誤りは、神に敵対し、キリストの教会とその核心にあるミサ聖祭と聖体を憎む者によって養われるのです。 (ヴィガノ大司教)
2020年6月9日
聖エフレム
6月1日に『LifeSiteNews』に掲載された「宗教の多様性への神の積極的な意志あるいは自然の権利」と題するアタナシウス・シュナイデル司教様のエッセイをたいへん興味深く読ませていただきました。司教様の考察は、キリストに従って語る者たちの言葉を際立たせる明晰さをもって、聖書と聖伝が証しするものとも聖書と聖伝の忠実な保護者であるべきカトリックの教導職とも相容れない、第2バチカン公会議が正当化したとみなされる宗教の自由の強力な実践に対する反論をまとめられています。
司教様のエッセイの論点は第一に、公会議によって明確に宣言されたかあるいは暗に示された諸原則と、それが教義における、道徳における、典礼における、さらには司祭養成における、今日ではますます目に余る逸脱をもたらした論理的な帰結との間の思いがけない結びつきを把握することです。
近代主義者がよってたかって造り出した変異体は、当初はたんなる誤解で済まされたかもしれませんが、その後すっかり成長し強化され、今日では破壊的で反抗的な性質のうちにその真の姿を垣間見せるのです。あのとき宿ってしまった生き物は常に同じ生き物のままなのであり、その間違った性質は変えることができると考えるのは甘すぎます。公会議の過失(すなわち絶えざる解釈学の横行)を正そうとする試みがうまくいった試しはありません。「Naturam expellas furca, tamen usque recurret 〜熊手で搔き出したものは、すぐに元どおりになる」(ホラティウス「書簡詩」1巻10:24)
アブダビ宣言は、シュナイデル司教が正しく省察されているとおりその最初の兆候をアッシジの神殿に見て取ることができますが、ベルゴリオが誇らしげに強調したようにそれは「第2バチカン公会議の精神が実を結んだ」ものだったのです。
「公会議の精神」とは、変革者たちが彼らへの批判に反論する確たる論拠として用いるもので、先の宣言などの誤謬のみならず、おそらくはそれを正当化する異端的な解釈の土台にも根拠を与える遺産が「公会議の精神」の名のもとに正確に継承されている事実が悟られることはありません。もっとよく調べてみるならば、ひとつの公会議が、それ以前の他の公会議とは大きく異なる歴史的なイベントのようなものとして出現したことは、教会の歴史上かつて一度もなかったことでした。かつて「二ケア公会議の精神」とか「フローレンス公会議の精神」とか、まして「トレント公会議の精神」なるものを耳にすることはありませんでしたし、第4ラテラン公会議や第1バチカン公会議の後に「公会議後」と呼ばれるような時代を迎えたこともありませんでした。
その理由は明白です。かつてのすべての公会議は例外なく、聖なる母なる教会の声との一致を、まさにそれゆえ主イエス・キリストの声との一致を表明するものだったのです。意味深いことに、第2バチカン公会議の新奇性を擁護する者たちはまた、聖三位である神の位格のあいだに矛盾があるかのごとく、旧約の神を新約の神に敵対するものとするような異端的な教説に固執するのです。明らかに、ほとんどグノーシスやカバラと見まがうこうした説は、カトリック教会とは意図的に異なり対立する新しい主題の定着に寄与するものです。教説における誤りは、つねに必ずと言っていいほど、ある種の三位一体への異端のあらわれであって、三位一体の教義の原点に立ち返ることによって、それに敵対する教説は打ち負かされるのがつねでした。
「ut in confessione veræ sempiternæque deitatis, et in Personis proprietas, et in essentia unitas, et in majestate adoretur æqualitas〜われわれは真理であり永遠である神性を言い表すことで、実体のうちに一致し、威厳のもとに平等であられる各位格を適切に崇敬することができる」
シュナイデル司教は、たとえばユダヤ人を服装で見分ける手だてだとか、キリスト者がムスリムやユダヤ人の長上に仕えることの禁止などを例にあげながら、公会議のいくつかの規範が促進してきた教説が今日では受け入れられ難くなっていることを指摘しています。その例の中のひとつに、フローレンスの公会議で宣言されたトラディシオ・インストゥルメンタルが後にピオ12世の使徒憲章サクラメントゥム・オルディニスによって修正されたことをあげられています。アタナシウス・シュナイデル司教は次のように述べています。「未来の教皇か公会議が、第2バチカン公会議によってなされた誤った言説を修正してくれるだろうと期待することも信じることも可能だろう」
