たばこについて思うこと6(路上にて)

20年くらい前に書き留めていたものです。誤解のないように。

交差点で信号待ちをしていると、辺り一面に煙草の吸殻が散らばっているのを目にする。喫煙者のモラルはどうしたものだろう。煙草の吸殻を路上に捨てるのは当たり前、新しい煙草を開封したときに出るパラフィンの切れ端や、煙草が無くなった空き箱を平然と路上に捨てていく。自分の家ではどのように処しているのだろう。そういう輩に限って、自宅でゴミが散らかっているのを嫌ったり、家族にはうるさかったりするものである。一概には決めつけられないが、喫煙者のモラル、もっと言えば、公共性は甚だ欠如していると言わざるを得ない。特に、煙草のゴミは免罪符のような風潮があり、適切な規制や監督が必要であろう。
路上では、また、歩行喫煙が横行している。私は、煙草の煙が我慢ならないので、前を歩く輩が煙草を喫っていると、回避するために苦労するのである。一つは、急ぎ足で喫煙者を追い越していくこと、一つは、ゆっくりと歩き、煙草の煙が少しでも収まるのを待つことである。追い越すにしても、それまでは、煙草の煙に晒されるわけだし、ゆっくり歩いても多少は緩和されるものの、煙草の臭いが消えるわけではない、また、そんなにゆっくり歩けるものでもないので、どうしたって、煙草から自分を守りきることはできないのである。
少し前になるが、地下鉄日比谷線上野駅から、国鉄上野駅に向かう地下通路で、すれ違った喫煙者の手にしていた煙草が、私の手の甲に触れたことがある。瞬間のことだったので、殆ど暑さを感じなかったが、後から見ると、その箇所はうっすらと赤くなっていた。これが、小さな子供の顔や目にでも当たったら大変なことになる。危険極まりない行為であり、絶対に取り締まってほしいものである。

<後日>
交差点で煙草の吸殻が落ちているのを目にすることは余りなくなってきた。昨今、地方自治体の条例でも、歩行喫煙を禁止するようになってきており、東京都内では、特に、早い段階から施行され、効果が表れている。然し、残念ながら、現在通勤している、JR潮見駅周辺では、月に数度ではあるが、相変わらず歩行喫煙をしている輩を見かける。ある程度定着してきているこの時点で、コストをかける必要性はないのかもしれないが、十分な取り締まりが為されていないので、皆無にはならないのであろう。個人的には、資格や権限を与えていただけるならば、民間取締官として、徹底的に取り締まりたい位である。
歩行喫煙が、目に見えて少なくなってきた一方で、特に自家用車や商業車の運転中の喫煙はそんなに減っていないのではと思わされる。地域の清掃活動などで、道路上や車専用の交差点を掃除することがあるが、まんべんなく吸殻が散らばっている。特に、交差点では、吹き溜まりのように様々な種類の煙草のフィルタが落ちている。個人の運転する車の中まで規制することは、なかなか難しいのだろう。煙草に火をつけるときなど、瞬間かもしれないが、前方から目を外したり、ハンドル操作が疎かになったりし、事故の原因になりかねないとは思うものの、そこは、運転者の責任の範疇と考えざるを得ないのだろう。
車での喫煙も、窓を閉めて喫い、車中の灰皿に吸殻を捨てるのであれば、他人がどうこういうこともないとは思うが、窓を開けて、時には腕を社外に出して喫っている輩が殆どである。車で後ろを走っていると、当然のことながら、煙が襲い掛かってくるのである。折角、窓を開け爽やかな風を受け気持ちよく走っているところに煙草の臭いがすると興醒めである。本意ではないが、窓を閉めて走ることになってしまうのである。そういった輩が、煙草の吸殻を社外に平気で捨てていくのだろう。穿った見方かもしれないが、先に書いた、路上の清掃の際にペットボトルやお菓子の袋もあちこちに散乱していたり、家庭のごみと思われるスーパーの買い物袋に入ったゴミなども捨てられているのを目にするにつけ、こいつらが捨てていくに違いないと思うのである。

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