『安倍晋三 回顧録』を読む。#3 回顧録全体から受ける人物の印象
回顧録全体から受ける人物の印象
安倍はどのような人物だったのか?
インタビュー全体から受ける印象として、3点指摘したい。
①なるべくしてなった政治家
安倍は、政治家になるべくしてなった、という印象である。
祖父に岸信介、父に安倍晋太郎、親類に佐藤榮作。
政治家一族に育つ。
回顧録でしばしば言及されるのは、麻生太郎との相性の良さである。
政治の世界というものが〝実在〟する。
その世界の住人と、それ以外と。
区別があるのは当然でしょう? と言わんばかりなのである。
国葬儀で菅義偉が弔辞を読んだ。
その中で、安倍が岡義武著『山県有朋』を読んでいたエピソードが披露された。
地元が山口県ということもあるだろうか。
私には、安倍は、明治・大正の「元老」のようなつもりで政治にのぞんでいたのではないかと思える。
回顧録の随所に、そうした意識がにじみ出ているように感じる。
②「勝てば官軍」的意識
山県の時代と異なるのは、現在では衆院選が実質的な総理大臣選びの場になっている点だ。
その選挙なるものに対して、安倍は「勝てば官軍」的な意識が強いように感じる。
選挙を重視しはするが、それを「政治に民意を反映させる場」だとはまったく捉えていなかったのではないか。
山県が、
「維新を成功させたのだから実権を握って当然でしょう?」
と考えたとすれば、安倍は、
「選挙に勝ったのだから権力を行使して当然でしょう?」
といかにも言いそうなのだ。
2018年、森友学園国有地売却問題で財務省が決裁文書の改ざんを認めた。
「官邸一強の弊害」などと指摘されたが、それに関してこう答えている。
選挙で勝利することを最重視していた。
2017年9月に衆議院を解散した。
自称「国難突破解散」である。
解散を決断した最大の理由は何だったのか?
解散は「政治力回復のため」だった。
また公明党との連立の意義について、こう答えている。
選挙に勝つために、統一教会にも「平身低頭」してしまったのだろうか。
③あっけらかん
インタビュー全体に言えることだが、かなり微妙なことを言っているようで、実にあっけらかんとしている。
これを言ったら国民を軽視していると受け取られるかもしれない、と疑う感性がそもそも欠落しているのかもしれない。
よく言えば率直。
悪く言えば、国民の方を向いている感じがしない。
支持層も不支持層も含めての「国民の代表」だという意識が感じられない。
自民党の岩盤支持層さえついてくれば、それでいいと思っている。
安倍は、シュンペーターの民主主義観に忠実な政治家だったのではないか。
秋葉原での街頭演説で、
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」
と叫んだことがあったが、あれは本心から出た言葉だったのだろう。
回顧録にもその気配がにじみ出ている。
自身の主張・政策に関しても、ためらいが無い。
中国は「不良」。
アベノミクスは「正しい」。
財務省は「嫌い」。
官僚の人事権は握って「当然」。
そう断定する調子には、自信しか感じられない。
回顧録では「官僚の無謬性」に複数回言及している。
「自己の無謬性」に思いを致すことはなかったのだろうか? と私などは思ってしまう。
以上をまとめると、安倍は最初から最後まで「政治の世界に棲んだ人」という気がする。
①根っからの政治家で、②勝てば官軍で、③それで何が悪いんですか? と言い放ってあっけらかんとしている。
よく言えばリーダーシップがある。
悪く言えば唯我独尊的である。
そのような性質が、一方で反発を生み、一方で熱烈に支持されたのだろう。
(次回に続く)
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