あてどなきCHANGEの終焉
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あてどなきCHANGEの終焉

ikedam

歴史的勝利の立役者

今回のアメリカ大統領選挙戦を序盤から盛り上げたいちばんの功労者はベン・カーソンだ。はやくから共和党の大統領候補として名乗りをあげたカーソン医師は、政治家の経験も支持基盤なく、経済問題も外交政策も素人ながら、「Heal, Inspire, Revive」をスローガンに純朴なメッセージを語り、失いかけたアメリカ人の良心と誇りを取り戻そうと訴えた。驚きの選挙結果が出たいまとなっては、この歴史的勝利を支えた立役者がカーソンだったと言っていいだろう。

カーソン旋風

彼の掲げた政策の柱の一つが、妊娠中絶の廃絶。妊娠中絶を女性の権利と認めた1973年の最高裁判決ロー対ウェイドの「差し戻し」を公約とした。女性と社会には本当の癒しが必要だと穏やかに語りかけるカーソンは、下馬評を覆す大健闘をみせ、たちまち共和党の大統領候補レースの先頭に躍り出るや、一気に後続を大きく引き離す予想外の展開をつくりだした。カーソンは社会現象になった。泡沫候補にすぎなかった一人の黒人医師は時の人となった。「Ben Carson」は最頻出キーワードになった。

もちろん大統領選挙戦がそんな一筋縄で終わるはずはない。カーソン自身、身の程はよくわきまえていただろう。やがて失速をはじめる。彼はラビット(捨て身の逃げ馬)に徹したようだ。基盤のある共和党のオーソドックスな候補者たちはハイペースの大逃げを打つカーソン号にペースをかき乱された。カーソンのおかげで共和党の最終候補者選びは混沌とした。下馬評の高かったポール・ライアンも、テッド・クルーズも、マルコ・ルビオも、結局レースの流れに乗れず勝負所で脚を余して後退していった。この混沌の中から抜け出してきた穴馬がトランプである。カーソンは大統領選挙戦から身を引く決意を表明すると、急転直下、トランプ支持を表明して世の中をあっと言わせる。これはどうも希代の荒馬トランプ号を勝たせるためにカーソンが仕組んだ出来レースのように思えてならない。ライアンやクルーズのような毛並のよい良血馬では相手の女傑に太刀打ちできないと判断し、カーソンはトランプの豪脚に託したのだ。最後の最後のマッチレースで後塵を拝しないために。アメリカをより悪い方向に向かわせないために。

いよいよ大統領選挙戦がトランプと民主党候補ヒラリー・クリントンとの一騎打ちの段階に入って以降、カーソンのメディア露出は再び上昇する。トランプの応援のために奔走するカーソンをカメラが追う。トランプ支持を訴えて弁舌をふるうカーソンが久しぶりにお茶の間を賑わす。

カーソンとは水と油で倫理観のかけらもなさそうにみえたトランプに、カーソンの影響がはっきり見てとれるようになる。突如トランプは、わたしは中絶には反対である、ロー対ウェイド判決を差し戻すべきだとの主張をはじめる。そして、カーソンに勝るとも劣らない原理主義者のマイク・ペンスが副大統領候補に指名される。副大統領候補同士のテレビ討論会において、中絶反対の姿勢を明確に打ち出すことでペンスは優位に立ち、プロライフ(pro-life)を旗印にするトランプ陣営のチームワークを印象づけることに成功する。トランプをキャラ立ちさせたがるメディアの思惑をよそに、実際のところ共和党はチームとしてうまく終盤の選挙戦をたたかった。

「右」と「左」を分かつ「中絶」

近年の大統領選挙はいつもそうだが、今回はとりわけ「中絶(abortion)」が争点になった。普通のアメリカ国民の最大の政治的関心事といってよい。アメリカで「右」と「左」を分ける唯一最大の分水嶺となるのがこのイシューである。いわゆるプロライフ(pro-life)とプロチョイス(pro-choice)の対立であるが、それはそのまま保守と革新の言い換えとなる。

