死ぬこと以外かすり傷/箕輪厚介

何をやりたいか、何をやっているか、明確に答えられる人間であれ

編集者は最強だと感じる3つの理由。1つ目は「才能カクテルが飲み放題」編集者は、一生に一度会えば人生が激変するレベルの変人や天才たちと毎日のように会って、時にぶつかりながら本を作り、戦友のようになる。読者には申し訳ないが、一冊の本を通して一番成長するのは間違いなく編集者だ。読むより作る方が、身体に著者のエッセンスが染み込む。2つ目は「ストーリーを作れる」こと。編集者の仕事を一言でいうと「ストーリーを作る」ということ。今の時代、商品の機能や価格はだいたい似たり寄ったり。これからは、その商品にどんなストーリーを乗っけるかが重要になる。例えば、このジーンズは、どんなデザイナーが、どんな想いを持ってデザインしたのか、そこに込められたメッセージは何か、そういった消費者が心動かされるストーリーを作る事が、編集者の一番得意な事。3つ目は「人の感情に対する嗅覚を磨ける」ということ。世の中の人々が日々、何に涙し、何に悩み、何に歓喜しているのかが、肌感覚で分からなければ、売れる本なんて作れない。マスにヒットするコンテンツというのは、突き詰めると特定の誰か一人に鮮烈に突き刺さるものだ。30代の営業マン向けのビジネス書みたいに、ザックリとした小手先のマーケティングから作った本は売れない。その営業マンは、ランチに何を食べるのか。唐揚げ定食なのか、コンビニ弁当なのか。特定の誰かを自分に憑依させるかのごとく、そこまで徹底的に想像し、その1人の人生が変わるようなものを作る。そういった超個人的に作ったものが、結果的にマスに広がっていく。

編集者の根物は遊びのように仕事を、仕事のように遊びをやるということ。ただ熱狂し、狂う。自分の好きなものに情熱をもってひたすら入れ込む。結局、本をヒットさせるのも、アプリをヒットさせるのも、ラーメン屋で行列を作るのも、派遣型リフレを経営するのも、自分自身の人生を乗っけて熱狂できるかどうかだ。

オンラインサロンで、お金を得るために働いていない。「楽しい」とか「面白い」とかいうやりがいのために動いている。お金や物質を得る事よりも、高次な欲望を満たす為に働いている。がむしゃらに猛烈に夢中になって初めて触れられる世界の真実がある。

失敗やトラブルに前のめりで突っ込みたい。冷や汗と摩擦、恐怖や絶望をエンタメに昇華したい。脳内にアドレナリンが吹き出し、誰かに伝えたくてたまらない。

20時間近くある取材テープを通勤時間など時間あればとにかく聞き込んだ。全ての発言を完璧に記憶して口を開けば見城徹のことばかり、。ライターには気が狂っていると言われ、妻には見城さんと結婚しろと言われ、まだ喋り出したばかりの子どもは強面の男がテレビに出ると「ケンジョーさん」と言うようになった。

いつ刺されるか分からないから危機感が生まれ、どこに宝が埋まっているか分からないから血が騒ぐ。

彼らを見ると、人生とは三歳児のままどこまで走れるのかというレースだと感じる。民衆は正しい情報よりも、楽しい情報を求めている。

私たちを「意識高い系」と揶揄する人がいます。しかし私は「意識くらい高く持て」と言いたい。世の中の最前線で起きている動きに、五感を研ぎ澄ます。意識のアンテナを4本バキバキに立てっぱなしにしているだけで、リスクを未然に回避できる。ピンチをチャンスに変えられる。

実際に手を動かすほうが価値はあるが、これからの世の中がどこに向かうかを知っているということも極めて重要

自分だけがこの苦しみと、苦しさこそが与えてくれる極上の快楽を独占してしまえばいいのだ。誰もいかない未開を行け。

これからは、複数の仕事をこなすことが当たり前になる。しかし「金」という軸だけで考えてしまっては多様で厚みのある経験は積めない。自分が金以外の何を稼ぐかポートフォリオを組んで思考せよ。

これから物を選ぶ基準は「物語」になる。安くて良いものは溢れている。だから、機能としてのTシャツはユニクロで充分だ。あえてTシャツを選び取る理由は、Tシャツのデザイナーの生き方が好きとか、何かメッセージを代弁しているとか、そこに込められた物語の部分、製作者の顔でしかない。

リフレ経営者は黒子であり、JKビジネスはコッソリせなあかん、とは、ほとんどの場合、自分が血を流さないための言い訳でしかないと私は思う。著者は血を流している。裏側の人間が自分という人間を丸出しにしなければ、モノなんて売れない。

教祖になれ。これからのビジネスは、殆どが宗教化していく。信者を集める事ができなくて、モノを売ることなどできない、その背景は、人が孤独になった事と、物質的に満たされた事の2つだ。実現したい世界や価値観を表明し、体現する。多くの批判と世間からの返り血を浴びながら、それでも共感してくれる人を集め、巻き込んでいく。そんな教祖力を持った人がこれからの時代を作っていくものだと思っている。

