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フリーメーソンとアメリカ社会

〜『THAT RELIGION IN WHICH ALL MEN AGREE』レビュー訳出http://www.firstthings.com/web-exclusives/2015/07/freemasons-in-america

この本の読者はフリーメーソンが昔からカトリックとは相容れないものであったことを理解する一方で、同じようにフリーメーソンがプロテスタントにも強い拒否反応を引き起こしてきた事実を知って驚くかもしれない。しかしながら著者のデビッド・ハッケットはフリーメーソンの宗教的側面に関する歴史上初めての詳細な文献を読者に提供しつつ、「中世の城郭や大聖堂を舞台に活動をはじめたメーソンの実質的な起源はカトリックにある」と明言する。啓蒙の世紀の影響下にあるプロテスタントによって、近代におけるメーソンの「再興」がすすめられるが、興味深いことにその時代になっても尚、中世の石工ギルド(ストーンメーソン)の守護聖人のお祭りにみられるように、いまだカトリック的なものを下敷きにした「奇妙な現象」は残りつづけるのである。

カトリックとメーソンの関わりはいささか入り組んだものである。1717年のその再興の時とともに、ヨーロッパの多くのカトリックがメーソンの会員となる。しかしそこからわずか20年もしないうちに、ローマ教皇による目覚ましいメーソン批判がはじまる。メーソンの革命的な性格が無視できないものであったというだけでなく、メーソンに対する神学的な反駁が沸き上がり、そちらのほうが政治的な側面を差し置いてはるかに問題視されるようになる。宗教的無関心主義や万人救済説、支離滅裂な宗教的立場、異教の諸々の影響、反聖職権主義、そして極端な合理主義などが教皇の強い反発を招いた理由の中核を成し、それらの否定が今日においてもカトリックの教えの基本として受け継がれ、同様の禁止を掲げる東方正教会やその他の保守的なカトリックの諸組織と歩調を合わせることになる。

フリーメーソンは、古代から結社は存在しており、超現実的な知識や秘教的な通過儀礼の儀式といった一般的な宗教の体裁を備えていたと主張する。とはいえメーソンたちの多くは結社が宗教であることを否定しており、それはハッケットの定義によれば「超越的な現実との関わりにおいて人々が人間になるためのイデオロギーと実践の共有」というものである。「フリーメーソン流の太古の真理の探求」は、原始キリスト教徒やモルモン教徒にも通じるものがあるが、「共通点のない政治的かつ宗教的な指導者たちをひとつにまとめあげ」ながら、宗教に向かう際は(キリスト教正統派と一方における福音派との接点、また他方における純粋合理主義との接点といった)「最小公倍数」を明確にすることでアメリカ社会の世俗化に貢献した。メーソンの会員は「彼らに特有の“宗派的な”意見」をもって、著者が言うところの「お行儀のいいキリスト教」あるいは1723 年のメーソン憲章の中で言及されている(この本のタイトルにもなった)「誰もが同意する宗教」を具現化することが奨励された。

フリーメーソンの言う「理性的な」宗教ときいて、ヨハネ・パウロ2世教皇が回勅『信仰と理性』において述べられた真理に向かって羽ばたく両翼としての信仰と理性について思いを馳せる必要はない。それどころかメーソンの考える宗教とは、啓示や信仰を差し引いた、たんなる理性と同一のものなのである。トマス・ペインが認めたように、メーソンとは「古代の諸宗教を起源とするが、あの書物(すなわち聖書)とはまったく縁もゆかりもないものである」。

興味深い歴史上の逸話をもうひとつ。モルモン教というものが、とりわけその独特の典礼を発展させる過程においてフリーメーソンに依拠してきたという話。同じく興味深いことにヨゼフ・スミス(※訳注:モルモン教の設立者)の最初の十二使徒のうち11人がメーソンだったという。

フリーメーソンが受け入れられるようになった理由は様々あるが、とりわけ宗教的な立場とは無関係に(あるいは宗教的な立場があったにもかかわらず)、会員間に深い結びつきと、社会的、経済的、政治的な恩恵をもたらすことを可能にした点は無視できない。アメリカ共和制の成立に大きく寄与したベンジャミン・フランクリン、ジョージ・ワシントン、そしてジョン・ハンコックは熱心なロッジの会員であったが、それが彼らのキャリアに何ら支障となることはなかった。興味深いことに、18世紀、19世紀のロッジの会員で教会に通うものはほとんどいなかった(サンフランシスコのメーソンのうち14%だけ)という事実は、フリーメーソンはそれ自体で宗教であるという通俗的な認識に信憑性を与えるものだろう。メーソンの「濃密さ」を示す例として、(それがなにを意味したかはひとまず措くとして)ドルイド僧で占められていたロッジもあったという。

組織の秘密主義という性格が会員間の関係をより強固なものにしたのは確かだろう。しかしそれは“陰謀”に至る道でもあった。ジョン・バンダービルドは1808年にこう断言している。「これほど結びつきが強く、かつ神聖にして厳粛な絆は他にない」が、その絆のために、多くの批判者たちにフリーメーソンが政治的あるいは宗教的な体制の転覆を企んでいるとする陰謀告発の機会を延々と与えつづけることになった。婦人たちも強い“絆”の批判者だった。そのせいで夫との結婚の誓いが危機に瀕することを懸念した。

