13年間連れ添ったSONYのウォークマンがついに壊れてしまった

眠れない夜に勢いで始めたブログを案の定放置して数ヶ月。予想通りというべきか、決められた未来をなぞっただけというべきか、そんな展開に特に感慨もないのだけれど、久しぶりに長い文章を書きたくなってスマートフォンのホームにポツンと置かれたnoteのアイコンを押す。放置しすぎてダウンロードが必要だった。お高く止まりやがって。

タイトル通りなのだけれど、高校1年生の頃から13年間連れ添ったSONYのウォークマンがついに壊れてしまった。もっとも最近はスマートフォンでApple Musicからダウンロードした音源を聴くのがメインになっていたから使用頻度が高い訳でもなく、だから日常の中で音楽が途切れることもなくて、困りはしない。だけど13年間というのは赤子が中学生になる程の年月で、それ程の年月には間違いなく歴史が存在する。ウォークマンが壊れたくらいで何を神妙にと思う人もいるだろうが、このウォークマンは間違いなく俺の宝物なんだ。

俺は高校2年生の冬くらいまで殆ど音楽に興味がなかった。親が音楽が好きではなくて、音楽を聴くような友達もあんまりいなくて、テレビも観ないしカラオケに行くこともなかったしインターネットも使い方がわからなかったから、単に娯楽としての音楽を聴く機会が無くて聴いてなかった。

このウォークマンは高校1年生の頃に、「みんな持ってるから」という理由でお年玉貯金を崩して購入し、「みんな聴いてるから」という理由でその時流行っていた曲を友達に入れてもらった。
その時入れてもらったのが、Aqua Timezやリップスライム、ファンキーモンキーベイビーズ、EXILE。どれもそんなに好みではなくて、でもみんな聴いてるし、と聴き続けた。Aqua Timezはちょっと好きだったと思う。今は殆ど聴かなくなってしまったけど、『千の夜をこえて』とかはよく聴いていた。

高校2年生になってからBUMP OF CHICKENと出会った。世代的には中学生の頃に『天体観測』なんかが流行っていたんだけど、俺はオタクの友達と集まってモンスターハンターをやるか、微ヤンキーみたいな友達と練馬のドン・キホーテの中にあるゲーセンで面白くもないゲームをやるかだけの中学生だったから全然知らなかった。というか多分聴いたことはあったのだけど、『天体観測』はあんまりハマらなくて印象になかったのかもしれない。

高校2年生になった俺は周回遅れでYouTubeなる存在を知り、なんとなく色んな動画を観るようになった。そんな中で、フラッシュ映像の『K』を始めて聴いた(観た)。あの、優しい黒猫の歌だ。本来中学生の頃に通っていたであろう儀式、つまり『K』を聴いて号泣するという可愛らしい行為を、あの時、はじめてやった。

「音楽ってこんなに良いものだったんだ!」と衝撃だった。俺にとってはほぼ、音楽=BUMP OF CHICKENという感じになっていた。
ときわ台のイズミヤの中に入っているCDショップでBUMP OF CHICKENのアルバムを全部買ってウォークマンにぶち込んだ。たくさん泣いて感動した。BUMP OF CHICKENは神様だった。

丁度その頃、CDをレンタルしてウォークマンに曲を入れて返却する、というやり方を知った。俺は西台のGEOや東部練馬のTSUTAYAまでチャリをかっ飛ばし、1000円でCDを5枚適当にレンタルして聴きあさるという事を度々やるようになった。エルレガーデン辺りにはその頃に出会っている。でも本当に適当にCDを選んで入れていただけだったからあんまり好きなバンドには出会えなくて、結局殆どBUMP OF CHICKENを聴いてた。あと父親に貰った中島みゆきの『大吟醸』のアルバムも聴いてた。BUMP OF CHICKENと中島みゆきしか聴かないヤバい奴だった。

高校2年生も終わろうという頃、音楽好きの友達が俺のウォークマンに大量に曲を入れてくれた。それが今の俺の好みを形作っている。イエローモンキー 、ミッシェルガンエレファント、ブランキージェットシティ等々。最初はどれも全然好きじゃなくて、特にミッシェルガンエレファントはなんかコイツらうるせえな、と思ってたし、ブランキージェットシティは声がウザいと思ってた。イエローモンキー はちょっと聴いてた。一緒に入れてくれた斉藤和義はかなり好きだった。

