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不運に嘆くな

宗教の話をします。

想像してみてください。
本気で取り組み挑んだカードゲームの大会。その重要な一戦。
プレイングも構築もしっかりと仕上げたきた自負があなたにはあります。

そんな状態で引いた初手。あまりに弱く即マリガン。
そしてマリガン後の手札を開くと…

どうじでだよォーーーッ!

『ちゃんとシャッフルしたのに…』
『なんで今日に限って…』
『自分はどうしてこう運がないんだ…

色々と嘆きたくなると思います。
気持ちはわかりますが、そんな「当たり前」のことに意識を取られてしまうこと自体が勿体ない。
カードゲームの「当たり前」を、本当の意味で「当たり前」とし正しく理解できていないか、もしくはメンタルの弱さでしかありません。

さっさと、2秒で、その手札でいかにして勝つかに思考を切り替えるべきです。
今回は「不運に嘆く自分におさらばしよう」というテーマです。

①デッキは偏る

『ちゃんとシャッフルしたのに…』

1つ目に倒す嘆きは「シャッフルしたんだから偏らないはず」論。
嘆きの倒し方は簡単。正論でブッ飛ばす。

いや、デッキは偏るだろ。
試しに入念にシャッフルしたデッキを表向きにしてみてください。
何かしらのカードは偏ってるはずです。

完全にバランスよくなってたら奇跡かイカサマです。

実例を出します。TCGの始祖「マジック:ザ・ギャザリング」には、カードをプレイするためのコストを生み出すための土地カード(ワンピースカードゲームでいうドン!!カード)があり、土地も含めてデッキをつくるルールです。

当然、土地が引けないと何もできない。土地ばかり引いても何もできない。どのTCGよりも事故にシビアな世界です。
この土地を先に1枚ずつ置いて、その上に土地以外のカードを配るディールシャッフルをしようものならですよ、どう譲歩してもイカサマなんです。
口酸っぱく言いますが、完全にバランスが良いデッキなど、積み込みと変わりません。

「シャッフルしたんだから偏らないはず」論の根源は『1バトル単位で分散が収束する』という無自覚な期待から来ています。
下図を見れば一目瞭然。

嘆く人は上の例を期待しているはず。しかし、現実は上も下もランダムに発生します。それでも全体でのバランスは取れています。

シャッフルは「お互い同じ条件の下で戦いますよ」という公正さの担保でしかない。バランスよくデッキが混ざることの担保にはならない。
デッキは偏る。それだけの「当たり前」です。

②引きの良い日は選べない

『なんで今日に限って…』

2つ目に倒す嘆きは「なんで今」論。
神様がいるとすれば『いや、知らねぇよ』だと思います。

フリープレイでどのくらいブン回って、どのくらい事故ったか。
一人回しでどんな引きをしたか。
あなたは逐一覚えていますか?
私は今まで食ったパンの枚数を覚えていません。

大会の日とそれ以外の日は何も変わりません。
引きが強くても普通だし、事故るのも普通。
特定のバトルに重みづけをするのは人間の勝手です。

このバイアスに自分で納得するための具体的な方法があって、大会とか関係なくすべてのバトルをメモすることです。

■先 〇 エース vs 白ひげ 
・自分のプレイ 75
・自分の運 90
・相手の運 70

例えばこんな感じ。先後と対面と勝敗だけメモる人も多いですが、折角やるならプレイと運は点数つけておいたほうがより役立ちます。
判断は正確じゃなく主観で全然OK。だって毎回自分でつけるんだから。
自分のものさしで毎回点数をつければ、相対的に他のバトルよりプレイが冴えてたか、運が良かったかは自分で納得できます。

