【小説】エシカルな私たち ⑥(フェアトレード取材~先輩のツイッター)
多田先輩にどういう顔で会ったらいいのか分からないまま、玲衣とエシ研の活動に向かった。いつもの講義室には、多田さんしかいなかった。
「あ、二人ともお疲れさん。新歓、楽しかったなあ。すぐ帰らなあかんのに、わざわざ来てくれて、ありがとうな」
二人して戸惑っていると、吉澤先輩がやってきた。
「あ、もう皆来てたんだ。おつかれさま。同じゼミの子と偶然会って立ち話してたら、遅くなっちゃった。ごめん、ごめん」
いいタイミングで吉澤先輩がやってきてほっとしたのだろう、玲衣はとても嬉しそうに笑っていた。
それを見た吉澤先輩は、不思議そうな顔をしたが、気にせず話し始めた。
「あ、そうだ。フェアトレードのチョコレートを作って売っている南さんって言う方に、アポを取ろうとしてるんだけど、どうかな?」
「ええ! フェアトレードですか?」
玲衣が興奮したような声を出した。
「なんなん?そのフェアトレードって」
吉澤先輩は、呆れた顔で多田先輩を一目見てから、優しく説明をはじめた。
「発展途上国の労働や生活環境を守るために、適正価格で、公平で、公正な取引をしましょうってことだね。フェアトレード認証を受けてる紅茶とかチョコレート、よく見るでしょ? ぜひ話を聞いてみたいなって」
「私、フェアトレードにずっと興味があったんです。ぜひお話聞きたいです」
玲衣が嬉しそうに言うので、すぐ南さんに連絡をすることに決まった。
翌月の日曜日、南さんが使っているという、商店街にある小さな店舗で話を伺うことになった。
当日待ち合わせ場所は向かうと、そこには、『フェアトレードチョコレートのお店』と書かれた木の看板が置いてあるだけの、こじんまりとした店舗があった。
すでに吉澤先輩と玲衣は到着していて、和やかに話をしていた。
「桃子! 今、吉澤先輩から、どんなフェアトレードの商品を買うのか聞いてたの」
「へえ。先輩は普段から、そういうの気にしてるんですね」
「うん。輸入品を買うときは、チェックするようにしてるの」
「私、嬉しくって! 大学に来るまで、周りにそういう人いなくて。吉澤先輩に出会えて良かった」
「大袈裟だねぇ。玲衣ちゃんが気付いてないだけで、いっぱいいるよ」
二人は嬉しそうに、微笑み合っていた。私は話の輪に入れずに、取って付けたような笑顔を作ることしかできなかった。
三人で談笑していると、店の中からふくよかな中年女性が出てきて、笑顔で声をかけてきた。
「あなたたちがエシ研の学生さんたち?」
茶色いコットンのワンピースを着た彼女が南さんだった。私たちが自己紹介をすると、南さんは優しい声で、店の中に入るように促した。
「狭くてごめんなさいね。ここ、元々は和菓子屋さんの店舗で、その一部を借りてるだけなの」
吉澤先輩が「そんな、全然狭くありません」と焦ったように否定の言葉を並べると、南さんは声を出して笑った。
「いいのよ。気にしないで。あ、ここのテーブル席に座ってね」
テーブル席で待っていると、南さんは紅茶の入ったカップを持ってきた。
紅茶のお礼を伝えていると、約束の時間に少し遅れて多田先輩やってきた。ニヤニヤしながら平謝りする先輩を、吉澤先輩は無言で睨み付けていた。
南さんは怒ることなく、多田先輩を招き入れ、追加で紅茶のカップを持ってきた。
「フェアトレードのこととか、チョコレートを作っている理由なんかを話したらいいのよね?」
吉澤先輩がはいと答えると、南さんは私たちの顔を見渡した後、真面目な表情で話し始めた。