もちろん師の意図は十分汲み取れるものではあるものの、これはカトリックという体系を土台から損なうことになりかねない主張であるようにわたしには思われます。事実もし教導職の言動が、気まぐれに、時代の移り変わりとともに廃止されたり、変形を加えられたり、異なる解釈にさらされうることを認めるならば、それがあのラメンタビリの教令への非難に向かわせたのであり、またつい最近の、まさしくこの誤った仮説の上に立って、死刑は「福音で認められていない」と宣言しカトリック教会のカテキズムを修正しようとした者たちを正当化することになってしまいます。これと同じ原則に従えば、ディクニタス・フマネ(※「信教の自由に関する宣言」)がそうなってくれることをシュナイデル司教様は期待するわけですが、はからずも福者ピオ9世のクアンタ・クラに第2バチカン公会議によってある種の修正が加えられたことを支持することになってしまいます。司教様があげられた例はいずれもそれ自身が重大な誤りであったり異端であるものではありません。フローレンスの公会議が教令の有効性のためにトラディシオ・インストゥルメンタムが必要であると宣言した事実は、教会に教令を無効にするよう仕向ける司祭たちと断じて妥協することはなかったことを示します。また、こうした原則は、それがどれほど必要なことであっても、信者の側に教義上の誤解をもたらすものであることを(そんなことは直近の公会議で起こっただけですが)誰も認めているようには思えないのです。長い歴史において種々の異端が広まったときには、教会はいつも速やかに介入して異端を非難してきました。1786年のピストイアのシノドス(※司教会議)がいい例です。ある意味でそれは第2バチカン公会議を先取りする革新的なもので、たとえばミサ以外での聖体拝領を禁止したり、俗語を導入したり、カノンによる祈りを禁止しようとしたのですが、そこにもちろん教会は介入しましたし、さらには教皇の優位性をたんなる職務上の機能とみなし、司教の団体性の基礎となるような考え方が示されたときにはただちに非難したのです。このシノドスで起きた出来事を読み返すなら、わたしたちが後に直面することになる同じ誤りの相似形を、それもより大きな場において、ヨハネ23世とパウロ6世に率いられた公会議において見出されることに愕然とするでしょう。一方で、真理が神からもたらされるように、誤りは、神に敵対し、キリストの教会とその核心にあるミサ聖祭と聖体を憎む者によって養われるのです。
わたしたちは今、神の御摂理をとおして、教会の未来とわたしたちの永遠の救いのために決定的な選択を迫られるときを迎えています。悪意をもってそうなってしまったわけではないものの誰もが現実に陥ってしまっている過ちをわきまえるのか、よそ見をつづけながら自分たちを正当化することを望むのか。その両者のどちらを選択するかということです。
他にもまた、わたしたちはこんな誤りもおかしてきました。思想も信じるものも異なる相手ではあっても、きっと善意に突き動かされる人たちであって、わたしたちの信仰に心を開くなら自分たちの誤りをすすんで正そうとする人たちであるだろうと考えてしまう誤りを。数々の公会議の教父たちとともに、わたしたちはエキュメニズムのことを、反対する者たちをひとつのキリストの教会に、偶像崇拝者や異教徒を唯一のまことの神に、ユダヤ人を約束された救世主のもとに招くプロセスであると考えていたのです。しかし、公会議委員会で理論づけられたそのときから、エキュメニズムは、それまで教導職によって表明されてきた教説とは真反対にあるものとして設定されてしまったのです。
これは程度の問題で、所詮は新奇性への熱情に巻き込まれたままでいる人々による過剰反応にすぎないとわたしたちは考えていました。ヨハネ・パウロ2世が霊媒師や、仏僧、イマーム、ラビ、プロテスタントの牧師、その他の異教徒たちに囲まれているのを目にしたときも、これは、神に平和を願い求めるために民を一つに集められる教会の能力を証しするものであると心から信じることができました。しかし権威をもってなされたこの模範も、多かれ少なかれ公にそこからの逸脱を開始し、ついには司教たちが不可解なパチャママ像を、それが神聖なる母性を代表しているという口実のもとに冒涜の意図をごまかしながら肩に担いで運んでくるのを目にするに至るのです。