ある州で中絶に規制をかける法案が提出されようものなら猛然と反発する人たちがいる一方、亡くなった胎児のために祈りながら投票に向かう人たちもいる。中絶する権利が民主政治の要であると考える人がいれば、生命の聖域を守るためなら神権政治でかまわないと考える人もいる。リベラルという名のもとに中絶の自由を押し進め、中絶を社会の福利と言い切る民主党と、保守の核心に人間の生命の尊厳を位置づけ、中絶の廃絶を訴える共和党との対立の図式がかつてなく鮮明に打ち出されていたのが今回の選挙キャンペーンだ(自分にとって何の得にもならないことが選挙の最大の争点になるなんて、日本人にはなかなか理解の及ばないところだが)。

今回の選挙で、実際に中絶が最大の争点だったことを裏付ける興味深いデータがある。Googleトレンドによって、「移民」「経済」「人種問題」「銃規制」「テロ対策」などヒラリーとトランプの政策イシューのうちどれに関心が集まっていたか解析した結果、選挙の当日アクセスがいちばん集中したイシューは「中絶」だったことが明らかになっている。しかも「ヒラリー」から「中絶」をサーチした数がもっとも多かった。ヒラリーの中絶政策を確認してから投票に向かった人が多かったという事実。 まさにその人たちこそ、黙ってトランプに投票した「SILENT TRUMP VOTER」だったに違いない。

ヒラリー候補自身が「中絶の自由」の象徴を担う民主党に対し、共和党は破廉恥なトランプに代わってペンスやカーソンがこの分野を担当する。聖職者も顔負けの敬虔なクリスチャンである二人は、もはや政治の次元を超え、神の次元で中絶に立ち向かう姿勢を示す。ペンスは民主党副大統領候補ケインとのテレビ討論会で、中絶を議論の俎上にあげ、同じカトリックでありながら中絶支持のケインに対し、聖人となったマザー・テレサを引き合いに出して応戦する。われわれアメリカ人は神の国の民であると強調するカーソンは、たんなる政治的イシューとしての中絶ではなく、中絶を社会に蔓延させる根源的な力の正体を、ついには大胆にも指摘することになる。…それは「ルシファー」という神を裏切る偽りの光である。

サウル・アリンスキー

7月19日の共和党党大会で、トランプを支えヒラリーをこきおろすために演壇に立ったカーソンのスピーチは全米の度肝を抜いた。珍しく声が裏返るほどの高いテンションでカーソンが試みたスキャンダラスな口撃はしかし、過去の話とはいえ確かな事実にもとづくもので、誹謗でも邪推でもなかった。触れられたくない事実を槍玉にあげられてヒラリー陣営は苦虫を潰す以外なかっただろう。そこでカーソンは、ヒラリーそしてオバマに共通する、彼らの忌まわしきキャリアを糾弾するのである。カーソンの矛先は、オバマとヒラリーの驚くべき興味深い接点を切り結ぶ一人の人物に向けられた。それが、堕天使、サタンの別称、「ルシファー」に特別の敬意を払う怪人サウル・アリンスキーである。

サウル・アリンスキー。日本ではほとんど知られていない名だが、アメリカ現代史の最重要人物の一人である。コミュニティ・オーガナイジング(Community Organizing)の創始者として歴史にその名を刻む。社会学者の肩書きがあるが、アカデミックの領域での評価は無いに等しい。研究者からはアジテーター(扇動家)とみなされている。誰か(=オーガナイザー)が意図をもって新たにコミュニティを創り出していくというような発想は、今では当たり前になっているかもしれないが、少なくともアリンスキー以前にはなかったものだ。今日的な文脈で使われるコミュニティという用語には多かれ少なかれこの人物の息がかかっていると言ってよい。