「ガーナのカカオ生産者さんと直接契約をして、私は日本でチョコレートを作って売っています。現地の生産者の多くは、世界の大手企業に、カカオを安く買い叩かれてしまっているのが現状です。そこで私は、適正価格で買って、チョコレートを作って売るようにしています。生産者さんの生活がより良くなること、フェアトレードについての理解が深まることを目指しているんです」
南さんは、説明するのに慣れているのか、淡々と話していた。その説明を聞けば聞くほど、私は虚しくなった。
安く買い叩かれているのは、途上国の、分かりやすく貧しい人たちだけではない。日本にだって、そういう境遇の人はたくさんいるはずだ。日本で小規模の養鶏場を営む人の多くが、安い値段で卵を買い叩かれて、苦しい生活を強いられている。
その事実を思うたび、「目に見えてないだけで、日本にも困っている人が大勢いる。そういう人は助けないのですか?」と目の前の人に尋ねたくなった。
私の葛藤を知ることもなく、玲衣は目を輝かせながら質問をした。
「買い付けも自分で行くんですか?」
「年に数回は。この活動を始める前は、カカオが生産されている、現地に住んでいたの。そこで信頼を得られたから、なんとか活動できたって感じかな。最初は、訳が分からない日本人が来たって言われて、見向きもされなかった。大変だったけど、それ以上に楽しかった。カカオの育て方も知れたし。」
「すごい! すてきです。ネットで商品を拝見しました。パッケージも可愛くて、ネットでは売り切れの商品も多いようですね。チョコレートを作るのも、南さんがなさってるんですか?」
「うん。カカオの調達からチョコレートの製造、パッケージの発注まですべて一人でやってるの。ちょっと忙しすぎるから、作れる量には限りがあるし、ここのお店もよくお休みにしてるんだけど」
南さんの言葉一つ一つに、玲衣は大きく頷いていた。国際支援に携わることを夢見る玲衣にとって、たった一人で活動する南さんは憧れの存在に違いない。
吉澤先輩も玲衣と同様に、熱心に聞き入っていた。
私は小さな葛藤が心の中でくすぶり続けていたせいで、話に集中できなかった。真剣な顔だけは作って、頭の中では、この会話が早く終わってしまえばいいと思っていた。
私たちとは違い、多田先輩だけは意地の悪そうな顔をしていた。
「フェアトレードって言うて高い値段で売ったら、稼げるもんなんですか?」
吉澤先輩が焦った様子で制止しようとしたが、南さんは動じることもなく、笑顔のままだった。
「簡単に稼げるなら、もっとたくさんの人がやってるわよ。やっぱり、消費者の立場からすれば、安い方がいいじゃない。高い物をわざわざ買ってくれる人って、やっぱり少ない。でも、私の活動に共感して何度も買ってくれる人がいるおかげで、なんとかやっていけてるって感じ。活動をはじめて三年くらい経つけど、利益が出るようになったのはここ最近。
それに、出た利益は現地の人に多く配分するようにしてる。私の懐に入るのは、最低限の生活費くらいよ。私、遠い国の過酷な環境で、働かざるを得ない人のためなら何だってやりたいの」
予想していた反応と違ったのか、多田先輩は「はあ」と力なく返事をした。
玲衣と吉澤先輩は、今まで以上に、熱のこもった目で南さんを見つめていた。
帰り際、南さんは四人分のフェアトレードのチョコレートをくれた。
帰る途中、みんなでチョコレートを食べた。
「苦っ! そこらへんのチョコの方が美味いやん!」
多田先輩は大声で言うと、ふざけたように舌を出した。そんな姿を見て、吉澤先輩は目をつり上げて怒った。
「多田くん! 何言ってるの?素朴で美味しい味がするじゃない。ねぇ?」
玲衣はチョコレートを頬張りながら、何度も頷いた。
正直に言うと、私は多田先輩の意見と同じことを思っていた。玲衣の真似をして何度も頷き、無心で食べるしかなかった。