排他的な結社のつねとして、メンバーの中にその教えや実践に疑いを持ち始める者が必ずあらわれる。メーソンの裏切り者も秘密を暴露し、キリストとキリスト教への暴言や冒涜はロッジでは日常茶飯事だったと証言する。そうした「告発者」の一人がウィリアム・モーガンで、後に彼は誘拐され消息が絶たれてしまう。メーソンの軒先で起きたこの失踪事件によって(さらにはメーソンの側からは何ら公式の声明が出されなかったことによって)、フリーメーソンは大きな痛手を被り、1826年から1835年にかけてニューヨーク州だけで60%の会員が脱会することになる。

ユダヤ人はアメリカ社会に同化したいがためにロッジに参加していたが、結局のところはよくわからない理由からメーソンを離れ、1843年に“ビナイ・ビリシュ”の創設に至る。その「設立憲章において神、律法、あるいは儀礼の尊重がうたわれることはなく、ただユダヤ人の一致のみが強調」されているのをみれば、それがフリーメーソンから派生した結社であることは明白である。

アメリカ合衆国最初の司教であるジョン・キャロルが、あからさまにロッジの会員であるカトリック信者について見て見ぬふりだったのは、おそらく彼の実の兄弟のダニエルがロッジの会員だったためだろう。カトリックであっても個人としてはロッジへの入会が認められたが、カトリックという組織に対するメーソンの態度は「黙認から過激な反カトリック主義まで」の振れ幅があった。しかしながら、アイルランド、イタリア、ドイツからの移民が大挙して押し寄せるようになると、カトリックの個人を歓迎してきた玄関マットも畳まれることになり、代わってメーソンは、先住民を擁護しカトリックを排斥するアメリカ・プロテクティブ協会への支援を開始する。

そうした状況がコロンブス騎士団設立のひきがねとなる。メーソンからの疎外と聖座(バチカン)からの非難に対するアメリカ・カトリックの回答がコロンブス騎士団だったのである。メーソンとちがって騎士団の地域評議会は、例外なく教区の生活の一部に組み込まれ、カトリックとは別の、あるいはカトリックに取って代わる宗教組織として機能することはなかったのである。ハッケットの説によれば、騎士団の会員はアメリカ全体のフリーメーソンの会員がそうであるように、近年になって落ち込みを見せはじめ、顕著に「会員は高齢化し、会員数は減少」し、「手入れの行き届かない空きビル」と化しているという。しなしながら実際のところは、1950年から今日に至るまでのあいだに、騎士団の会員数は倍増しているのだ。

いたるところからどんな批判を受けようとも、この増加現象は注目に値する興味深い成長や発展を物語るとともに、アメリカの宗教、政治、社会生活に対するその甚大な影響を示すものさしとなる。


(訳者追記)

コロンブス騎士団におけるカトリックとフリーメーソンの入り組んだ関係

コロンブス騎士団は、カトリック系移民のための”互助会”団体として1882年に設立された。宗教機関ではないが、カトリック教会とカトリックの教義に全面的に基づく組織体である。フリーメーソンあるいはメーソン的な結社は国家がすべてを保障しないアメリカ社会においては市民生活に不可欠の存在と言えるが、アイルランド、イタリア、そしてドイツからのカトリック系移民は労働組合にもフリーメーソンにも加入がゆるされず、社会保障を得る術を持たない社会的弱者だった。信者の生活を守るためにマッキブニー神父がコネチカット州で興した互助会は瞬く間に発展を遂げ、騎士団と呼ばれるカトリックの在俗機関の中で世界最大の組織となる。現在、会員(“騎士”)の数は180万人に達し、愛国保守の側に立つ政治家にとっては最大の政治支援団体であり、全米の多くの教区に学校をもつ最大手のミッション系教育機関であり、生命保険の取扱高が2兆円超で世界の保険会社格付けランキングでトリプルAの高評価を得る“優良企業”でもある。コロンブス騎士団の“騎士(ナイト)”だった著名人としてはJ.F.ケネディ大統領がいる。カトリックの説く弱者救済を実社会で実践することをモットーとし、20世紀アメリカ社会における人種差別撤廃と公民権運動に果たした役割は多大なものがあるが、そこに至る過程で長くKKK(クークラックスクラン)から迫害された歴史をもつ。コロンブス騎士団がメーソン的結社として分類される理由は、秘密の誓いに基づく階級制を有することがあげられる。最高階級の“第四位”は教会からの要請があればフリーメーソンやプロテスタントを容赦なく虐殺すると誓っているとするデマをKKKが拡散し、ローマ教皇に忠誠を尽くすコロンブス騎士団は合衆国政府の転覆をはかる陰謀結社であるとされた。秘密の誓いは公にできないため騎士団バッシングは長期にわたって止むことがなかったが、調査に入って最終的にコロンブス騎士団の潔白を証明したのはカリフォルニア州のフリーメーソンだったという。こうしたカトリックとフリーメーソンの入り組んだ関係がアメリカ社会の生きた歴史を形成してきた事実は興味深い。個人的な関心事としては、March for Lifeで何千何万も配布されていた(DEFEND LIFEと書かれた)プラカードがコロンブス騎士団の協賛によるものだったこと。(産まれる前の子どものいのちを守る)プロライフの推進と、一組の男女による結婚の擁護(すなわち同性婚の反対)を社会運動として拡大していく大きな役割を今後もコロンブス騎士団が担うことになるだろう。

※コロンブス騎士団公式サイト http://www.kofc.org/en//index.html    March for Life紹介動画 https://vimeo.com/92309633

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