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山形の旅 ~古きよきものと新しいものとの融合が、新たな魅力を生み出す~②

この文章は山形の旅行記のつづきです。
前回の記事はこちら。

旅の一番の目的である”木のあかり”を買うというミッションを無事にクリアした私たち夫婦は、日が傾き始めると、東北の寒さが一層身に染みて、そろそろ熱い温泉に浸かりたいと今宵の宿「山形座 瀧波」に向かった。

古きよきものと新しいものとの融合が、新たな魅力を生み出す

到着すると、歴史を感じさせる茅ぶき屋根の木の門が私たちを出迎えてくれた。400年の歴史を持つ薬医門で、大きな門扉はケヤキの一枚板。

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(写真は宿の公式サイトより借用)

重厚な門をくぐると、江戸時代にタイムスリップしたかのような建物が現れた。今から350年前に上杉藩の山守を務めた大庄屋の曲がり屋を移築したものだという。

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(写真は宿の公式サイトより借用)

「ホテル瀧波」の大きな看板のある玄関を入ると、釘を一本も使わずに太い梁と柱を組み合わせた日本の伝統的な家屋の中に北欧のモダンな家具が配置されていて、外観と中のギャップに心を奪われた。
その意外性が、これから体験する瀧波ワールドへのワクワク感をいざなう。

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(写真は宿の公式サイトより借用)

しかも、なんと私が大好きな暖炉を発見!

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テンションが一気に上がる。
いつか暖炉のある家に住むのが私の夢。滞在中に心置きなく暖炉を味わえるなんて最高すぎる。寒い季節でよかったとさえ思えてくる。

そして、ウェルカムドリンクのずんだシェイク、それに添えられたラ・フランスのコンポートと大根のお漬物の美味しいこと。夕食への期待感も高まる。

部屋に案内される途中のインテリアも洗練されていて、立ち止まって眺めていたくなった。

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部屋に一歩足を踏み入れると、開放感のある高い天井が心地よく、黒光りした太い梁が白い壁に映えて美しかった。

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瞑想ルームの間接照明とロッキングチェアがいい感じで、夜の瞑想が楽しみになる。

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すべてにこだわった夢の旅館

16時半からは、オープンキッチンのカウンターが印象的なダイニング「1/365」にて社長の南浩史さんの蕎麦打ちを見学した。

ダイニングの名前も粋だ。
厳選された山形の食材を使った料理が振る舞われるこのダイニングでは、メニューは季節ごとに変わるのではなく、毎日変わるという。今この瞬間の旬の味を提供するから365日の中の1日という意味で「1/365」。

社長自ら宿泊客をおもてなししたいと始めた蕎麦打ちは、リニューアルオープンした3年前から毎日行なっていて、夕食時に出されている。

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実は、蕎麦打ちの見学にはお楽しみがあり、本日の夕食のお供にピッタリな日本酒6種をあらかじめ試飲できる。試飲しながら、社長が語る山形の食材や宿のこだわりポイントに耳を傾ける。

例えば、温泉。
客室の露天風呂は源泉掛け流し。
配湯回路を見直し、一度も空気に触れることはなく赤湯温泉の源泉が各部屋に供給できるように整えた。お湯の温度は、3人の湯守が気温を考慮しながら毎日管理をしている。
生まれたての新鮮なお湯は、ほのかに硫黄の香りがして、朝になると湯の花が確認できるという。

社長の熱いプレゼンを聞いて、夫が「ここの社長さん、山形という土地とこの旅館のことがすごく好きなんだなって思った」と言った。

夕食と朝食時には社長自ら宿泊客に飲み物をサーブしながら、積極的に交流を図っていた。それこそ、宿泊客の迎えの運転やベッドメイキングなども率先して行なうという。「ここの社長は誰?」という宿が多い中で、社長の顔が見える宿は魅力的だと思った。
また、食事の中で、宿泊客が料理の最後の仕上げに参加する機会を用意していた。
お客様を大切にする、また楽しませようとするその姿勢に好感を持った。
部屋数を減らし宿泊客を絞ったことで、一人ひとりに丁寧なおもてなしができているのを感じた。