しかしもし闇の力の象徴がサン・ピエトロに入り込むことができたのなら、最初から見越されていたことがそのとおりここまで到達できたということにほかなりません。今日では無数のカトリック信者が、そしてまた大多数のカトリックの聖職者が、カトリックの信仰はもはや永遠の救いである必要はないと確信しています。彼らは、わたしたちの父祖たちに顕われた唯一の三位の神はムハンマドの神と同じであると信じているのです。すでに20年前にも、そんなことが説教台や司教座から繰り返し聞こえてきたものですが、わたしたちは今や、それが聖座から力強く発信されるのを耳にするのです。
次の聖書のことば「Littera enim occidit, spiritus autem vivificat〜文字は殺しますが、霊は生かします」(2コリント3:6)を思い起こすなら、進歩主義者や近代主義者たちが、当時であれば多くの人が有害であると感じたでしょうが、今日では公然のものとなったその破壊的な目論みをあいまいな表現で抜け目なく公会議文書の中に混入させる方法を知っていたということがよく分かります。こういう場合に「subsisit in 〜のうちに存在する」というフレーズが用いられるのです。相手を怒らせない程度に”真理を半分”だけ口にするということですが(神の被造物に配慮する必要から神の真理については沈黙することが正当であるとして)、そこには、もし真理の全体が述べられたなら即座に退散せざるおえなくなるような”誤りを半分”混ぜ込んでおく狙いがあるのです。このように「Ecclesia Christi subsistit in Ecclesia Catholica〜キリストの教会はカトリックの教会のうちにある」とは、二つのアイデンティティを特定しているわけではありません。前者の生存条件は、後者のうちにあるということであり、カトリック以外の教会のうちにも一貫してあるということです。ここから、諸宗教間の祭儀、エキュメニカルの祈り、そして必然的に、救いの順序、単一性、宣教的使命というもののうちにある教会が幕を開けることになるのです。
東西教会の分裂のうちに、そしてプロテスタント諸派との極めて慎重な関係のうちに、最初のエキュメニカルの会合が開かれていたことを思い起こされるかもしれません。ドイツ、オランダ、スイスは別にして、当初はカトリックの伝統のある国々は、プロテスタントの牧師たちとカトリックの司祭たちとの合同礼拝を歓迎しませんでした。わたしの知る限りでは、「フィリオクェ」を受け入れない正教会を怒らせることがないようにとの配慮から「ヴェニ・クレアトール」の栄唱の一部を取り除こうという議論があったそうです。今日では、説教台からコーランのスーラが発せられるのを耳にし、修道会のシスターやブラザーたちが木の偶像を崇めるのを目にし、つい昨日まで数々の過激思想に対するもっともらしい口実としか思えないことを口にしてきた司教たちが、そんなこと知らないと言うのを耳にします。メーソンとその悪魔の触手にそそのかされた世界が望むのは、人道主義的でエキュメニカルな世界宗教を作り出すことであり、わたしたちが崇拝する嫉妬深い神は追い出されてしまうのです。ただし、もしこれが世界の望むことであるならば、それと同じ方向に進んでいる教会の歩みの一つ一つは、どれも世界にとって好ましくない選択ということになり、神を嘲笑うことができると信じる者たちと敵対することになるでしょう。バベルの塔への希望が、カトリック教会の停止を目標に据え、環境主義と普遍的同胞愛を統合した偶像崇拝者と異端者の連合軍がそれに取って代わることを目論むグローバリストの計画によって再び息を吹き返すことはないのです。キリストのうちになければ、同胞愛はありえません。それがあるのは、ただキリストのうちにのみです。「qui non est mecum, contra me est. 〜わたしに味方しない者はわたしに敵対する」
奈落に向かっているこの競争に気づいている人がほとんどいないのは残念なことです。そして、あたかも教会の指導者たちが同胞的思考のみこしの上に自分たちの席も役割もあることが保証されたいと望んでいるかのように、そうした反キリスト教的イデオロギーを支持しつづけているわけですが、それについて教会の最上層の責任を問おうとしないのもまた残念なことです。さらに、現在の危機の根本原因を徹底的に追求しようとする人々がいないことに驚き戸惑います。現在の行き過ぎを嘆くだけにとどめ、それが数十年前に打ち出された計画の論理的で必然的な帰結であることには無頓着を装うのです。もしパチャママを教会で拝むことができたのなら、それはディクニタス・フマネ(※「信教の自由に関する宣言」)が原因です。もし典礼がプロテスタント化され、しばしば異教化さえしているのなら、それはブニーニ大司教の革命的な行動と公会議後の改革が原因です。もしアブダビ宣言が実効されたのなら、それはノストラ・アエタテ(※「キリスト教以外の諸宗教の信奉者に対する教会の態度」)が原因です。