かつてのコミュニティは、中心に広場がありそこに教会が建つパリッシュ(小教区)のことだった。その後、「コミュニズム」が世界を席巻する時代が到来し、教会とともにある元来のコミュニティは隅に追いやられ、コミュニズムに心酔した人々を新世界建設への野望に駆りたてる。そのひとつの失敗事例がソビエト連邦建国である。アリンスキー自身も極左のコミュニストとして知られる。しかしボルシェビズムのような上からの人工的なコミュニティの構築ではなく、町内レベルから始まる草の根の(その意味では“自然な”)コミュニティの組織化がアリンスキー理論の中心となる。アリンスキーのコミュニティ・オーガナイジングには、ソ連型のコミュニズムのようなあからさまな暴力性はないが、「かつてのコミュニティ」に対して暴力的なスタンスをとることでは一致している。いずれも教会を破壊するのだ。後者が外からの教会破壊であるなら、前者は教会の中からの破壊である。オーガナイズされることで教会は骨抜きになることをアリンスキーは熟知したうえで、司祭や牧師をプロジェクトに巻き込んだ。

アリンスキー自身が自身の理論にもとづくオーガナイザーとして、1930年代から60年代にかけて、いくつもの地域でコミュニティを結束させる成果をあげた実践者である。その死の前年に出版された『Rules for Radicals(ラジカルのルール)』は、アリンスキーの渾身の遺書であり、人々を組織化するための他に例をみないクールでラジカルな教則本である。そのタクティクスは「悪魔的な」までに冷徹であり、その悪魔的なタクティクスに魅了されたのが、オバマであり、ヒラリーである。

ラジカルのルール

カーソンが問題にしたのは、この本の献辞のページにアリンスキーの署名とともにしたためられた以下の一文である。

...the first radical known to man who rebelled against the establishment and did it so effectively that he at least won his own kingdom — Lucifer.

…エスタブリッシュメントに反旗を翻し、効果的にたたかいを挑み、この世の王国を勝ち取った最初のラジカル — それがルシファー。

サタンの中のサタンであるルシファー。その堕天使の闇の王が反抗したエスタブリッシュメントとは、言うまでもなく神であり教会である。たしかにこの献辞は異常である。とても悪い冗談のレベルではない。カーソンはじめ、エスタブリッシュメントの信仰をもつ者たちへの宣戦布告である。しかしアリンスキーのファンたちは、アリンスキーとともにルシファーにも引き寄せられたのだろうか。オバマも?ヒラリーも? ルシファー王国の拡大がコミュニティ・オーガナイジングの究極の目的なのかと疑心暗鬼になる。…いや、本当にそうなのかもしれない。

アリンスキー、オバマ、ヒラリー

コミュニティ・オーガナイジングの手法と哲学を凝縮した至極の伝道の書『ラジカルのルール』が種をまき、70年代から80年代にかけて各地に数多くの様々なオーガナイザーが輩出されていく。いまもアリンスキー・チルドレンは世界に広がっている。

ロースクール時代にアリンスキーの地元だったシカゴで活動をはじめたオバマは、深くアリンスキーに傾倒し、コミュニティ・オーガナイジングを学び、それを実践した一人である(上の写真は当時アリンスキーのスクールで教えていたオーガナイザーのオバマ)。『ラジカルのルール』を出版した翌年の1972年に心臓発作で倒れ62歳で亡くなったアリンスキーと、当時まだ小学生だったオバマには面識はない。だが、『ラジカルのルール』はオバマにとって教典であるし、アリンスキーはオバマの教祖である。ラジカルを展開するキーコンセプトはChangeである。Changeこそが宗教である。オバマが大統領選挙キャンペーンでChangeをスローガンに掲げたのは偶然ではない。それどころかアリンスキーへのオマージュであり、アリンスキー仕込みのChangeがオバマを大統領に押し上げる原動力となった。アリンスキーが提示した「Changeの政策」はそのまま今日につづくオバマ政権の根幹に位置づけられるだろう。

オバマ大統領は『ラジカルのルール』にのっとって全米という巨大コミュニティを組織化するオーガナイザーだったと言っても決して言い過ぎではない。地域コミュニティとアリンスキーの生きた時代にはなかったネットコミュニティを融合させ、表向きは様々な肩書きをもつ優れたオーガナイザーたちの手によって「オバマコミュニティ」という新世界秩序が形成されていったのだ。