「瀧波」のドラマチックな復活劇

私が直感で選んだこの「瀧波」は、実はドラマチックな復活劇を遂げた老舗旅館だった。
帰宅してネット検索すると、インタビュー記事が出てきた。

東日本大震災の影響もあり、「瀧波」は2014年に経営破綻した。実家の旅館を再建するために、社長をしていた造船会社を後にし、山形に戻った「瀧波」の現社長の南さんは、前社長の弟にあたる人だ。
南さんは、宿としての在り方を一から見直し、前社長の次男である須藤宏介さんと一緒に旅館再生に取り組んだ。インタビュー記事の中でこう語っている。

サービス、料理、インテリアなど、宿のコンセプトを一から見直した。特に、源泉をいかに新鮮なまま楽しんでもらうかというところに、深いこだわりを持っている。
「すべてにこだわった夢の旅館をつくろう、と考えました。」

夢の旅館!
まさにウォルト・ディズニーの世界。旅館に一歩足を踏み入れたときの感覚がディズニーリゾートのそれと似ていたのはそういうことだったのかと納得した。

新潟県の「里山十帖」を手がけた岩佐十良(いわさ・とおる)さんをクリエイティブディレクターに迎え、古民家や蔵の良さを残しつつ、客室数は半分にして客単価を2倍以上に引き上げた。山形らしさ、瀧波らしさを追求した洗練された心地よい空間づくりが徹底して行なわれた。

クリエイティブディレクターの岩佐さんが「東北一と言っても過言でない」と絶賛していた料理長の大前さんの料理は、どれも素材の味を生かして丁寧に作られていて、とても美味しかった。

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(写真は朝食の品々)

「瀧波」を一言で表すと、惜しい、残念だと思うことが一つもない宿。これは正直すごいと思った。

リニューアルに際して、家具や備品のセレクトとデザインを担当した前社長の三男である須藤修さんは、そのことをインタビューの中で語っている。

「瀧波の理想は『抜け』がゼロであること。たとえば料理が素晴らしくて、お皿もテーブルも良かったとします。でも、レストランに入った時の内装や接客がその世界観から外れたものだと一瞬で冷めてしまう。僕らはそれを『抜け』と呼んでいます」

2017年に5億円規模の工事を行ない、全館リノベーションを果たし、そこからわずか2年で黒字転換し、ボーナス支給できるまでになった。

オンリーワンの存在にはファンが付く

以前、埼玉の日本料理店「みや」のオーナーシェフである宮本さんにインタビューしたときのことを思い出した。

「みや」も東日本大震災で大打撃を受け、経営危機を経験していた。
その際、「瀧波」と同じように、徹底的にこだわったおまかせメニューに切り替え、客単価を上げた。おまかせコースにすることで食材ロスを減らし、客単価を上げることでサービスの質の向上を目指した。

エッジを効かせてその店らしさを追求すると、オンリーワンの存在になり、ファンが付く。ファンが付けばリピーターになるだけでなく、震災やコロナのようなピンチが訪れたときでも、ファンである顧客たちがきっと応援し、助けてくれるだろう。

私たち夫婦も、ファンの一人として、これからも「瀧波」を訪れることで応援していきたいと思った。

過去に、最長で12連泊したリピーター客がいると聞き、旅館に長期宿泊するという発想がなかった私は、自分の枠が外れた。
年末年始の13日間を「瀧波」で過ごしたその高齢女性は、「こたつを入れてほしい」とリクエストし、より快適に過ごすために客室を自分仕様に変更。孫などの親戚が泊まりに来たり、カウンターキッチンで隣に座った方たちとの一期一会の交流を楽しんだりしていたという。
私もお気に入りの宿でそんな風に過ごしてみたいと思った。

共に働くスタッフを大切にする

顧客を大切にする以上に、まずは共に働くスタッフを大切にする姿勢も似ていると思った。
宮本さんはインタビューの中で経営者として大切にしていることをこう語った。

「やっぱり社員が幸せになることかな。売り上げが上がるから社員が幸せというのもすごく分かりますが、逆に、社員が幸せだったら売り上げは勝手に上がっていくのではないかという逆説的なことも考えています」

