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友人が望みを叶える瞬間に立ち会う

先日、友人のお嬢さん(Yちゃん)のピアノの発表会があった。
彼女の演奏と成長を楽しみに、毎年、この時期に足を運んでいる。

このピアノ教室では、子どもたちがそれぞれ自分が好きな曲に取り組んでいて、クラシックからポップス、映画音楽、クリスマスソングなど、ジャンルも様々。
好きな曲を演奏している時の子どもたちは、表情が生き生きとしていて、演奏するエネルギーが躍動している。だから、一人の子が数曲演奏すると、どの曲が一番好きなのかが聴いていてもすぐに分かる。

また、ピアノの発表会と言いつつ、先生の伴奏に乗せてミュージカル曲を歌う子がいたり、お父さんはトロンボーン、子どもたちはピアノで親子共演をしたり、先生たちによる鍵盤ハーモニカ&ピアノの共演があったりと、思い思いに音楽を楽しんでいる感じだ。

数年前に、初めてYちゃんと先生の連弾を聴いた時、二人が音楽を通して心の対話をしているようで、美しい二人の世界がそこにあった。
Yちゃんが、難しい曲に挑戦して、半年間コツコツ練習を重ねてきて、その全てを出そうとしているのを感じたし、彼女に寄り添うような先生の温かい伴奏に涙腺が緩んだ。
自分がやっている小学校の支援員の活動と重なった。

今年の発表会は、なんと友人がお嬢さんとの連弾に初チャレンジ。
実は、3年前からやりたいと思っていたのだという。友人が、自分の望みを叶える瞬間を見届けたいと思い、おめでとうの花束を持って会場に向かった。

曲は、Yちゃんが大好きないきものがかりの「ありがとう」。
曲の最初の方で、二人の演奏がずれてしまい、演奏が止まるハプニングが発生。
「もう一回最初から弾きます!」
と言う友人の声に、それを見守る先生と会場の皆さんからは温かな拍手が送られた。
演奏を聴きながら、ふいに涙がポロポロあふれ出た。ミスタッチも、弾き直しも、全く気にならなかった。むしろ、弾き直しも含めて演奏の全てがマル、完璧だと感じた。
二人が連弾をしたあの美しい光景とキラキラとした弾むような音色を私は忘れないだろう。

なぜ涙があふれたのか。この感動は何だろうと思っていたが、翌朝、これがソース(source)の視点だと気付いた。ソースは、源、宇宙エネルギー、大いなる全て、神など、様々な呼び方をされる。

私が何をしようが、何ができなかろうが、ソースは高い評価しかしない。そして、ソースは絶え間なく、無条件の愛を私に注いでくれている。

それまでも何となく分かっていたつもりだったが、体感と共に自分の中にストンと入った。
私はきっと二人のことをこのソースの視点から見ていたのだ。
そして、私のことも、ソースは常にこの視点で見てくれている。そう思ったら、至福感と安心感に包まれた。
この感覚を味わうことができてよかった。

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