちろん共感も!ぜひコメントもらえるとうれしいです。子どもをめぐること、みんなとわちゃわちゃ議論したいなぁ、と思いますので。
そうそう、娘には「でも7歳の子がありがとうって言っても、そんなに大げさに褒められないから、もう大丈夫だよ〜」とは言っておきました。一応ね。娘とこんな話ができたことも、うれしかった。成長ですね。
いつでも私の想像を超えてくれる娘よ、いつもありがとう!
(↑父の日にパパに「ぎゅっ」とされてうれし恥ずかしな愛しき7歳娘♡)
貴重な時間を割いて読んでくださったこと、感謝申し上げます。みなさんの「スキ」や「サポート」、心からうれしく受け取っています。