もし司教協議会の決議が委任されるという状況ーイタリアで起きていることで政教条約の重大な違反でさえあるーにまでなったのだとしたら、それは団体性が、そして(その最新バージョンである)シノドス性が原因です。シノドス性のおかげで、アモリス・レティテア(※使徒的勧告「愛の喜び」)が抱えている誰の目にも明らかだったはずの問題から目を背けさせることができたのです。圧倒的な組織的機関によって用意されたこの文書は、離婚後に同棲した者への聖体拝領の公認を意図していたわけですが、それはまさにクエリダ・アマゾニア(※使徒的勧告「親愛なるアマゾン流域」)が女性司祭の公認(直近ではフライブルグでの「公教会の女性代理」という問題)と聖なる司祭独身制の廃止のために用いられようとしているのと同じです。デュビア(※2016年に4名の枢機卿が提示した5つの疑義 Dubia)をフランシスコに送った高位聖職者たちは、わたしが思うに、変わらぬ敬虔な誠実さを示していました。理性的な議論によって誤りの論点と向き合うことができれば、ベルゴリオは何が異端かを理解し、それを訂正し、そして赦しを願うだろうと彼らは考えていたのです。
公会議というものは、著しい教義上の逸脱や、著しい典礼上の変革や、著しく無節操な虐待行為がおこなわれているにもかかわらず、権威が黙ったままでいるときに、それを正すために開かれたものでした。このたびの公会議だけは、教会がつねに威厳をもって教えてきた教説をあいまいにしたり、それに侮蔑の意図までほのめかしたり、また信徒、殉教者、そして聖人たちとの一致のうちに連綿と信仰の土台を築きつつ千年のあいだ引き継がれてきた典礼を禁止したりしながら、カトリック信者、聖職者、そして司教に対してそれ自身の正当性を表明することに夢中だったのです。とりわけこのたびの公会議は、解釈上の数々の問題や歴代の教導職に対する数々の矛盾を引き起こした他に例のない唯一の公会議であることがはっきりしています。すべての教導職との完全な調和を欠いたり、多くの解釈を必要とするような公会議はーエルサレム公会議から第1バチカン公会議に至るまでーただの一つもないのです。
心から噓偽りなく次のように告白します。わたしは多くの混乱や不安(今日ではその正体が明白になっています)にもかかわらず、位階制の権威に無条件の従順さをもって信を置く人間たちの一人でした。現実に、わたし自身を含む多くの者たちが、位階制の命令に従うことと教会そのものに忠実であることのあいだに不一致があるなどという可能性はついぞ考えもしませんでした。位階制と教会のあいだ、そして従順と忠実のあいだを分かつ、不自然で、実際に邪悪でさえある、この分離を決定的なものにしたのが、まぎれもなく現今の教導職だったのです。
システィナ礼拝堂に隣接する”涙の部屋”で、グイド・マリーニ師が「新しく選出された」教皇の最初のお披露目のための白いロッシェットやモッチェッタやストールなどを準備していたとき、ベルゴリオは「カーニバルは終わった!」と叫び、これまで歴代のすべての教皇たちがキリストの代理であることの明白な徴として恭しく受け取ってきた徽章を、あからさまに拒絶したのです。しかしそのことばは、意図せずして発せられたものだとしても、真実を含んでいました。2013年3月13日、共謀者の仮面が外されました。彼らはベネディクト16世という不都合な存在からついに解放され、そして彼らの理想を、教会を根こそぎ変革し、教説を骨抜きにし、道徳を現実に適応できるものにし、典礼を淫らなものにし、そして修練生を使い捨てにする彼らの方法論を具現化してくれるはずの一人の枢機卿への後押しがついに実をむすんだ結果を厚かましいほどに誇示するのでした。このことすべてが、ベネディクト16世が発する批判によって弱められはしたものの、第2バチカン公会議の論理的な帰結であり、かつその明白な適用の当然の結果であると陰謀の立役者たちは考えるのでした。この教導職によるもっとも無礼な言動は、不当な追放の目にあった50年間を反証することでその正当性が最終的に承認されるに至ったトリエントの聖伝ミサに、気軽な許可を与えたことでした。ベルゴリオのサポーターたちこそが、古い典礼をともなった古い宗教の後に登場した、新しい教会の最初のイベントとして公会議を見ていた張本人だったことは偶然ではありません。