でもせっかく入れてくれたしな、とミッシェルガンエレファントやブランキージェットシティを繰り返し聴いていたらだんだん好きになってきて、今では好きなバンドを聴かれた時に最初に答えるバンドになった。イエローモンキーもそうだし、斉藤和義もBUMP OF CHICKENも中島みゆきもずっと大好きだ。

高校を卒業して大学を入学するまでの間、丁度3.11があって大学の入学式まで1ヶ月間があったから、音楽が好きな友達に誘われるまま成増のハードオフにギターを買いに行った。行く途中で友達が車に轢かれて自転車がひしゃげた事が今でも忘れられない。怪我はなかった気がする。あったとしても軽症。フェンダージャパンの赤いストラトキャスターを44000円で買った。今でも家にある。一番最初に切った弦が6弦だった事もよく覚えてる。今考えると6弦切るってなに?と思う。力入れすぎ。T-REXの『20th century boy』とイエローモンキー の『球根』を練習して、友達と一緒にスタジオライブみたいなことをやった。思い返すと最悪すぎる演奏だったけど、音楽のことなんて何にもわからなかったから楽しかった。その練習の時も、このウォークマンで聴きながら練習してた。

大学では軽音楽部に入って、またいろんな音楽を知った。ベースボールベアーやsyrup16g、ART-SCHOOL、アジアンカンフージェネレーション、フジファブリック、他にも色々。あと被ってないけれど大学の先輩がキノコ帝国だったのでそれもウォークマンに片っ端から入れて毎日毎日聴いてた。家から大学まで片道2時間という地獄のような生活をしていたけれど、ずっとウォークマンで音楽を聴いていたから大丈夫だった。無敵だった。

学外でバンドを組んでオリジナル楽曲をやるようになって、その曲もウォークマンに入れた。対バンで知り合ったバンドが出してるCDも買ってウォークマンに入れた。全部宝物だった。宝物がたくさん詰め込まれたウォークマンは宝物というよりもむしろ宝箱だったのかもしれない。

はじめて彼女が出来た時も、はじめての彼女と別れた時も、禁煙した時も禁煙失敗してまた吸い始めた時も友達が自殺してしまった時も就活の面接に挑む前も大学を卒業する時も会社を辞めた時も再就職した時も、最近だってずっとこのウォークマンで音楽を聴いてた。

今でも覚えているのだけど、はじめて彼女が出来た時はBUMP OF CHICKENの『R.I.P』を聴いてた。別れた時はBUMP OF CHICKENの『ベル』だった。
禁煙した時は覚えてない。禁煙失敗した時はチャットモンチーの『染まるよ』だった。
友達が自殺した時はイエローモンキーの『天国旅行』だったし、就活の時はBeatlesの『HELP』だった。助けて欲しかったんだと思う。
大学卒業した時は覚えてないけどどうせ俺のことだから感傷的な歌とか聞いてたんだと思う。馬鹿だからそういう歌を選んで聴いてしまう。
会社を辞めた時はミッシェルガンエレファントの『世界の終わり』を聴いてた。むしろ世界は始まったと言って良かったけど。再就職した時はブランキージェットシティの『悪い人たち』。全員憎かったんだろうな。
最近はナンバーガールのサッポロOMOIDE IN MY HEADのライブアルバムから『OMOIDE IN MY HEAD』を聴いてた。ドラムス、アヒトイナザワでワクワクしてしまう。

ずっと生活の側にあったものがもう動かなくなってしまうというのはとても悲しく、辛い。物持ちが良いからどんな物との付き合いもまあまあ長くなるし、メンタルが雑魚だから壊れると悲しい。5年使った電子レンジが壊れた時もなんか悲しかったし。生活の側にあったのに壊れても生活になんら支障がないというのもなんとなく物悲しいね。ブログを書いてしまうくらいには感情的になっている。長い文章なんて出来るだけ書かない方がいいのにね。13年は長いよ。今までありがとうという気持ちでいっぱいです。

それでは。

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