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国際色ゆたかなマーチであることの意味

「マーチフォーライフ2018」レポート

5回目を迎えた「日本のマーチフォーライフ」は、過去最高の暑さのもと、過去最高の参加者をあつめ、過去最高に国際色ゆたかな賑やかな行進となった。「産みの日」と称して国民の祝日である「海の日」に、カトリック築地教会を舞台におこなわれるのは、昨年につづき2回目である。

例年なら梅雨があける前の実施となるため雨天が心配になるところ、今年は7月早々から梅雨を吹き飛ばす記録的な猛暑の訪れとなり、雨よりもどこまで暑くなるかが気がかりだった。一週前の週間天気予報によると当日の最高気温は36℃。長年東京暮らしをしていてもほとんど経験したことのない数字である。デモ行進を警護してくれる警視庁からもお年寄りなどはくれぐれも無理して歩かれないようにと念を押されたが、実際に東京地方で36℃を記録したのは前日の日曜日で、当日の7月16日は僅か1℃でも気温は下がり時おり風も吹き抜け、いくらか凌ぎやすいとさえ感じることのできる「産みの日マーチ」となった。またその翌日から記録破りの猛暑がぶり返したことを思えば、むしろこの日だけはお天気にめぐまれたと言ってもよいだろう。

事前に警視庁に届け出たデモ行進参加予想人数は250名。その人数に合わせて動員される警備の警察官の数が決められる。天気との兼ね合いもありデモ行進参加人数の票読みはいつも至難の業だ。お巡りさんたちに申し訳ないと思うほど的外れな予想だったこともある。ところが今回は、ほぼドンピシャリ。その見通しどおりのサイズのデモ行進が実現した。聖堂の階段の上から出発前の群集を見渡しても、百数十名の参加があった昨年から「倍増」していたのは明らかだった。日本のマーチの急成長ぶりは目覚ましい。

参加者は東京近郊だけではなく、はるばる愛知、三重、山梨、長野から駆けつけた。豊橋のブラジル人コミュニティは、貸切バスにおそろいのTシャツを着て乗り合わせた数十名による巡礼ツアーをなしとげた。ひときわ目立つ彼らのグループ以外にも外国の方たちの姿が目につき、一瞬ここは日本なのかと疑うくらい国際色ゆたかな群集に圧倒された。外国人が数では日本人を上回っていただろう。また参加者の属する国と地域は、日本を除いて16を数えた。講演のために来日されていたフィリピンのリガヤ博士が、帰国の日程を延ばしてまでマーチに参加してくださったほか、台湾や香港からわざわざこのマーチに参加するために来日をはたした人たちが15名にのぼった。

March for Lifeは発祥のワシントンD.C.をはじめ、今では世界各地で実施されている。その中で日本のマーチフォーライフは規模ではまだもっとも小さいものかもしれないが、「もっとも暑く、もっともインターナショナルなマーチ」であるのは間違いない。

外国人の参加が多いデモ行進と聞くと、違和感をおぼえる向きもあるだろう。内政干渉の可能性を危惧するからだ。参政権のない外国人が一国の法律闘争に参加することは道義的に問題とみなされるかもしれない。もし外国人が中心になって死刑制度反対を訴えるデモを東京で企画したとしたらそれはたちまち物議をかもすだろう。一般的にデモとは、その国の特定の法制度をめぐって市民が立ち上がるものだ。世界のMarch for Lifeも、オリジナルのワシントンのマーチが堕胎を合憲とした最高裁判決の差し戻しを求めるデモであるように、いずれの国のマーチも堕胎を認める法律の改正を求めるか、あるいは堕胎の導入に向かう法案の阻止を目的におこなわれる。

実は日本のマーチフォーライフも立ち上がり当初は、堕胎に関わる法律の改正を求めるデモにほかならなった。2014年に初めてデモ申請をおこなった警視庁とのやりとりの中で、デモである限り特定の法制度との関わりが必要であるとされ、「母体保護法第14条の見直しを求める」ことを目的として届け出が受理された経緯がある。この国で事実上の堕胎が認められる根拠となるのが優生保護法(現 母体保護法)第14条である。当時は主催者の考えとしても警視庁のこの要請になんら抵抗がなかったどころか、むしろそれが当然のことと思われた。最初の日本のマーチフォーライフを7月13日に実施したのも、優生保護法が成立した1948年7月13日が念頭にあったからである。その後しかし日本における堕胎の問題について知見を重ねるうちに、プロライフ運動を推進するデモ行進が法律を争点にするのはこの国の実情からして非現実的であるという結論に至る。

