2024/5/22(再投稿)


書きたいことも書けることもやまほどあるが、書く前に脳内で構築が完了した内容についてはもう自分のなかで半分は書く意義が喪失しているので、書けることは結局あまり書く気にならない。
昨日今日は大野左紀子のこの特集を初回から10回くらいまで読んだりしていた。

(※ここに当該記事のURLを貼っていたのですが、リンク先が18禁サイトだったらしく規約に引っ掛かったので、不掲載とします。記事内容自体は非常に面白く、別になんの問題もないと思うんですが、読みたい人は「WEB SNIPER 大野左紀子 絵を描く人々」とでも検索すればでてくると思います。)

絵のことはよくわからないが、それゆえに知らないことが多くて面白い。特に6回と10回が良かった。

第6回では、三次元を二次元にすることの困難が語られるなかで、人間が空間あるいは「奥行き」を世界に見いだすことができるのは、それを脳が経験的に知っているからだ、というような話になっていく。この前は人間がTwitterの外部器官化しているのではないかみたいな話を書いたが、一方で人間の認知はかならずなんらかの「型」をもってして世界と対峙しており、そうでない認知というのは存在し得ないのではないかとも思う。空間でさえそうであるし、たとえば言語に世界を分節する側面があるのはよく言われることである。そのような認知の型がもし存在しなければ、おそらくわたしたちは世界の複雑さという混沌のなかに突き落とされてしまう。ここでわたしは「時間」という認知の型について、考えてみたい気分になったが、それはまた今度ゆっくり考えようと思う。



いままですべてのことを断ってきた反省から、すべての話を受ける方向でここ数ヵ月動いていたら、いつのまにか大変な忙しさのただなかに溺れつつあり、時間が足りてない。
以下、書きたいけど書かないこと。
・『鑑賞のファシリテーション』読んでる途中。勉強会に間に合わせたい。
・横山未来子論を考えたりしている。
・文フリ行った。人が多くて疲れた。入場千円。

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