このnote書きながら昔の自分のメモみたんですけど、第1弾環境のフリープレイでありえんブン回りであーる。さんをボコした先攻の赤ルフィvs 後攻の緑キッドとか出てきました。
【Luck 120】【Skill 80】って書いてた。プレイは普通だけど運で勝った自覚が当時の私にはあったようです。謙虚ですねぇ。
これ書いておかないと『昔あーる。さんをボコして勝ったんだぜ!』という気持ちよさしか残りません。プレイ完璧じゃなかったくせにね。反省材料にも見返した時の参考データにもならない。
まぁそれでもいいけど。今思い出して気持ちよくなってるし。7ベックマン⇒9シャンクス最強!気持ちいい~~

メモ見返してみると大会で爆速0-2した日もあれば、フリープレイで1日通して6-0の日もありますね。引きの良い日は選べません。

どうしても納得できないならあとは神頼みしかないですね。

でも神様は多分、ワンピースカードのルールを知りません。
仮に神様を信じ頼むなら『今日一日の間だけでいいんです…!絵柄が同じ札は3枚以上、手札に引かないようにお願いします。あとそれから、手番が先に進むほど札の左上の数字が大きいものを多めに引かせてください…!』くらいかみ砕かないと伝わらなそう。

③人間は観たいものしか観てない

『自分はどうしてこう運がないんだ…

最後にブッ飛ばすのはこれ「不運アピ」。
やだなー、自分の運を正確に把握している人間なんてこの世にいませんってば。
だって人間は自分が観測したもののうち、意識したものしかカウントしてないもの。

例えば大会の場。コイントスで先後を決めるとしましょう。
あなたは3連続で表に賭け、3回とも裏で3連敗中です。
そうするとどうですか、次は流石に表でしょう。
裏が4連続で出るのは1/16、僅か6.25%、つまり93.75%で表だ!と。

そう思った人は要注意。何も「流石に」ってないです。
3連続でコインが裏になった後のコイントスで、コインの表が出る確率は1/2で50%。変わりません。

納得しないかもしれないので実例です。

私は出勤前に自販機で缶コーヒーを買い一服するのが日課なのですが、この前130円の缶コーヒーを200円で買ったら10円玉が7枚で返ってきやがりました。まずチャリンチャリンの音が長くて、目視より先に事態を察するのがイラっとポイント高い。朝から人を萎えさせることランキング堂々2位。クソわよ。次からは絶対Suicaで買うからな。
1位は「玄関出たらめっちゃ雨降ってる」です。

で、この当時、大型大会の引きをちょっと引き摺ってた私はふと気になりました。
『この7枚の裏表…今までみたことなかったな』…と。
確認しながらお釣りを取り出すと、表2枚で裏5枚でした。

てことはですよ、今日誰かにコイントスで勝負を挑むときには表って言ったほうが確率的に勝てそうじゃないですか!?
だって自販機のお釣りの10円玉が……って何も関係ない!!

そう、関係ないんです。前後の事象に連続性を持たせているのは人間の勝手です。そもそもこれまでだって、お釣りの10円玉を観たことくらいあるはずなのに、誰だってそれは勘定に入れません。

話を戻しますが、カードゲームの大会も同じです。
人間生きているだけで色んな確率事象に触れてきているはずなのに、自分が観測した範囲でしか語りません。それだけなら可愛いもので、観ているはずなのに観てないフリして、自分が観たい範囲にだけ絞って幸運だの不運だの判断するわけです。へっ、ちゃんちゃらおかしいぜ!

そもそも自分の人生の観測範囲で確率が収束するという考え自体が私は傲慢だと思っています。あり得ないくらい幸運なAさん1人と、あり得ないくらい不幸なBさんが1人世界に居ればバランスは保たれてますし。
なので私は、滅茶苦茶に自分の引きが強くても相手に申し訳ないとか一切思いません。逆に相手の引きが滅茶苦茶強くても文句はいっさ…文句は…な、一切ないですし!


以上、宗教の話でした。

それでもね、どうしても嘆きたいときはね、酒ですよ。
酒飲んでパーッと騒いで、溜まったもん吐き出して、ふて寝しましょう。

それではまた。

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