時間は有限だ。人はすぐ死ぬ。だから「今やれ」。「昨日まで出来なかった事」をやる。その実践を繰り返した先に、プロフェッショナルがあるのだ

ピカソが天才なのは多作だから

ショールーム前田裕二の実像は、芸能人と付き合う華々しいスーパー金持ちではない。彼は会食して三次会まで付き合った後、そこから近場のカフェに移動して朝5時まで仕事をしている。そして翌朝9時には会議に出ている。こんなに自分に負荷をかけてまで、この人は何を成し遂げたいのかと思うほどだ。外動力の本質は、あれこれ手を出すことではない。まず何か1つで突き抜けるという事だ。なにか一つのジャンルで日本のトップになるから、横展開が可能になるのだ。何かのトップだから他のトップから声がかかるのだ。まずは何かに入れ込め。周りが引くくらい没入して、夢中になって、一点突破で突き抜けろ。

見城徹の読書は血の匂いがする。ただ文字を追って読了と悦に入っている輩など、足元にも及ばない。書を貪り食ったものだけが知る恍惚の表情を浮かべている。著者の内臓を喰らい、口から真っ赤な血を滴らせている

なぜ他のリフレ店と違って、JKMAXには熱狂的な信者が生まれるのか。それは桑田自身がJKMAXに熱狂しているからだ。私は私が作ったJKMAXによって、できている。ビジネス書の編集者は著者の話を何時間も聞き、ライターと一緒に原稿を作る。時には編集者が大幅に赤字を入れ、ほぼ書き直すこともある。そうなってくると著者の思考が自分に憑依してくる。口調も似て来るし考え方も似てくる。

多動力とは、あれもこれも手を出す力のように思えるが全く違う。自分にしかできないこと、自分がワクワクする事だけを選び取る力なのだ。僕はホリエモンが動かない時間も彼の分身になって本を書いて彼の考えを世界に伝えている。ホリエモンはホリエモンにしか作れないカルピスの現役のようなものを作って、僕のような分身がその現役を薄めて、世界にばらまいているのだ。だから傍から見れば一人の人間がやっているとは思えない数の仕事をすることができる。つまり多動力の本質とは不動力、。自分にしか出来ない事以外は、周りに振りまくる力のことだ。

なぜシビレエイが相手をしびれさせることができるのか。それはシビレエイ自身がしびれているからだ

周りが引くくらい著者と本に没入する。誰よりも感銘を受け、実行し、自らの本の化身となりながら、その本のメッセージを生き方をもって体現する。言葉の羅列を見せるだけでは人は動かない。僕自身が誰よりも原稿に入れ込んでいるから読者も熱狂してくれる

文章が荒いとか雑だって言う人がいるけど、それってセックス・ピストルズに対してギターが下手だっていうのと一緒。ナンセンス。文章が上手い人はいくらでもいる。でも今ある土台をぶち壊すような新しい手法、壊す手法をやっている。文章が上手いか下手かでなく、熱いかどうか、伝わるかどうか?に命を賭けている

初めてバカラ台に座る井川さんを見た。それはまるで修行僧のようだった。高級ホテルのスイートルームを押さえておきながら、部屋に帰るのはシャワーを浴びる時だけ。スニッカーズ片手に24時間全く寝ずにトランプをめくり続けていた。数千万単位の金を金を得たり失ったりする。想像していたような、ギャンブルに溺れる男の姿ではなかった。素振りを繰り返すイチローのようにストイックに顔色一つ変えず、ただひたすら淡々と出目を記録しトランプをめくっていた。

努力は夢中に勝てない。私はモーレツに働いているように思われる事もあるが、誰かに強制されているわけでは無いし、好きな事を好きな分だけやっているだけだ。大事な打合せがあっても、天気が良くてプールに行きたいと思えばプールに行く。意識的に、自分の心がワクワクするかを行動基準にしている。

一億総老後時代のように、自分が人生をかけるほど好きなものを皆が探すようになる。今まではお金を稼ぐのが上手な人が豊かであったが、これからは夢中になれるものを見つけている人が豊かになる。儲からなくても夢中な何かがある人は幸福で、お金はあっても何をしたらいいか分からない人は苦しくなる

人生はそもそも、自分が夢中になるものを探す旅なのだから、人生を賭けるほど夢中になれるものを見つける事は簡単ではない。大切なのは常識に縛られない事、個体としての欲望を偏愛を開放しろ。ごちゃごちゃいうまえに、とにかく動け。リスクと思っていることは全部、仮想的なものだ。人生など長いドラマであり、ロールプレイングゲームにすぎない。失敗もトラブルも全部、話を面白くするためのイベントだ。



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