今までもこれからも、私がこのチョコレートを買うことはきっとないだろう。
南さんへの取材から数日後、玲衣と雑談しながらエシ研の活動へ向かうと、男女が激しく言い争う声が聞こえてきた。
何事かと慌てて活動部屋に入ると、多田先輩と吉澤先輩が口論していた。二人はこちらに気付くこともなく、激しく言い争いを続けた。
「わざとやないって、何度も言ってるやん! そんな怒んなや…」
「わざとじゃなくても、こんなことは許せないの!」
二人の剣幕に気圧されてしまったのか、玲衣は立ち尽くしている。そんな玲衣と対照的に、なぜか私は冷静になっていった。恐る恐る、ゆっくりと二人に近づいた。
「あの、すみません。何があったんですか?」
多田先輩は驚いた顔をしてこちらを見たが、吉澤先輩は多田先輩を睨んだままだった。
取り繕ったように薄ら笑いを浮かべ、多田先輩が「別に、何もないよ。気にせんといて」と言うので、吉澤先輩は先程よりも声を荒げた。
「何もないってことはないでしょ!これ、見てよ」
吉澤先輩が、私たちにスマホの画面を見るように促した。そこには、エシ研のツイッターアカウントに、【めんどいからポイ捨てなう】という文章と、車道に空き缶が転がっている写真がアップされていた。
「今朝気付いて、急いで削除したけど、今まで取材した人たちから、何事かって、何件も問い合わせがきてるの…」
「だから…!間違って投稿しただけやって。それに、ゴミを捨てるのに手間かけるなんて、効率悪いやん。ちょっとほかしただけや」
多田先輩は謝罪の言葉を口にするでもなく、薄ら笑いを浮かべて言い訳した。
それを見て、吉澤先輩はますます腹を立て、怒りで肩を震わせ始めた。
「何よ、”効率”って。空き缶だって”資源”になるじゃない。それポイ捨てするなんて許せない。私たち、エシ研として活動してるんだから、なおさらよ! あなた、いつもヘラヘラして、ふざけた態度して。気に食わないのよ。何の志もないくせに、なんでこのサークルに入ったのよ」
普段と違う、吉澤先輩の鋭い言葉に、多田先輩は驚いていた。いつも優しく、抵抗しない人間に、厳しいことを言われて腹が立ったのだろう。多田先輩は、目を吊り上げ、逆上して吐き捨てた。
「エシ研、エシ研、うるさいねん!こんな、しょーもない活動したって、金にもならんし、社会の役に立たんわ。こんなん、自分らがエエことしたって気分に浸りたいだけの、自己満サークルやん!」
多田先輩は大きな音をたてて、部屋を去っていった。吉澤先輩はしゃくり上げて泣き始めた。玲衣も瞳に涙をうっすらと浮かべていた。
こんな状況で、何をするのが正しいか分からなかったが、このままではいけないことだけは分かった。
「…吉澤先輩、問い合わせって、何件くらい来てますか?」
「えっと…十件かな」
「じゃあ、その十件に、謝罪の連絡をしましょう。その後、エシ研のツイッターアカウントに、不適切な投稿をしてしまったことを、謝罪する呟きをしましょう」
吉澤先輩は、少しずつ冷静さを取り戻し、いつもの優しい目に戻った。
「…うん。そうね。じゃあ、手分けして、連絡しよっか」
三人で、ひたすら謝罪の連絡をした。
その日は三回生が引退する日だったが、謝罪の対応をするだけで、活動は終わった。
それから一度だけ、学内で多田先輩を見かけた。エシ研にいた頃の彼とは違い、髪を青く染め、ビジネスマン風のスーツを着こなしていた。噂によると、オンラインサロンを始めたらしい。お金をテーマに、怪しいビジネスや情報商材、国家予算にまつわる話を、饒舌に語っているそうだ。
こちらから声はかけるようなことはしなかったし、先輩は、もう私のことは見えていないようだった。