ヒラリー・クリントンは、アリンスキーと実際に面識があったことが分かっている。ウィキリークスがヒラリーとアリンスキーがやりとりした1971年当時の手紙の内容を暴いてみせたのだ。ちょうど『ラジカルのルール』が発売になる頃で、大学を卒業する前後の若いヒラリーにとってアリンスキーはアイドル的存在だった。アリンスキーに会いたくて仕方がなかったヒラリーは本人宛にファンレターを何通も書き送っている。一方、アリンスキーにとってヒラリーは、社会変革というラジカルの担い手として特別に目をかけた将来有望な女子大生であった。アリンスキーに熱狂するラジカル女子のヒラリーは、なんとアリンスキーをテーマに卒論を書く。暴き出されたヒラリーとアリンスキーおよびアリンスキーの秘書との手紙によって、二人が落ち合うためのアポが取られたところまでを確認することができる。だが、実際に二人が会ったかどうかは不明だ。落ち合ったにせよ、行き違いだったにせよ、大学を出てキャリアをスタートさせたヒラリーの胸に、アリンスキーの魂が深く刻まれているのは疑いようもない。

「持たざる者」の「共通の敵」

アリンスキーは非暴力を頼みとしながら、コミュニティの結束のためには「共通の敵」が不可欠とする。共通の敵が明確になると、それに反抗するためにコミュニティの成員は一つになる。「共通の敵」に対して自分たちが「持たざる者」であるという自意識をもつ。コミュニティが権力を獲得していくためのラジカルのルール。その鉄則となるルールをアリンスキーはいくつか定めているが、最後のルールはこうだ。

「敵」を特定せよ。金縛りにせよ。名指しせよ。破滅させよ。「敵」の支援ネットワークを切り離し、「敵」を仲間の輪から孤立させよ。組織ではなく人々に期待せよ。人々は組織よりもすみやかに「敵」に傷を負わせる。

もともとシカゴの貧民街で自身の理論の実践に取り組み始めたアリンスキーだが、「持たざる者(Have-nots)」がただ失業者や低所得者を、「共通の敵」を資本家の手先と規定していたわけではない。マルクスの階級闘争とは異なるイデオロギーの闘争を仕掛けることを『ラジカルのルール』は提唱している。オバマ大統領の存在理由はそこにある。

たとえば、同性愛者というコミュニティが効果的にオーガナイジングされていった結果が、オバマが心血を注いだ同性婚の合法化だったと見なすことは十分可能だろう。いまだ同性愛者たちは結婚する権利を「持たざる者」だったのだ。結婚の従来の意味にChangeをもたらし同性婚を推進するラジカルなコミュニティの結束を固めるにあたり、この最後のルールのとおりに、人々は「敵」に向かって行動した。

ひとつの「敵」として特定されたのがインディアナ州の家族経営のピザ販売店だった。田舎町の小さなピザ屋さんに、ゲイのカップルがやってきた。「結婚パーティーにピザの配達お願いね。わたしたち、結婚するの!」

店の主人はこたえた。「悪いが、お断りだ。わたしには信仰がある。ゲイの結婚を認めることはできない。パーティー会場にわたしは行けない」

同性カップルはさぞ驚いた、傷ついた、というリアクションをみせたかもしれないが、店主からそんな答えが返ってくることはもちろん百も承知だっただろう(敵の反応を予知することもラジカルのルールにあるのだ)。覚えてらっしゃいと叫んで泣きながら二人は踵を返したかどうかは知らないが、店主の配達拒否の意思を確認したその瞬間、最後のルールが発動する。具体的な共通の「敵」が決まり、そのターゲットに向かって、地域コミュニティとネットコミュニティが連動した容赦ない猛攻撃が始まる。ピザ屋襲撃の火蓋が切って落とされる。店の窓ガラスは割られ、ネットは大炎上し、一家は日夜脅迫にさらされる。マスコミも、待ってましたとばかりにこの配達拒否を問題視し、ゲイの結婚を認めないピザ屋に差別主義者のレッテルを貼ることで同性婚を支持する世論を煽り立てる。営業どころではない、身の危険に怯えるようになった一家は、店を畳み、町から逃れることを余儀なくされる。Changeを受け入れない「敵」は人々に傷ものにされなくてはならない。

