見出し画像

同性婚を受け入れないものに明日はない? 世界を蝕む「リベラル全体主義」の猛威

同性婚のグローバル化。それはオバマ民主党政権の政策の柱であると言っても過言ではない。事実、ゲイの権利の拡張は、ケリー国務長官も次期民主党大統領候補筆頭のヒラリーも「外交政策の最優先課題」であると公に認めている。各国の国内政策に干渉し同性婚の法制化を推進する。どうやら経済のグローバル化のさらなる強化のためには同性婚のグローバル化が不可欠のようである。

そうしたアメリカの干渉を受けつづけた国のひとつがナイジェリアである。だがナイジェリアは昨年一月、最終的にはアメリカ政府の干渉に屈せず、反対に、同性婚を禁止する法律を成立させた。同性婚は「国民の大半が信じるキリスト教の神学にもナイジェリアの伝統的な道徳観にも合わない」という至極まっとうなナイジェリア政府の判断によって。これにケリーは強く遺憾の意を表明し、同国の「民主化からの後退」を痛烈に非難した。

ちょうど同じ頃、「イスラム国」と緊密な関係にあるナイジェリアの過激派組織ボコ・ハラムが女子校を襲撃し250名あまりの生徒が拉致されるという事件が起きる。ボコ・ハラムの標的は一貫して子どもである。西欧式の教育を受ける子弟に容赦なく銃を突きつける。

ただちに米軍は拉致事件解決に向けボコ・ハラム掃討のための準備を整える。すでに現地で情報機関は活動を展開していたのである。だが、突然、理由は明かされないまま、軍部は作戦停止命令を受ける。米軍士官たちは理解に苦しんだ。なぜアメリカ政府は女子高生たちを見放すのか? 事件の翌月にナイジェリアを訪問した使節団の一人だった共和党の下院議員はこう証言する。

「ナイジェリアの同性婚に対するスタンスの変化が影響したのは間違いない」

拉致された女子高生たちはイスラム教への改宗を強制され各地に花嫁として売られているというが今も大半は消息がつかめていない。何人かは虐殺された状態で発見されているが、すでに全員が殺害されたという説もある。もしナイジェリアがアメリカの言うなりに同性婚を認めていたら、ボコ・ハラム掃討作戦が実行され拉致された女子高生の多くが助けられていたかもしれない。米軍にはそれだけのポテンシャルがあった。

※ソース https://www.lifesitenews.com/news/former-u.s.-congressman-obama-refused-to-help-nigeria-stop-boko-haram-over

もちろんホワイトハウスが拉致事件への関与と同性婚を禁じたナイジェリア政府のスタンスとの関連性を公式に認めることはないだろうが、同性婚の法制化の推進が子どもや一般市民の人命と引き換えにできると考えられるほど重要な外交カードであるのは疑いない。

昨今日本でも話題になっている同性婚。これは個人の権利の問題としてではなく、それを利用しようとする側の周到な政治課題として捉まえる必要がある。

そもそも“結婚”というゴールは、そこまでしてゲイが勝ち取りたかった権利なのか? 90年代の真面目なゲイたちはそんなことは考えもしなかったのではないか。このムーブメントの起こりは21世紀になってからだ。世界のありようを一変させた、あの9.11の2001年に始まる。まずベルギー、オランダが先陣を切り、オバマ政権誕生後、内外で一気に浸透していったこの「Same-Sex Marriage」というゴールの本当の狙いはなにか?

ちなみにベルギー、オランダといえば安楽死をいちはやく法制化した国でもある。避妊薬ピルの普及と妊娠中絶の合法化に関しても“先進国”だった。

「ピル」「中絶」「安楽死」「同性婚」は、同じ政策のライン上にある、切っても切り離せない一筋縄の関係にある。原則的にこのうちの1つに賛成する立場であれば、他の3つにも自動的に同意することになる。これら4つのお題は「個人の生き方」が「他者の生命」に優先するという価値観を共有し、いずれのお題も歓迎すべき「進歩のしるし」であるとしてマスメディアが巧妙に世論形成を企てる。

アメリカではこのところ各州で「中絶」を規制する法案の通過が相次ぎ、つねに「進歩のしるし」を欲しがるオバマ陣営は、メディア戦略の軸を「中絶」から「同性婚」に切り替えた。このタイミングで「宗教の自由法」を成立させたインディアナ州に矛先が向かったのである。同様の宗教の自由をサポートする法律はすでに19の州で成立しており、インディア州は20番目のフォロワーにすぎなかったのに、折悪く恰好の餌食となる。“同性愛者を排除する州”のレッテルが貼られ猛攻撃が開始される。

小さな町のクリスチャン一家が経営するピザ屋は、同性カップルの“結婚”パーティーへのピザの配達を拒否したために閉店に追い込まれた。“差別主義者”の汚名を着せられたピザ屋は死の恐怖に怯えるほどの脅迫に晒されたのだ。

「宗教の自由論争」は同性婚の受容をめぐって先鋭化し過激化する。というより、そのように“設計”されている。キリスト教は基本的に同性婚を認めないが、その立場も尊重するというのが宗教の自由法の骨子である。それが、同性婚は認められないという信仰上の立場は同性愛者に対する差別全般に掏り替えられ、問題のインディアナの州法は不平等を助長する悪法としてやり玉に上げられ、宗教の自由というアメリカ市民本来の権利が大きく揺すぶりをかけられることになる。公の場で「結婚とは一組の男女が家庭を築くもの」とでも言おうものなら差別主義者だ、同性愛者を公開処刑する「イスラム国」と同じ過激思想の持ち主だと叩かれるのが今のアメリカ社会だ。

マスメディアのプロパガンダによって練り上げられるゲイの権利を盾にしたイデオロギーが“自由の国”を覆い尽くす。話は自国内にとどまらず、それを途上国に輸出する。そんなアメリカの暴挙に先進諸国が同調する。さらに国連がお墨付きをつける。グローバリゼーションと言われるものの核心がここにある。

ゲイの権利としての同性婚だけでなく、ピルも中絶も安楽死も「持続可能な開発」の名のもとに奨励される新しいタイプの「全体主義」のアジェンダである。日本では全体主義というと右翼(ネトウヨ)としか結びつかないかもしれないが、世界を蝕み人間の尊厳を根絶やしにするグローバリゼーションの正体は、確実にこの「リベラル全体主義」である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?