第二次大戦後の世界でいち早く堕胎を合法化したとされる優生保護法は、1960年代以降に先進諸国に導入されていった、明確に女性に堕胎を認めた法律とは内容を大きく異にするものである。端的に優生保護法第14条とは、女性に堕胎の権利を認めたものではなく、産婦人科医会に所属する医師に人工妊娠中絶手術を施すという利権を与えたものである。堕胎を望む妊娠した女性に対して、その妊娠の継続が「女性の健康を著しく害するおそれがある」という曖昧な基準に照らした医師の判断のもとに中絶手術がおこなわれるにすぎないのである。理屈のうえでは、健康を著しく害するおそれはないと医師が判断すれば、たんに経済的理由から堕胎することはできないのだ。

戦後の焼け野原の時代に優生保護法が成立する前後から「望まない妊娠をした女性は堕胎することができる、あるいは堕胎しなくてはならない」とする強迫観念が産婦人科医会と結託したマスメディアをとおしてこの社会に植え付けられただけで、日本の法体系のどこにも女性が自由に堕胎できる根拠はない。それどころか堕胎を有罪とする「堕胎罪」は今も刑法に存置されたままである。もし母体保護法の条文に文字どおりに従って医師が厳格にして良識的な判断をおこなうならば、むしろ妊娠しているほとんどすべての女性にとって健康を著しく害するおそれをもたらすものは妊娠の継続ではなく中絶であるということになるのではないか。読み方によっては(母体保護法というその名のとおり)、これは無益な堕胎から母体を保護するための法律と捉えることも不可能ではないはずだ。

警視庁に申請するデモ行進として最初は法律を問題として立ち上がった日本のマーチフォーライフだったが、今は違う。昨年から警視庁に届け出るデモの目的が「母体保護法第14条の見直しを求めるため」から「中絶反対を訴えるため」に変わっていることを遅ればせながらマーチ参加者にお伝えしておかなければならない。これは重大な変化である。日本におけるマーチフォーライフというデモ行進の争点は、いわば法律の問題からモラルの問題へと軸を移行したのである。

インターナショナルなマーチに様変わりすることになったのも昨年からであり、もしそれが依然として法律の改正を求める目的のデモとして受理されていたのなら、外国人の参加は内政干渉のそしりを免れなかったかもしれないが、デモの目的が変わったのである。日本のマーチは7月中旬の実施を継続しているが、それももはや優生保護法の成立した7月13日を意識するというよりも、昨年からは「海の日を産みの日に!」という主張に変わっているのである。マーチを実施するその日の意味づけが「中絶法が成立した記念日」から「産まれるいのちの祝祭日」へと変化を遂げているのである。

警視庁の我々の取り組みに対する見方が変わってきた点も大きい。ことあるごとにそう触れ回っているが、もっとも暑く、もっともインターナショナルなマーチであることに加え、これはもっとも日本の警察から愛されるデモである。街宣車も威圧的なシュプレヒコールもなく、平和で、柔和で、協力的で、しかも子ども連れの多いマーチは、たちまち警視庁から一目置かれるところとなった。マーチのテーマそのものへの共感も少なからずある。日本の警察官は心情的にプロライフである。お巡りさんは人の命を助けたい人たちなのである。マーチフォーライフの主旨と性格をよく理解してもらったうえで、昨年、警視庁の担当氏から「これはデモというよりもパレード」であるという見解が示され、デモの目的の変更が認められることになった。

自国の法律を問題とするデモである限りは参政権のない外国人の参加を呼びかけることに慎重にならざるをえなかったかもしれないが、自身の価値観を社会の良心に訴えかけるパレードであるならばインターナショナルであることに何ら問題はない。むしろ国際色ゆたかな表現の中に世界共通の普遍の理念があらわれることに大きな意味がある。 (つづく)


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