偶然ではないというのは、この者たちが都合よく確信していることが、穏健派を憤慨させながらも、すなわちカトリックの信じるものでもあるということです。つまり次々と解釈が繰り出されたにもかかわらず(現在の危機という現実に最初に直面した際にそれは無惨にも座礁してしまいましたが)、第2バチカン公会議からそれ以降、真のキリストの教会と重なりつつもそれに真っ向から反対する”並行教会”が建ち上がったことを否定はできません。この並行教会は我らの主によって設立された神の制度を革新的なやり方で覆い隠し、それに代わって偽りの制度を据え、メーソンによって最初に理論化された待ち望まれる世界宗教に呼応させようとしたのでした。人間中心主義、普遍的同胞愛、人間の尊厳といった新しい表現は、真の神を否定する博愛的な人道主義の、漠然とした霊的直観による水平な連帯の、そして教会が断固として非難してきたエキュメニカルな平和主義の合言葉です。
「Nam et loquela tua manifestum te facit〜言葉遣いでそれが分かる」(マタイ26:73)
敵の同じ語彙に対するこの執拗な、脅迫的でさえある依存は、敵が吹聴するイデオロギーへの執着のほどを物語ります。その一方で、明瞭で、比類なく、透徹した教会言語を組織的に拒絶することは、カトリックという形態からのみならず、その実体からも自身を引き離そうとする欲求を確かなものとするのです。
この何年もの間わたしたちは、聖座から漠然として明瞭な意味を欠いたことばが発せられるのを耳にしてきましたが、後にそれが現在のこの教導職を支持する者たちが著すマニフェストの中で練り上げられるのを目にしてきました。もはや第2バチカン公会議が発明した団体性にたよることなく、家庭についてのシノドス(※世界代表司教会議 第14回通常総会「教会と現代世界における家庭の召命と使命」)が編み出した「シノドスの道」によってすすめられる教会の民主化。司祭独身制の例外を設けることによるその弱体化と見せかけの聖務につく女性の登用をとおしておこなわれる聖職司祭制の破壊。分かたれた兄弟たちと直に向き合おうとしたエキュメニズムから、真の唯一の三位の神を偶像崇拝および悪魔的な迷信のレベルに引き下げてしまう汎エキュメズムという形態への静かな移行。宗教相対主義を前提とし、宣教の使命を排除する諸宗教間の対話の受容。ベルゴリオによって彼の教導職のテーマとして推進された、教皇の座の脱神話化。ポリティカル・コレクトネスに裏打ちされた(ジェンダー理論、男色、同性婚、マルサス主義、エコロギー主義、移民主義といった)進歩主義の正当化。もしもこうした逸脱を起こした根本原因が公会議によって定められた諸原則の中に見出されることが分からなければ、その治療法を見出すことは不可能でしょう。もしも診断があらゆる客観的な原因を無視して、目立った症状を取り除くことだけに固執するならば、適切な治療を処方することはできないでしょう。
知的な誠実さをもってこの治療を始めるには、大いなる謙遜が求められます。権威ある立場にありながら、どうやってキリストの群れを見守り保護すればいいのか分かっていない者たちによって、わたしたちはこの数十年のあいだに誤りの中へと導かれてきたことを、良き信仰においてまず第一に認識しなくてはなりません。ある者は静かな暮らしをしたいがために、ある者はしなければならないことが多過ぎるために、ある者は便利さを求めたいために、そしてついに、ある者は悪い信仰あるいは邪な目的に囚われたために。とくに最後の者たちは教会に対する裏切り者として特定されなければなりません。脇に置かれて、心を改めるよう促されなければなりません。そしてもしも悔い改めることがないのなら、聖なる囲いから追放されなければなりません。これが本当の牧者のすべきことで、羊が良好の状態にあることを心に留め、自身のいのちを羊のために捧げるのです。しかし、これまでもいましたが、キリストの敵を満足させることがキリストの教会に忠実であることよりも大事な金の亡者たちが、いまではさらにずっと数を増しているのです。
わたしが60年前、疑問だらけの教令に、それが教会の愛すべき声を代弁するものだと信じて、実直に冷静に従ったように、今日、それと同じ冷静さと実直さをもって、わたしは自分が欺かれてきたことを認めます。今も一貫して誤りのうちに踏みとどまろうとするならば、それは惨めな選択であるばかりか、わたしもペテン師たちの片棒を担ぐことになるでしょう。何が正しくて何が誤りなのか最初から判断し直すべきだというのは誠実ではありません。わたしたちは皆、公会議が大なり小なり革命であったことを知っています。しかし、それが、これほど壊滅的なものであったとは想像することもできなかったのではないでしょうか。革命を阻止すべきだった立場の人たちの働きも壊滅的なものになりました。もしベネディクト16世の時代までは、クーデター(スーネンス枢機卿はそれを「教会の1789年」と呼びました)が緩やかになってきたと想像することがまだ可能であったとしたなら、ここ数年でもっとも独創的な考え方の持ち主でさえ、分裂が起きるのを恐れての沈黙、カトリックの見識において教皇文書の修正を試みその意図的な曖昧さを正そうとする努力、見事に回答されないままでいるフランシスコに宛てたデュビアなどの抗議、そのすべてが、カトリックの位階制の最高位がさらけ出した深刻な背教の状況を示すものであることが、そしてその一方で司教たちからほとんど迷惑者扱いされている信者や聖職者たちが絶望的に打ち捨てられているように感じていることが理解できるようになったのです。