最後のルールがゴールに達し、「コミュニティ」は快哉を叫び結束をあらたにする。血祭りに上げられたピザ屋一家とともに、同性婚合法化というゴールが決まる。…これがコミュニティ・オーガナイジングの成果であるとしたら、そこにアリンスキーが奉ったルシファーの狂気をみてとる人がいても不思議はないだろう。

ラジカルな中絶推進主義者

アリンスキーは「避妊と中絶は個人の権利であると信じる」と言っている。オーガナイザーは個人の信念や価値観をコミュニティに持ち込んではならないという自らが定めた鉄のルールと明らかに矛盾する。アリンスキーが最初にオーガナイザーとして着手したシカゴの裏町は、東欧移民が多く中絶を認めないカトリックの道徳意識が強いコミュニティだったが、しっかり彼らとの関係性を築いておけば、カトリック教会の古くさい石頭はいつまで生き長らえるだろうね、などと言ってやっても平気であると豪語している。どうやら中絶の自由化の推進は、コミュニティ・オーガナイジングの暗黙のうちの究極の目的として、中絶が合法でなかった時代からプログラムされていたようである。

言うまでもなくオバマもヒラリーも、ラジカルな中絶推進主義者(Pro-abortion)だった。いわゆるオバマケアによって、中絶は国費で無料で実施されるものとなり、中絶胎児の手足や臓器を密売していたスキャンダルが発覚しても、オバマは中絶クリニックチェーン最大手のPlanned Parenthoodへの年間600億円の政府助成を断固取り下げようとはしなかった。選挙キャンペーン中、女子高生との討論番組に出演したヒラリーは、お腹の子どもには妊娠9ヶ月のあいだ何の人権もないと10代の女子たちの前で言い放った。

オバマよりさらにラジカルなヒラリーの中絶政策は、リベラルを自認する人たちのあいだで十分支持されていたはずである。ヒラリー陣営もまったくそこを疑うことはなかった。よりラジカルにならなければリベラルはない。アリンスキー仕込みの鉄則である。しかし、あのカーソンの一撃以降、風向きが変わりだす。過去最大の視聴率を記録した最後のテレビ討論で、ヒラリーは「妊娠9ヶ月のあいだいつでも税金で中絶ができる自由」を自信満々に強調した。一方、トランプは妊娠後期の中絶がいかにむごたらしいものであるかを力説した。あのときのスタジオの空気に、ヒラリーに逆風が吹いていることを感じた人は少なくなかっただろう。それまで中絶について考えたこともなかった何となくリベラルだった若者の多くが、ようやく目を覚ますことになったに違いない。

「この女やべえ」と。

あるべき理想の世界へ

Changeの歯車が回りだすと、あとは加速をつけて坂を転がり落ちるのみである。このルールに後戻りはない。ひたすら既存の価値観に挑み続け破壊工作を繰り返す。オバマにもヒラリーにも、あるべき理想の世界は見えていない。あるがままの現実の世界があるだけである。それがアリンスキーのコミュニティ・オーガナイジングである。踏みとどまる理性も、揺るがない真理も、他者を憐れむ愛もない。あるのは、Changeに向かう戦略的なプロセスだけである。カーソンの訴えによって、多くの善意のアメリカ人に気づきが与えられた。この坂を転がりつづけた先には奈落に落ちる以外ないことに気がついた。ルシファーというサタンの待つ奈落に。

トランプが勝ったことが喜ばしいのではない。クリスマスより一足早く、光が闇に勝ったと喜ぶエスタブリッシュメントが、アメリカにはまだ数多くいるということである。われわれはもう一度、あるべき理想の世界に踏み出そうではないか。ついに彼らは、サタンの不毛な野望に不信任を突きつけたのである。

夢も希望もないChangeの時代は終わった。Changeに傷つけられた人々を癒し(Heal)、Changeに疲れた人々を鼓舞し(Inspire)、その両方の人々に、Changeではない、ほんとうの再生(Revive)をもたらすためのたたかいが、これから始まるのだろうか。


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