「みや」には、他にはない社員向けのサービスがある。一番上のコース料理を社員全員が月に一回試食することができる。宮本さんが目の前で作って、カウンターでもてなしている。

南さんも以下のように語っている。

無駄なことはやめて、密に能率よく、質のよい仕事をしていただいて、地元で断トツの給与をお支払いしたい。そうすることで、『山形県人による、山形のための、山形のショールームになりたい』ということに本気で取り組んでもらえます。

地元で断トツの給与を払いたいという社長の考えに「いいね!」と深く共感した。

実際に「瀧波」で過ごしてみて、スタッフの質の高さを感じた。

チェックアウト後に、前社長の須藤清市さんのご厚意で、3タイプの客室を案内していただいた。
実は前社長は、旅館の”早朝の雲海ツアー”の案内役を務めていて、その流れでツアー終了後にも「瀧波」について話を伺った。私があまりに興味津々だったからか、館内を案内してくれたのだ。
ちょうどベッドメイキングの時間帯で、スタッフの方々が部屋の清掃をしていた。「掃除中に申し訳ない」と声をかけた前社長に快く応じ、「お仕事中にすみません」と詫びる私たちにも「ありがとうございます」と気持ちのよい挨拶があった。

夫は、
「宿泊客に『おはようございます』と挨拶をする従業員はよくいるけれど、『ありがとうございます』という挨拶は初めてかも。それって、自分たちも一緒に旅館をつくっているという意識でいるからじゃないかな」
と言った。
たしかに、どのスタッフも温かくて丁寧な対応だった。瀧波の一員としての誇りを持っているような感じがした。

それもそのはず、宿のスタッフはリニューアル前とほぼ一緒だという。
この大ピンチを共に乗り越えて、「山形座 瀧波」をつくり上げてきたという自負がにじみ出ているのだろう。
また、リニューアル工事期間中、多くの従業員はクリエイティブディレクターの岩佐さんが経営する新潟県の「里山十帖」で長期間にわたる研修を受けている。その研修での学びも大きいのかもしれない。

山形県人による、山形のための、山形のショールーム

「将来的には、山形県人による、山形のための、山形のショールームのような存在になりたい」という社長の想いからは、一人勝ちではなく、みんな(山形県全体)で勝ちに行くという気持ちが感じられた。

私が「木のあかりを購入するために米沢に来たんです」と社長の南さんに伝えると、「木のあかりを旅館に置いてなくてすみません」とおっしゃった。
その一言を聞いて、「そうだ、木のあかりをYAMAGATAの客室に置いてもらえば、そのあかりを気にったお客さんが帰りがけに米沢で購入できる」と思いつき、「ぜひ木のあかりを置いてください」とお願いした。

奇しくも、素晴らしいドラマのある宿に泊まったわけだけれども、そのことを知らずに体験できてよかった。
何の先入観もない、まっさらな状態で「瀧波」を体験して、その素晴らしさに素直に感動しつつ、そこに至るまでのストーリーを後から知ることで、より深く「瀧波」を理解することできた。

最後に、米沢での滞在を通して新たに生まれた私の望みを書いて終わりにしたいと思う。

・林木工芸の「富士」という絵がほしい
・やっぱり暖炉のある家に住みたい
・米沢の木のあかりを「瀧波」に置いてほしい
・お酒好きの娘と建築やデザインに興味がある息子と一緒に、「瀧波」でのんびりいい時間を過ごしたい
・「瀧波」のようなお気に入りの宿を全国に見つけて、ファンとしてリピートしたい
・お気に入りの宿に長期滞在したい
・木のあかりや「瀧波」のように、とことんこだわった、エッジを効かせたサービスを私も提供していきたい

書き出してみると、意外とある。
新しい体験は新たな望みを生み出す。
これからも、ふとした直感に従って、色々な体験をしていきたい。

人の「好き」のエネルギーは伝染する。
いつの間にか私も山形が好きになっていた。

山形ばんざい!





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