アブダビ宣言は両宗教間の平和と協力というアイデアに関するイデオロギーのマニフェストですが、それが、信仰の光と神の愛の炎を知らない異教の輩からもたらされたものだったのならまだ我慢できる余地もあったかもしれません。しかし、聖なる洗礼のめぐみによって神の子となった恩寵にあずかる者なら誰もが、唯一の真なるキリストの教会に、選ばれた民として約束された嗣業の相続人と、救世主を否定し三位の神という信仰の核心を冒涜であるとみなす人々とを一つに集めながら、冒涜的な現代版バベルの塔を築くことができるというアイデアに戦慄するしかないでしょう。愛の神は手段を選びませんし、妥協をゆるしません。そうでなければ、端的にそれは神の愛ではありませんし、神の愛がなければ神のうちにとどまることはできません。「qui manet in caritate, in Deo manet, et Deus in eo〜愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」(一ヨハネ4:16)
それが口述なのか、教導職の文書なのか、そんなことは重要ではありません。革新者の中の破壊分子たちが、誤りを広めるために、言い逃れの御託を並べながら嘘をつくことをわたしたちはよく知っています。そしてまたわたしたちは、こうしたエキュメニカル、すなわち諸宗教の一致という発想が、一なるキリストの教会から遠く離れている者たちを改宗させるためではなく、3つの偉大なアブラハムの宗教を「ひとつの家」に集める偉大な世界宗教ができることが望ましいと信じ込ませながら、いまだカトリックの信仰にしがみつく者たちを転覆させ堕落させることを目的としているということをよく知っています。ここにおいて、反キリストの王国を準備してきたメーソンの計画が勝利するのです!これを実体化させていく手段は、教理に関する大勅書だったり、宣言だったり、あるいは『La Repubblica』でのスカルファリ(※無神論者のジャーナリスト)とのインタビューだったりするでしょうが、それがどれであろうとたいした問題ではありません。なぜならベルゴリオのサポーターたちは、ただ合図となる彼のひと言を待っているだけだからです。そのひと言があれば、それに応える格好で、彼らがすでに時間をかけて準備し組み立てていた一連の構想を繰り出せばよいのです。そしてもしベルゴリオが、彼が受けた指示に従わないなら、神学者や聖職者たちは一斉に、彼を辞任に追い込むきっかけとして「ひとりぼっちの教皇フランシスコ」と嘆き始めることでしょう(思うに最近のマッシモ・ファッジョーリのエッセイがその好例)。もっとも、彼らの計画どおりに教皇が首尾よくやってくれるうちは教皇を利用し、やってくれなくなったらただちに追い落とすべく教皇を攻撃するというのは、今回が初めてのことでないでしょう。
先週の日曜日、教会は聖三位一体を祝いましたが、その日の聖務日課では、公会議の典礼によって今は廃止され、それ以前にすでに1962年の典礼改革において祈る機会がわずか2回に減らされていたアタナシオス信条を、わたしたちは唱えるのです。消滅させられた信条のはじめのことばたちは、金の文字で記されていました。
「Quicumque vult salvus esse, ante omnia opus est ut teneat Catholicam fidem; quam nisi quisque integram inviolatamque servaverit, absque dubio in aeternum peribit 〜救われることを願うものはみな全てのことに優先してカトリックの信仰を奉ずることが必要である。この信仰を完全に汚すことなく守る者でなければ必ず永遠に滅びる」
+ カルロ・マリオ・ヴィガノ Carlo Maria Viganò
◎翻訳にあたった英文テキストはコチラ
◎イタリア語原文はコチラ
◎文中のリンク、太字強調、及び( )内※付き注釈は訳者による
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