初めての海外旅行の香港でジャケット買いしたCDアルバムのあの歌手は誰だったのかを二二年後に調べるの巻 #7
誰に対しての「ありがとう」か?
さて、サミー・チェンの「ARIGATOU」であるが、これは誰に対して「ありがとう」と歌っているのだろうか?
広東語の分からない私ではあるが、これを二二年ぶりに解明してみようと思う。
当時は不可能だったが、現在ではグーグル翻訳なる武器があるからだ。
とは言え、まずもって参考とすべきはKOKIAによるオリジナル版の日本語歌詞だろう。
これはすぐに見つかった。
著作権の問題があるかもしれないので全てを引用することは控えるが、詞の内容はかなり抽象的である。
どうやら大切な誰かがフッといなくなってしまったらしいのだな。大切なあなたは今はもう思い出の中にしかいない、と。
そして曲は核心部へ入って行く。
その言葉が「ありがとう」なのだ。
「ありがとう」の相手が歌い手にとってどういう人なのかは分からない。
そこに具体的に誰を置くかは聴き手に委ねられているとも言える。
そのことが、この作品をより多くの人に受け入れられるようにしているとも考えられよう。
◇
対して広東語バージョンの歌詞はどうか。
これは、ユーチューブにあげられているこの曲の動画のコメント欄に書いてあったりする。
詞は黃偉文なる人物の手による。香港では売れっ子の作詞家のようである。
以下に広東語歌詞・日本語訳・英語訳の順に並べて検証してみよう。
ただし、日本語訳は広東語のまったくできない私がインターネットを活用して調べた限りの訳であるから信用してはならない。その下の英語訳はグーグル翻訳様の〝お告げ〟である。
今ひとつ意味のはっきりしないところはあるが、雰囲気は何となくつかめよう。
「ありがとう」の相手は歌詞の一行目の「如何地初遇他跟你」(どのように彼とあなたと初めて出会ったか)に隠されている気がするが、登場人物は「歌っている当人」と「彼」と「あなた」の三名なのだろうか? 分からない。
分からないのだ。
しかし、日本語のオリジナルの歌詞とはかなり違うということは分かる。
広東語の歌詞はやや饒舌に過ぎるのだ。
オリジナルの歌詞が持つ研ぎ澄まされたようなシンプルさが無い。
広東語バージョンは、どうも若い時に知り合ったが別れることになってしまった恋人を歌っているのではないかという感じがする。恋愛の匂いがするのだ。
私が感じる違いはもう一つある。
日本語の原曲はどちらかというと悲しい曲である。それに対して、広東語バージョンはどこか希望を感じさせる。
原曲は、今さら何をどうあがいてもあなたが「いない」ことが前提の切ない歌なのに、広東語バージョンは、見えないあなたがこれから先は「いる」ことが前提の明るさの感じられる仕上りになっているのだ。
これはそれぞれのバージョンの最後の歌詞に象徴的に表れている。
日本語版の最後のフレーズは次である。
これに対し、広東語バージョンは次である。
この先の歌い手の人生に「あなた」が付き添ってくれることが決定したかのように聞こえるのだ。
◇
二二年ぶりに歌詞を調べてみて、結局どちらのバージョンについても、「ありがとう」と言われているのが誰かを特定することはできなかった。
しかしそもそも唄の詞なのだから、それが誰かを特定しようとするのは野暮というものだ。
それぞれの人に思い思いの相手がいてよいではないか。
曲の出来に関しては、詞のシンプルさと力強さから、私はKOKIAの方に軍配をあげたい。
初めての海外旅行の香港で買った謎のCDについて調べて異国の思い出を懐かしもうというつもりで書き始めたのに、何のことはない、異国の地で現地の珍しいモノを持ち帰った気分になっていたけれど、実は日本発のものを現地で見つけて拾い上げたにすぎないということが分かって、何やら時間と空間をぐるっと大回りして、現在の日本に戻って来たような気がする。
しかし、こうして二二年後に調べて判明して驚いたということを含めて、「ARIGATOU」はこの先も私にとって思い出の曲になりそうである。
(了)
最後まで記事をお読み下さり、ありがとうございます。賜りましたサポートは、執筆活動の活力とするべく大切に使わせていただきます。